第151話 知夏_触れられない距離
手元の缶に目線を落としたまま黙り込んだ優太に体を向けた。テレビから盛大な笑い声が聞こえる。私は少しだけボリュームを下げた。
「この前、彼女と北海道旅行に行った時にさ」
「うん」
「その、寝る時、別々のベットなんだけど、泊ったところが旅館で浴衣で寝たんだけど」
「うん」
「朝起きた時に、隣のベッドで寝ていた彼女の浴衣が結構はだけてて、太ももとか、その、下着とかが見えていたんだよね」
「うん」
「それで、俺、何とも思わなかったんだよね。なんとも思わないことに気づいてびっくりした」
「…うん」
「でも、恋人の、そういう姿を見ても何とも思わないってどうなんだろうな、って。彼女に対して、触れたいって思わなくなった時点で恋人関係って成立していると言えるのかな、って思ったら、よくわからなくなったというか…」
「うん」
「ゆずは…、彼女はそういう性的なものが発生しない恋人関係を望んでいるから、きっとこれが正解なんだろうけど、俺にとって正解っていえるのかな、性的に何も感じなければ友人関係と何が違うんだろう、って思ってさ」
「うん…」
「ゆずの希望通りの彼氏になりたくて、ずっと努力してきたけど、やっぱり俺は好きな人から男として求めてもらいたいし、好きな人がいたら抱きたいと思う。でも、だからといって、じゃあゆずと別れるのか、といったらそれもどうなんだろうな、って…」
「うん」
「何が正解なのかわかんないや」
優太の本音に私は心を揺さぶられた。
好きな人に触れない、好きな人が望むポジションを維持する、それは口で言うほど簡単な事ではない。好きな人のためにこのような自分でありたい、という願望と、でも本当はこんな自分でいたい、という欲望の狭間でい続けることは苦しい。
でも、どっちをとったら正解なのかわからないから悩み、辛い気持ちになる。
私は完璧に優太の気持ちを理解することはできない。しかし、少しでも彼の心に寄り添って、その辛さを分かち合いたい。
「…私、バイなんだけど、それを自覚したのは大学に上がってからなんだ。それまでは好きになる人って女の子ばっかりで、自分のことレズだって思ってた」
私が話し出すと彼は顔を上げてこちらを見てきた。目にうっすらと涙の膜が張っている。
「…大学に入ってから好きな男の人ができたの?」
「うん、大学で初めての彼氏ができた。5年も続いたんだよ。」
「…長いね」
私は、そうね、と呟いてビールを一口飲み口の中を湿らした。
「子供の時はたまーに男の子を好きになることもあったけど、異性に対しての好きはlikeで、同性に対しての好きはloveだって高校の時に気づいてさ。学生の頃、ずっと女の子ばかり好きになっちゃうから、自分はレズなのかなって不安だった」
「うん」
「当時は多様性っていう言葉もLGBTQって言葉も社会的に普及してなかったから、カミングアウトすることも怖くってさ。私、その好きだった女の子と一番仲良かったんだよ。小学生の時も中学生の時も、高校生の時も、学校が変わるたびに好きな人も変わったけど、ずっと一緒にいたんだよね。だから、大学に入って女の子を好きになるのと同じくらいの熱量で男の子を好きになれた時、私も普通の恋愛ができると思ってホッとして泣いたよ」
その時のことを思い出して懐かしさに口元が緩む。そんな私をみて優太も少しほほ笑んだ。
「女の子同士のじゃれあいってあるじゃん。相手の体触ったり手をつないだり腕組んだりさ。私も周りの子たちと同じように友達同士でじゃれあっていたけど、好きな人にだけは触れないように気をつけてた」
「…どうして?」
「自分の気持ちをコントロールする自信がなかったから」
私は苦笑交じりに応えた。
「好きだった子からさ、知夏が男子だったら絶対に彼女にしてもらうのに、って言われて心底男になりたいと思ったよ。性自認が男ってわけじゃなかったけど、異性同士だったら好きな人に堂々と触れるのに、って思ってた。だから、好きな女の子に腕を組まれたとき、絶対に私から触らないようにしてて、あれが好きな子といる時の男子の気持ちなんだろうな、って今では思うよ」
「その気持ちはちょっとわかる」
お互い苦笑しあう。すこしだけ空気が和らいだ。
「今は上手く心の折り合いがつけられるようになったし、性別関係なく人を好きになれるから人生2倍楽しめるって思えるようになったけど、昔はやっぱり普通の感覚に生まれたかったって思ったよ。普通の人にはその人なりの悩みがあるだろうにね」
優太は黙ってうなずいた。
「今はバイで良かったなって思うよ。おかげで好きな人に触れられなくて辛い思いをしている優太の気持ちが少しはわかると思う。…触れてもいい関係性ならなおさら辛いよね。」
「…」
優太は静かに涙を流し始めた。相手の顔を見なければ気づかないくらい、静かに流れている涙をみて、疲れを感じるほどずっと自分に言い聞かせて耐えていたんだろうな、と思う。
私は缶ビールをテーブルにおくと膝立ちになって彼を抱きしめた




