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第118話 知夏_新店舗店長への思わぬ誘い

「あの、それは新しい店舗でキャストとして働かないか、ってことでしょうか」

新店舗だとまずはキャストの確保をしなければならない。姉妹店がある場合なら、ある程度キャストが集まるまで他の店舗に在籍しているキャストをヘルプとして使った方がお客様を呼び込みやすい。

「いや、そうじゃなくて、良かったら莉奈さんに新店舗の店長をやってほしいんだけど、どうかな」

 さわやかに笑いながら会長は言った。え、なんだって?

 耳では言葉をキャッチしているが、頭では理解が追いつかない。言葉を失ったタイミングでお寿司が運ばれてきた。薄い青磁色の食器に小ぶりなお寿司が芸術品のように鎮座している。いつもなら無邪気に喜んで食べるが、さすがにそんな気持ちで手を付けられなかった。

「今すぐの返事じゃなくていいよ。でも、良かったら考えてみてくれないかな。」

「あ、はい…」

 私の曖昧な返事にさわやかスマイルを返して、会長がお寿司を食べるように勧めてくれる。私は頂きます、と手を合わせてガリに醤油をつけ、寿司に醬油を塗って食べた。

 戸惑いで溢れた状態でも、とても美味しいお寿司だ。平常心で食べたらもっと美味しく感じるんだろうな。

「検討する際の条件として聞いてもらいたいんだけど」

 会長が空になったコップに手酌でビールを注ごうとしていたので、私と店長は慌ててビールをつごうとしたが会長は手で制した。

「もし店長になったら、雇用形態は今と同じで業務委託になる。月収は50万が最低保証金額。そこから売上げに応じて毎月変動していく出来高制をうちは採用している。頑張れば頑張っただけ、稼げる仕組みになっている。ただし、事務スタッフをやっているからわかっていると思うけど、休みは会社員のように取ることはできない。取れても週1くらいだと思ってもらいたい。できれば長く続けてもらえるとありがたいが、期間限定でも構わない。新規店舗の店長は現場のこと、つまりキャストのことが分かっていて信頼できる人にお願いしたいんだ。この業界は女性の入れ替わりが激しい。だからいかに本指名を獲得できる女性を、確保し続けるかでお店の売上げは大きく左右される。そのためにはキャストから見た時に、信頼できる店長じゃないと難しい。お店に不満が少しでもあったら、すぐによそへ移ってしまうからね」

 私は箸をおいて会長の話に耳を傾けた。藤本店長が隣でうんうん、と頷いている。

「渋谷店は断トツで売上げが上がっているし、キャストの在籍年数も長い。でもね、昔は渋谷店の売り上げはグループの中でも下から数えた方が早かったんだ」

「え、そうなんですか?」

「渋谷店がトップの売上げをたたき出すようになったのは、藤本が店長になってからだよ。藤本が渋谷の店長になってからもう8年目くらいだったかな」

 会長が店長の方に顔をむけた。

「はい、おかげざまで」

「川崎店の店長の後任を探している時に、知り合いが藤本を紹介してくれてスカウトしたんだ」

「お声をかけてくださって本当にありがたいです」

 深々と頭を下げて感謝の意を述べている店長を見て、会長を慕っているんだな、と思った。尊敬できる上司の元で働けることは職業関係なく幸せなことなんだ。

「それで、川崎店の店長の元で研修させていたら、当時の渋谷店の店長が急に飛んじゃってね。仕方なく藤本を渋谷店の店長に配属させることにしたんだよ」

 あれにはまいった、と懐かしむように笑う会長に店長は眉間にしわを寄せた。

「あれは不忠義者でしたね。」

 不忠義者なんて言葉、日常会話で使う人、初めて見た。

「元々、藤本はピンサロで副店長をやっていたんだよ」

「あ、はい。存じております」

「そんなに硬くならないでいいよ。育ちがいいんだね。足、崩していいんだよ」

 素直に褒められているのかわからず、私は会釈すると正座を崩して掘りごたつに足を下した。足首を少し動かしながら痺れを取り除こうと試みる。

「藤本をスカウトする前に彼の仕事ぶりを見に行ったんだけど、あの演出は凄いね。ライブみたいだった。ピンサロって使ったことないからびっくりしたよ」

「ありがとうございます。」

 嬉しそうに店長が笑う。

「お店の従業員から慕われていたし、客あしらいも上手い。引っこ抜いてきて正解だった。今の渋谷店の売上げがこれだけ維持できているのは、キャストが長く在籍できる店作りをしてくれたおかげなんだよ」

 確かに。頷ける話だった。

 事務スタッフをやっていて気付いたことだが、多くのキャストは店長に信頼を寄せている。それは、店長に任せれば必ず稼げる、変な客を取らせない、安心して稼げる、その実績から働きやすい店だ、と在籍したくなる。

 様々な店を渡り歩いてきたわけではないが、今まで在籍したお店と比較すると安心感が全く違う。店長はお客様とキャストに何らかのトラブルが発生した場合は、間に入ってキッチリ対応してくれる。決してうやむやにしない。

「その藤本が莉奈さんをべた褒めしていたんだよ。藤本はキャストに気配りできる人間だけど、身内に対してはけっこうシビアだからね。その藤本がここまで褒めるなんて、どんな人物なんだろうと思って事前に色々、藤本や他の店舗スタッフから話を聞かせてもらったんだ」

 私は嬉しさと驚きのまなざしで藤本店長を見た。こんな風に評価してもらえるのは素直に嬉しい。

「急いで決断をだす必要はないから、よかったら前向きに検討してもらえるかな」

「はい、わかりました。」

「なにか聞いておきたいことはある?」

「…あの、いつまでにご返事したらよろしいでしょうか。」

 私の質問に会長は、そうだな、と顎に手をのせて思案している。

「10月末までに返事をもらえると嬉しいかな」

「わかりました」

 純粋に嬉しい提案だ。しかし、喜んでその提案を受け入れることはできない。

 業務委託で一人で店舗運営をするということは、実質休みはほとんど取れない。私がいる渋谷店も含め、姉妹店は年末年始以外は年中無休。それは大きな懸念点だ。


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