第117話 知夏_予想外な提案
早くも就職活動に疲労を感じ始めたころ、店長から仕事終わりに飲みに行かないかと誘われた。これは珍しいお誘いだ。店長と飲みに行ったのは、私が店舗スタッフとして事務所に入ってすぐの頃なので、1年半ぶりである。
1週間のうちで一番暇な月曜日。20時前に仕事を終えると、他の店舗の店長に挨拶をして連れだって会社を出る。
「会長がお寿司に誘ってくれたよ。お寿司、大丈夫?」
煌々と光る街並みを歩きながら店長が言った。
「全然いいです。むしろお寿司がいいです」
やった!お寿司!と内心喜びながら店長の後をついていく。見た目からしていかにも高級そうな佇まいのお店に入っていく店長の後を、やや気後れを感じながらついていく。
8人掛けのL字のカウンターに、お座敷には4人掛けのテーブルが2卓。カウンター席ではホステスっぽいきれいな女性が年配の方と帰り支度を整えていた。
これから同伴かな、と見ていると鶯色の着物を着た従業員がお座敷の席へ案内してくれる。お客様に連れられて、ちょっといいお店で食事をしたことは何度もあるが、このような上品な雰囲気のあるお店は慣れていないので少し緊張してしまう。
靴を脱いで座敷へ上がると会長が右手を挙げた。
「お疲れ様。先に飲ませてもらっているよ」
パリッとした白いシャツに鼠色のベスト、光沢のある柔らかい黄色のネクタイを締めている。会長には何度かあったことがあるが、毎回おしゃれな人だな、と思う。
「お疲れ様です!」
店長が舎弟よろしく体育会系のノリで挨拶をする。体に和風なアートを施している店長が勢いよく頭を下げながら挨拶をしていると、会長ってそっち系の人なのかな、と思ってしまう。
私も、お疲れ様です、と言いながら席に着く。掘りごたつだったが、会長の手前足を下ろしていいのかわからず、とりあえず正座する。
「仕事終わりに呼び出して悪いね。飲み物は何がいい?好きなもの頼んで」
会長からメニュー表を受け取り、飲み物を確認する。細い流麗な文字で記載されている飲み物名を見ると、表記が上品すぎて私が知っている飲み物とは別の飲み物のように見える。
「自分はビールを頂きます」
メニューを見ずに店長がいった。
「じゃあ、私はレモンサワーで」
会長が頷くと、すぐに先ほど座席を案内してくれた女性がオーダーを取りに来た。
会長が私たちの分の飲み物を注文し、お寿司を適当に持って来て、と言う。注文の仕方がこなれすぎててかっこいい。
熱いおしぼりを受け取り手をふく。おしぼりからレモングラスのいい香りがし、思わず手についた匂いを嗅いだ。
着物の女性が優雅な手つきで注文した飲み物を置いて行く。なんとグラスを置くために敷かれたコースターは寄木細工だ。
「じゃ、おつかれさま」
乾杯、と言いながら会長が掲げるグラスの底あたりに自分のグラスを軽くぶつる。喉を鳴らしながらビールを飲み、上手いっすねぇ!と満面の笑みで藤本店長が言った。
先付けとして、茄子としし唐のお浸しが出てきた。チューリップのような形をした器に盛られており、おしゃれすぎる。
「藤本から聞いてるよ。優秀なんだってね」
会長の誉め言葉に、それはキャストとして?それとも事務スタッフとして?どっちだ?と思ったが、口に出さずに曖昧に笑う。
「あぁ、わかりにくかったね。キャストとしてお客様から非常に高い評価を頂いていると聞いているし、事務スタッフとして非常に優秀で助かっている、と聞いているよ」
心の内を読まれ、顔に出すぎていたことを恥ずかしく思う。しかし、会長からの褒め言葉は嬉しい。笑顔で「ありがとうございます」と返した。それに対して会長は鷹揚に頷くと思いがけない事を言った。
「今度、新店舗を立ち上げるんだが、良かったら一緒に仕事をしないか、と誘いたくってね。それで今日来てもらったんだ」
「はい?」
みっともなく口をポカンと開けてしまった。




