春の買出し
第四話 春の買い出し
数日後。
朝陽は軽トラックを走らせて町へ向かっていた。
春の陽射しは暖かく、窓から入る風が心地いい。
助手席には祖父の畑ノート。
赤信号で停まるたびにちらりと見てしまう。
「じゃがいも……玉ねぎ……」
指で文字をなぞる。
「最初はこの辺かなぁ」
祖父の字は少し癖があった。
けれど朝陽には読みやすい。
小さい頃から見慣れているからだ。
ノートを見ているだけで祖父と話している気分になる。
「じいちゃん、何植えたらいいと思う?」
もちろん返事はない。
けれど不思議と寂しくなかった。
きっと祖父なら。
『好きなの植えろ』
そう言う気がした。
⸻
町に着くと、まず農協へ向かった。
種や苗を扱う売り場は春の活気で溢れていた。
トマト。
きゅうり。
ナス。
枝豆。
色とりどりの苗が並んでいる。
朝陽は目を輝かせた。
「わぁ……」
思わず感嘆の声が漏れる。
まるで宝探しだった。
一つ一つ眺める。
葉っぱの色。
茎の太さ。
祖父ならどれを選ぶだろう。
そんなことを考えながら歩く。
結局。
じゃがいもの種芋。
玉ねぎの苗。
ほうれん草の種。
トマトの苗。
色々買ってしまった。
「植えられるかなぁ」
少し不安になる。
でも楽しみの方が大きかった。
⸻
買い物を終えた後。
朝陽は近くのホームセンターへ立ち寄った。
軍手。
肥料。
ホース。
畑で必要になりそうなものを見て回る。
店内を歩いていると。
奥の方から高い鳴き声が聞こえた。
「きゅーん」
朝陽の足が止まる。
ペットコーナーだった。
「……」
少しだけ覗く。
本当に少しだけ。
そのつもりだった。
⸻
子犬がいた。
白と茶色の毛並み。
まだ小さい。
耳が少し垂れている。
丸い目をしていた。
朝陽は何となく近付く。
子犬も近付く。
ガラス越しに目が合った。
「こんにちは」
朝陽はしゃがみ込んだ。
子犬が首を傾げる。
その仕草が可愛くて思わず笑ってしまう。
「君、小さいねぇ」
子犬は尻尾を振った。
ぶんぶんぶん。
全力だった。
朝陽は思わず吹き出した。
「そんなに振ったら取れちゃうよ」
子犬は前足でガラスを叩く。
もっと近くへ来てと言っているみたいだった。
⸻
しばらく見つめ合う。
子犬はずっと尻尾を振っていた。
朝陽が少し動けば追いかける。
しゃがめば近寄る。
立てば見上げる。
その姿が愛おしかった。
「……」
朝陽は胸の奥が少し温かくなるのを感じた。
祖父母が亡くなってから。
実家で一人暮らしをしてから。
誰かが帰りを待っていてくれる生活はなかった。
家に帰れば静かだった。
ご飯を食べるのも一人。
テレビを見るのも一人。
眠るのも一人。
慣れている。
そのはずだった。
でも。
この子がいたら。
少し違うのかもしれない。
そんなことを考えてしまう。
⸻
「抱っこしてみますか?」
突然声を掛けられた。
店員だった。
朝陽は慌てる。
「えっ、あっ」
「大丈夫ですよ」
にこにこしている。
断る理由もなくて。
気付けば朝陽は子犬を抱いていた。
「わっ」
軽い。
温かい。
ふわふわしている。
子犬はすぐ朝陽の腕に顎を乗せた。
まるで前から知っているみたいに。
安心しきった顔だった。
朝陽の心臓が少し跳ねる。
「……」
子犬が見上げる。
黒い瞳。
無邪気な瞳。
朝陽はその目を見つめ返した。
すると。
子犬がぺろりと指を舐めた。
「あ」
柔らかい舌の感触。
その瞬間だった。
胸の奥で何かが決まってしまった。
⸻
一時間後。
朝陽は契約書を書いていた。
「えへへ……」
少し照れながら笑う。
自分でも驚いている。
勢いだったかもしれない。
でも後悔は全くなかった。
店員が子犬を連れてきてくれる。
朝陽は抱き上げた。
子犬は嬉しそうに尻尾を振った。
「これからよろしくね」
子犬は小さく鳴く。
まるで返事みたいだった。
⸻
帰り道。
助手席には小さなケージ。
その中で子犬が丸くなっている。
信号待ちのたびに朝陽は覗き込んだ。
「大丈夫?」
子犬は眠そうな目を開ける。
そしてまた眠る。
その姿が可愛くて仕方ない。
「名前どうしようかなぁ」
色々考える。
空。
春。
陽だまり。
風。
どれも違う気がした。
夕方。
山へ続く道に入った頃。
麦畑の横を通り過ぎる。
春風に揺れる若い麦。
柔らかな緑色。
それを見た瞬間。
朝陽はふっと笑った。
「麦」
口に出してみる。
優しい響きだった。
「麦、どうかな?」
子犬が顔を上げる。
偶然かもしれない。
でも。
尻尾を振った。
朝陽は嬉しくなった。
「じゃあ決まり」
そう言って笑う。
「今日から君は麦だよ」
⸻
山の家へ帰る頃には夕暮れだった。
空が茜色に染まっている。
朝陽は麦を抱いて玄関の前に立った。
「ただいま」
そして少し照れながら続ける。
「新しい家族、連れてきたよ」
春の風が吹く。
庭の木々が揺れる。
祖父母が笑っている気がした。
麦は朝陽の腕の中で小さく鳴いた。
その日から。
静かだった家は少しだけ賑やかになる。
朝陽と麦。
二人の暮らしが始まった。




