じゃがいもを植えよう
第六話 じゃがいもを植えよう
朝陽が目を覚ますと、すぐ目の前に黒い鼻があった。
「うわっ」
びくりと身体を起こす。
すると鼻の主――麦が嬉しそうに尻尾を振った。
ぶんぶんぶん。
まるで扇風機だった。
「おはよう……」
朝陽は半分眠ったまま笑う。
麦は朝陽の顔をぺろりと舐めた。
「ふふっ、近い近い」
どうやら起こしに来てくれたらしい。
朝陽は麦の頭を撫でる。
まだ小さな頭。
柔らかな毛。
撫でるたびに麦は気持ち良さそうに目を細めた。
「今日は畑の日だよ」
そう言うと。
麦は何故かやる気満々の顔になった。
もちろん意味は分かっていない。
でも朝陽にはそう見えた。
⸻
朝ご飯を食べた後。
朝陽は長靴を履き、軍手をはめた。
祖父の畑ノートを脇に抱える。
麦も後ろからついてくる。
「畑行くの?」
わんっ。
元気な返事。
朝陽は笑った。
「じゃあ一緒に行こうか」
その言葉を聞いた瞬間。
麦は庭へ飛び出した。
転びそうな勢いだった。
⸻
春の畑はまだ少し肌寒い。
土には朝露が残っている。
太陽は高く昇り始めたばかりだった。
朝陽は畑の端にしゃがみ込む。
祖父のノートを開く。
『じゃがいもは春の主役』
そう書いてあった。
思わず笑う。
「主役かぁ」
確かに。
祖父は毎年じゃがいもを植えていた。
カレー。
肉じゃが。
ポテトサラダ。
収穫すると祖母が色々作ってくれた。
思い出の味だ。
「じゃあ今年も植えようね」
誰にともなく呟く。
祖父に言ったのか。
畑に言ったのか。
自分でも分からない。
⸻
まずは畝作り。
土を耕す。
鍬を振る。
がつん。
がつん。
まだ慣れない。
数回振っただけで腕が重くなる。
「はぁ……」
息を吐く。
祖父はこれを毎日やっていた。
改めてすごいと思う。
「じいちゃん超人だったのかなぁ」
そんなことを呟きながら鍬を振る。
すると。
後ろで何かが動いた。
振り返る。
麦だった。
前足で一生懸命土を掘っている。
ざっざっざっ。
ざっざっざっ。
すごい勢いだった。
「おお」
朝陽は感心する。
「手伝ってくれてるの?」
麦は誇らしげだった。
尻尾が高速で揺れている。
⸻
しかし。
数秒後。
問題が発生した。
「……あれ?」
朝陽は目をぱちぱちさせる。
麦が掘っていた場所。
そこは。
さっき朝陽が綺麗に均した場所だった。
「麦くん」
ざっざっざっ。
「そこ掘っちゃだめだよ」
ざっざっざっ。
「麦ー?」
ざっざっざっ。
土が盛大に飛ぶ。
朝陽の服に飛ぶ。
顔にも飛ぶ。
「ぶっ」
思わず吹き出した。
麦は悪気ゼロだった。
むしろ得意げだった。
こんなに頑張っているのだから褒められると思っている。
朝陽は笑いながらしゃがみ込んだ。
「ありがとうね」
頭を撫でる。
麦は嬉しそうに尻尾を振る。
「でもそこはやり直しです」
わんっ。
全然伝わっていなかった。
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昼近くになる頃には、何とか畝が完成した。
まっすぐとは言い難い。
少し曲がっている。
高さもばらばら。
祖父が見たら笑うかもしれない。
それでも朝陽は満足だった。
「できたぁ」
額の汗を拭う。
達成感があった。
畑が少しずつ畑らしくなっていく。
それが嬉しい。
⸻
いよいよ種芋を植える。
祖父のノートを読む。
『種芋は優しく置くこと』
朝陽は少し首を傾げた。
「優しく?」
野菜なのに。
まるで赤ちゃんみたいだ。
でも祖父らしい。
朝陽は種芋を一つ手に取る。
土の上に置く。
そっと。
優しく。
「よろしくね」
自然と言葉が出る。
麦が横で見ている。
「これはじゃがいもになるんだよ」
麦は首を傾げた。
「数ヶ月後ね」
首を傾げたまま。
「たぶん覚えてないよねぇ」
ふふっと笑う。
⸻
全部植え終わった頃には午後になっていた。
春の日差しは暖かい。
少し疲れた身体に心地良かった。
朝陽は縁側に座り込む。
麦も隣に座る。
いや。
正確には倒れ込んだ。
全力で遊び疲れていた。
「お疲れ様」
朝陽は麦のお腹を撫でる。
麦はうとうとしている。
朝陽も眠くなる。
風が気持ちいい。
鳥が鳴いている。
畑には今植えたばかりのじゃがいも。
まだ何もない土。
けれど。
朝陽にはもう芽が出ているように見えた。
葉っぱが伸びて。
花が咲いて。
収穫して。
祖母のレシピで料理を作る。
そんな未来が想像できる。
「楽しみだなぁ」
ぽつりと呟く。
麦の耳がぴくりと動いた。
⸻
その時だった。
遠くから軽トラックの音が聞こえた。
見知らぬ車ではない。
朝陽は顔を上げる。
「あ」
思わず声が漏れる。
坂道をゆっくり登ってくる軽トラック。
運転席には見覚えのある人物がいた。
朝陽が子どもの頃から知っている人。
祖父の親友だった近所のおじいさん。
「おお、朝陽坊か!」
窓を開けた老人が大声で笑う。
「本当に帰ってきたんじゃな!」
その出会いが。
朝陽の山暮らしをさらに賑やかなものへ変えていくことになる。




