第154話 知夏_曖昧になった距離
秋晴れの空の元、土手の上をランニングをしたり犬の散歩をしている人が右から左へ、左から右へ流れていく様を目で追った。小学生らしき子供たちが自転車を立ちこぎしながら走り去っていく。
つい先日、優太とこの河川敷を散歩した時は暖かかったが、今日は上着がないと結構肌寒い。私は両手で腕を抱きながら、目の間を流れていく景色をみた。
家のベランダから見える景色と比べて、ものすごくゆったりしている。右へ左へ慌ただしく走り去っていく舎人ライナーとなんて違い。
そっと振り返ると、優太は私に背を向けながらゆずさんと電話をしている。浮気している人って、きっとこんなシチュエーションを体験するんだろうな、と思いながら一人で苦笑いした。
優太の誕生日を一緒に過ごして4日たった今日、今までとは異なる優太からの目線に気づいた。私を抱かなくても満足している、つい30分前の会話だ。
優太は私に対する心境に変化が生じていることを、認識しているのだろうか。それとも無自覚か。お金を払って抱ける女が腕の中にいるのに、触れているだけで満足。そんな感情は息子が使い物にならなくなった紳士が抱くならわかる。
しかし、健全な男性がその感情を一人の女に向けることが何を意味しているのか、分かった上で言っているのだろうか。
彼がゆずさんの恋人として、一緒にいることに迷いが生じていることはわかった。だが、優太が何年も想い続けてきた人なら、関係性が続こうが変わろうが、お互いが良いと思える関係であってほしい。間違っても私の存在が、2人の間に亀裂を生じさせる火種にはなりたくなかった。
私は寒さを紛らわせるためにつま先立ちで立ったり、足を持ち上げてお尻のトレーニングを行ったりして時間をつぶした。ベランダに使い古したスニーカーが置いてあるが、昨日の雨の影響か濡れており、とてもじゃないが履けなかった。ストッキング一枚の素足に、ベランダのコンクリの冷えた感触が直に伝わってくる。私はつま先立ちしながら土手を眺めた。
ベランダのドアが開き、ごめん、と声が聞こえた。私は振り返って、電話終わった?と聞いた。申し訳なさそうに突っ立ってる優太を見て、気にしなくていいのにな、と思う。
私は柵にもたれかかった。すっかり冷えてしまった体に秋風が吹き抜ける。
「再来週末、旅行に行ってくる」
「あら、いい感じで良かったじゃん。なによりだわ」
「本当にそう思うの?」
思いがけない強い口調に優太の心境が反映されていた。…これは良くない。私は顔に力をいれて腕を組むと、挑むように彼を見つめた。
「…どうして?彼女との関係を保ちたいから、私を指名してくれてるんじゃないの?」
そうだと言ってほしい。心の底からそう思った。しかし、優太は私の目線から逃れるように顔をそむけた。
「…いや、ごめん。外、寒かったよね。」
…はっきり、そうだと言えよ。私は心の中で毒づいた。
私だってそこまで鈍感ではない。
風俗嬢は抱かれる職業。大なり小なりお客様も世の中の風俗嬢もその認識を持っているはず。だから私も心置きなくお金を受け取れるし、おかげできっちり心の線引きをして仕事ができる。
応えてはいけない類のものだと頭でわかっているだけに、少しだけしんどい。
部屋に上がると優太は私をソファーに座らせ、寝室から持ってきた掛布団で私をぐるぐるに包んだ。私は笑いながら、そんなに寒くないから大丈夫だよ、と言った。
温かい紅茶を入れてくれてので、私はゆっくり紅茶をすすった。少しづつ体が温まる。
「旅行どこ行くの?」
「箱根。俺の誕生日プレゼントとして彼女がプラン立ててくれた」
「素敵だね。箱根、いいよね」
「行ったことあるの?」
「昔、家族旅行で行ったことがあるよ」
私はその時の話をし、優太とお互いの家族の話をした。
私は今までお客様に、自分の家族の話をしたことはほぼ無い。私にとっての家族とは両親であり、3人の兄たちのことだが、既婚者にとっての家族とは配偶者であり、子供のことを指す。したがって私は家族の話を聞かれたら、架空の旦那の話をしていた。
優太は旦那の話ではなく、実家の話をしている私に疑問は持たなかったようだ。優太は独身だから、おそらく人妻が家族の話として実家の話をすることに違和感を感じないのかもしれない。
私の家族はみんながそれぞれ我が道を行くタイプだ。父親が高校の教師、母親が看護師、長男がパティシエ、次男が介護職、三男が消防士。唯一専門職の資格を取ることなく、IT企業に営業として就職した私を不思議がり、祝福してくれた。
兄たちとは年が離れており、両親からは待望の女の子としてものすごく可愛がられた。とても大事に育ててもらったのに、親にも兄たちにも言えない仕事をしていることは申し訳無く思う。
私は優太の家族はどんな家族なのか尋ねた。
優太は新潟の田んぼしかないような場所で育ったこと、父親は電気整備士、母親はスーパーのパート、弟は米農家をしていること、実家の庭で家庭菜園をしており、畑で作物を収穫していた話や、ザリガニを育ててロブスターにしようとしていたことや、家のお風呂でガマガエルやオタマジャクシを育てようとしたエピソードなど、彼の子供時代の話は田舎の男の子らしいエピソードに溢れていて、私は久々に目に涙がたまるくらい笑い転げた。
優太は空になったティーカップを私の手から取り、テーブルの上置くと「時間、大丈夫?」と聞いてきた。私はハッとして、リビングの時計をみると既に15時になっている。予約時間終了だ。
私は時間管理ができてなかったことを内心恥じつつ、優太に謝ってお店に仕事が終わった、とラインを送った。優太がカード払いをしてくれるので、事務所での精算は後日でも良い。
「この後、どうしたい?」
私の質問に優太は明らかに動揺している。目が左右に揺れて、彼の中で激しく葛藤しているのが分かった。




