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芽吹きの季節

 

 第八話 芽吹きの季節


 それから朝陽の日課が決まった。


 朝起きる。


 顔を洗う。


 朝ご飯を食べる。


 そして――


 畑へ行く。


 毎日。


 欠かさず。


 まるで小さな子どもが宝物を見に行くみたいに。


 ⸻


 ある朝。


 朝陽は味噌汁を飲みながら窓の外を見ていた。


 庭には朝日が差し込んでいる。


 木々の葉がきらきら光っていた。


 麦は朝ご飯を食べ終えて満足そうに転がっている。


「今日も見に行こうねぇ」


 朝陽が言う。


 麦は尻尾をぱたぱた振った。


 最近は完全に相棒だった。


 ⸻


 長靴を履いて外へ出る。


 朝の空気は少し冷たい。


 けれど気持ちいい。


 深呼吸すると肺の中まで澄んだ空気が入ってくる。


「んーっ」


 大きく伸びをする。


 その横で麦も真似をするように身体を伸ばした。


「ふふ」


 朝陽は笑う。


「お揃いだね」


 ⸻


 畑へ向かう。


 まだ何も変わっていない。


 そう思っていた。


 けれど。


 数歩進んだところで。


 朝陽の足が止まる。


「……あれ?」


 しゃがみ込む。


 目を凝らす。


 土の表面。


 ほんの少しだけ。


 緑色が見えた。


 小さな。


 本当に小さな芽。


「えっ」


 朝陽の瞳が丸くなる。


「えっ、えっ」


 慌てて近付く。


 見間違いじゃない。


 ちゃんと芽だった。


 数日前に蒔いたほうれん草の芽。


 土を押し上げるように顔を出している。


 朝陽は思わず両手で口を覆った。


「出てる……!」


 声が弾む。


 嬉しくてたまらない。


 ⸻


 麦が不思議そうに近寄ってくる。


 朝陽は慌てて指差した。


「見て!」


 わん?


「芽!」


 わん?


「出てる!」


 わん?


 全く伝わっていない。


 それでも朝陽は嬉しそうだった。


「ほらここ!」


「ここにも!」


「こっちにも!」


 畑のあちこちに小さな緑。


 昨日までなかった命。


 朝陽はしゃがみ込んだまま動けなくなった。


 見ているだけで幸せだった。


 ⸻


「頑張ったんだねぇ」


 自然と言葉が出る。


 芽に向かって話しかける。


「おはよう」


 風が吹く。


 小さな芽が揺れる。


 まるで返事みたいだった。


 朝陽は嬉しそうに笑う。


「うんうん」


 何度も頷く。


「ちゃんと出てきたね」


 祖父もこんな気持ちだったのだろうか。


 毎年。


 毎年。


 新しい芽を見るたびに。


 こんな風に嬉しくなっていたのだろうか。


 ⸻


 その日から朝陽はさらに忙しくなった。


 毎朝の見回り。


 水やり。


 雑草取り。


 虫チェック。


 一つ一つは地味な作業だ。


 でも嫌じゃない。


 むしろ好きだった。


 成長を見るのが楽しい。


 ⸻


 昼頃。


 畑仕事を終えて縁側で休憩していると。


 麦が庭を駆け回っていた。


 数週間前より少し大きくなっている。


 足も長くなった。


 走る速度も速くなった。


「成長期だねぇ」


 朝陽は麦を見ながら笑う。


 植物も。


 動物も。


 ちゃんと成長している。


 毎日少しずつ。


 気付かないくらいゆっくり。


 でも確実に。


 ⸻


 ふと。


 祖母の言葉を思い出した。


『生き物は急がないんだよ』


 幼い朝陽は早く大人になりたかった。


 野菜も早く育ってほしかった。


 でも祖母はいつも笑っていた。


『ゆっくりでいいんだよ』


 その意味が今なら分かる。


 芽が出るまで待つ時間。


 花が咲くまで待つ時間。


 実がなるまで待つ時間。


 その全部が大切なのだ。


 ⸻


 夕方。


 朝陽は台所で夕飯を作っていた。


 祖母のレシピノートを開く。


 今日は肉じゃが。


 じゃがいもはまだ収穫できないから買ったものだけれど。


 いつか。


 自分で育てたじゃがいもで作りたい。


 そんなことを考える。


 包丁を動かす。


 煮込みながら窓を見る。


 外は夕焼けだった。


 畑も。


 果樹園も。


 全部がオレンジ色に染まっている。


 綺麗だった。


 ⸻


 夕飯を食べ終えた後。


 朝陽は縁側へ出た。


 麦も隣に座る。


 夜風が気持ちいい。


 畑を見つめる。


 昼間は見えた芽も夜の中に溶けている。


 それでも。


 そこにあることを知っている。


 明日になればまた少し大きくなっている。


 その明日が楽しみだった。


「不思議だねぇ」


 朝陽は空を見上げる。


 星が瞬いている。


「前は明日が来るの普通だったのに」


 麦が耳を動かした。


「今は楽しみなんだ」


 植物の成長。


 麦の成長。


 この土地の変化。


 それを見られる毎日。


 朝陽は少しだけ微笑んだ。


 ⸻


 その頃。


 果樹園では。


 長い間手入れされていなかった桃の木に、小さな蕾がつき始めていた。


 祖父が大切に育てた木。


 朝陽はまだ気付いていない。


 けれど。


 春は確実に進んでいた。


 そして。


 もうすぐ朝陽は果樹園の本格的な手入れに挑戦することになる。



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