第107話 知夏_好ましい、でもそれだけ
残りの時間、掛け布団にくるまりながら優太からゆずさんの話を聞いた。一級建築士の筆記試験が終わり、一緒に遊びに行ったそうだ。私はこの話を聞いて一級建築士の試験が、筆記と実技の二段構えであることを初めて知った。
「彼女と会うの、1カ月ぶりだったんだけど、前ほど辛いって思わなくなった」
「…彼女と一緒にいるの、辛かったの?」
「いや、辛いというか、楽しいんだけど、やっぱり寂しいというか。彼女といる時、やっぱり俺って男としては必要されてないんだろうな、って思うと結構悲しくて、辛い時もあったけど、今は穏やかな気持ちで一緒にいられる」
「そう。良かったね」
「俺のこと男として求めてくれてありがとう」
彼のたくましい腕に抱きしめられ、私は、どういたしまして、と答えた。
男として女として、その人の性を誰かから求められることは、その人自身の自尊心を維持するために重要な事なのかもしれない。もちろん、そうじゃない人もいるだろう。
しかし、本音では男として求めて欲しい、と思っている人が彼女から男として必要されないのであれば、それは辛いだろう。
もし、私が恋人から人として求められたとしても、女として必要されないとしたらどうなのだろう。そういった経験はないが、プラトニックな関係では恋人と認識するのがそもそも難しいかもしれない。
帰り支度を済ませ二人でホテルから出ると、容赦ない真夏の日差しが降り注いだ。私はすかさず日傘をさし優太と手を繋ぐと、解散場所である道玄坂を上ったところにある交番前の交差点までやってきた。
いつもはここで優太が道玄坂を下っていくのを送っていくが、なかなか手を離そうとしない。日傘を傾けて見上げると、優太が真顔で言った。
「この後って事務所もどるの?」
「いや」
「お昼食べる感じ?」
「いや」
テンポよく否定しすぎただろうか。でも、次の予約が入っているのでそろそろ移動しなければならない。
「…次、予約入ってる?」
私は少しだけ肩をすくめる。
「渋谷?」
「ん、…恵比寿」
「何時から?」
今まで聞いてこなかった質問をいきなりしてきたので、私は困ってしまった。
「どうしたの?他のお客様のことが気になる?」
「ごめん…」
「いいよ。私、山手線で移動するけど、優太はこの後どうする?途中まで一緒に移動する?」
「…じゃあ、一緒に駅まで行こう」
私は繋いでる優太の手を揺らして笑いかけた。彼のことは好ましく思う。しかし、特別な感情を向けられるのは困る。本来の目的を見失わないで欲しい。
交番前の横断歩道を渡りマークシティの中に入ると、ひんやりとした冷気に包まれた。快適な空間を進みながら、優太が来週に彼女と北海道に旅行に行くと話した。
「お土産買ってくるよ。何がいい?」
「なんでもいいよ。北海道いいなぁ、何食べても美味しいよね」
「行ったことある?」
「大学の時に旅行で。1週間くらい行ってたよ」
「長いね」
「大学の頃付き合ってた人が、北海道出身だったから。その人の実家に泊めてもらってた」
私が初めて愛した男性を思い出した。彼とは5年付き合ったが、結婚したら仕事を辞めて一緒に北海道に来て欲しい、と言われて私は頷けなかった。
当時の私は、仕事を辞めることも、知り合いが全くいない土地にいくことも受け入れられなかった。そんな彼も、去年結婚したと大学の同級生に聞いた。奥さんと地元に戻ったらしい。
「…仲良かったんだね。」
「そうね。5年付き合ってたから。元カレと別れた時に彼のお母さんが、何か困ったことがあったら遠慮なく連絡してね、ってわざわざ手紙くれてほんとうにいい人だった」
優太がなにか言いかけようとしたが、山手線の改札口についてしまった。予定より時間が押していので、申し訳ないとは思いつつも私は別れを切り出した。
「見送ってくれてありがとう。北海道のお土産楽しみにしているね」
手を離そうとすると、強く握り返してくる。私は笑いながら両手で彼の手をそっと外した。
「北海道旅行楽しんできて。」
「ありがとう。来週の土曜日にまた予約入れるから、その時にお土産持ってくよ」
「楽しみにしてる」
手を振りながらホームへ向かった。私は気持ちを切り替えるために、イヤホンを付けるとテンポの良い曲を流した。
次のお客様は私が新人の頃からずっと指名をし続けてくれるナカネ様だ。情報は全て頭に入っているが、恵比寿駅までの短い時間の間、私は顧客リストに記載された情報を目で追い続けた。




