第153話 知夏_愛と自己犠牲の間で
玄関を開けると思いのほか涼しい。私は思わず二の腕をさすった。
「その格好だと寒いよね?ちょっと待ってて」
そう言って優太は寝室に引き返すと、グレーのカーディガンを手に戻ってきた。
「これ、使って」
「ありがとう」
私は遠慮することなく、ありがたく袖を通した。しかし、服のサイズが違いすぎるため手がすっぽりと隠れる。私は笑いながら袖をまくった。
「子供になった気分」
優太は口元に手をやりながら何とも言えない顔をしている。そんな彼の手を取り一緒に外に出た。
駅に向かう途中にあったバーに入りカクテルを注文した。優太とは予約終了後、ランチや買い物に行くことは多かったが、こうしてお酒を飲むのは初めてだ。
私も優太もお互い普段は人に言わないような気持ちを話した後だっただけに、開放的な気分だった。お互いの恋愛話を包み隠さず話し、私は普段の明け透けな性格をさらけ出した。
そして、彼から旦那のことについて聞かれなくてホッとした。旦那のことについて聞かれたら応えられるよう、細かい設定は決めているけれど、できれば嘘をつきたくなかった。
1杯だけ飲むつもりが結局4杯も飲んでしまい、私はふわふわした足取りを自覚しながら、改札まで見送ってくれた優太に手を振った。
ちょうど来た電車に乗り、ドア側の手すりにつかまるとお酒を飲みすぎたせいか、むくみ始めた顔が窓ガラスに映る。明日は転職活動を行うので仕事を休みにしといてよかった。午前中はゆっくりできる。
西日暮里駅で降りると階段を上り、酔いを醒ますために舎人ライナー線沿いの大通りを歩く。
貸してくれた優太のカーディガンの袖を鼻に当てると彼の匂いがする。私はその匂いを嗅ぎながら、今日の一日を振り返った。
私は自分がバイセクシャルだからこそ体験した経験値から、優太に寄り添えるよう最大限心を砕いた。アセクシャルの知り合いはいないから、あくまでもネットやSNSで知りえた情報しか私の引き出しにはない。それでも、好きな人に触れることができない辛さはよくわかる。
私がバイセクシャルだと知って、とある人にこう言われたことがある。
「女風呂とかやっぱ興奮する?女同士ってよくじゃれ合ってるから触りあえて羨ましいわ」
私はそれを言われた時に、お気楽な思考回路で羨ましい限りですね、と嫌味を言いそうになったことがある。
好きな人に触れないよう、どれだけ努力をしたことか。自分の気持ちをコントロールする事で精一杯。好きな人がストレートだった場合、自分のジェンダーをぶっちゃけられるほど、私の心は勇敢ではない。
思春期の頃は自分の気持ちを抑える自信がないから、好きな子の体に触れることは過剰になるほど気をつけていた。
優太はゆずさんの話を自分から基本的にしないが、それでも彼の人柄からゆずさんのことを大事に扱っていることは想像に難くない。この3か月間、毎週末会い続けているが彼は優しく、丁寧に気を遣い、誠実であろうとする心根の持ち主だと思う。
そして、無意識に自己犠牲の精神を良しとしてしまう節がある。
恐らく優太が求める特別な関係と、ゆずさんが求める特別な関係は条件が合致していないのではないだろうか。
たぶん、優太みたいに性欲があり男性扱いされることを望んでいるタイプは、最も特別視している女性から男性として求められないことは、かなりしんどいはずだ。
私は同性を好きになった時、自分を特別視して欲しいと思っていた。
その特別視、というのは友人の中でも無二の親友、という人生で最も長く続くであろう関係性ではなく、動物的で本能的な、性欲がまとわりつくような、衝動的な激しい想いで私を見て欲しいと思っていた。
しかし、自分のことをレズだと思い込んでいた学生時代は、そういった自分の欲を封じ込めることが正しいと考えていた。好きになった友人が求める友人関係を築くことが相手にとって最も最善で、そして、それが同性愛者の私なりの愛情表現であると信じていた。
けれど、それでは自分の本音の部分はいつまでたっても満たされることは無い。だからといって、自分を満たしてくれる人に安易に走ることは、自分が最も特別だと思う人を裏切るような気持もちになり、違う相手に走ったところで結局のところ代替品でしかない。
大学に上がって初めて男性を好きになり、その人と恋人関係になれた。そして、私はずっと望んでいた形で初めて求められ、特別視され、ずっと埋まらなかった部分を溢れんばかりに満たし、私はやっと自分のことが好きになれた。
初めて男性を愛し愛されたことで、私はありのままの自分をようやく受け入れることができた。だからこうして大人になった今、自分のジェンダーを堂々と主張できる人間に成長できたのだと思う。
私だって好きな人には女として、もっと率直な言い方をすれば特別なメスとして求められたい、という欲望を至極自然なこととして受け止めることができるようになった。
好きな人から特別扱いされたとしても、そこに性的関係が生じなければ、私にとっては友人関係の域をでることはなく、残念ながら恋人としての関係性は成立しない。
優太の心情を思うと切なくなる。もっと自分本位に生きてもいいんじゃないか、と言いたくなるが、本人はアセクシャルの彼女にとって良き彼氏でありたい、という思いから私の元に通い続けているのだ。
たぶん優太は私が学生時代に経験した、好きな人にとって最も最善な関係性を維持することに努めているのだろう。だから、私が好きな人に触れることができない辛さに共感した時、あんなに泣いたんだと思う。
もっと自分の欲が満たされるよう、自分の欲望に素直に生きられたら楽なのにな、と彼に思いを馳せるがそれが、上手くできない気持ちもよくわかる。だからこそ、少しでも彼の心に寄り添い支えになりたい。




