誰かと食べる昼ごはん
「じゃあ、少し待っていてくださいね」
朝陽はそう言って笑うと、縁側で軽く靴を脱ぎ、
そのまま台所へ向かった。
窓から入り込む春の風が、暖簾をゆっくりと揺らしている。
台所へ立つと、不思議と肩の力が抜けた。
ここは祖母と何度も並んで料理をした場所だ。
包丁を握るたび、味噌汁の湯気を見るたび、
優しく笑う祖母の姿が思い浮かぶ。
「今日は何にしようかなぁ」
冷蔵庫を開ける。
中には朝採れのほうれん草。
昨日産みたての卵。
豆腐に油揚げ。
味噌は祖母が毎年仕込んでいた樽の最後の一つで、
今は朝陽が大切に使っている。
豪華な料理ではない。
でも、この家にはよく似合う献立だった。
朝陽は鍋へ水を張り、火をつける。
小さな炎が静かに揺れる。
その音を聞いているだけで、心が落ち着いてくる。
祖母は料理を急ぐ人ではなかった。
野菜を切る音も。
味噌を溶く仕草も。
どれもゆっくりだった。
子どもの頃、早く食べたくて隣でそわそわしていると、
祖母はいつも笑って言っていた。
「ご飯はね、急いで作るより、気持ちを込めて作る方が美味しくなるんだよ」
当時はよく分からなかった。
けれど今なら、その意味が少し分かる気がする。
朝陽も自然と手を止めず、
それでも慌てることなく包丁を動かしていた。
外では木槌を片付ける音が聞こえる。
源じいは縁側へ腰を下ろし、麦はその足元で丸くなっている。
小春は庭の草を夢中で食べていた。
時折「めぇ」と鳴く声が台所まで届く。
そのたびに朝陽は小さく笑う。
「お腹空いたのかなぁ」
もちろん、小春が食べているのは草ばかりなのだけれど。
そう考えるだけで頬が緩んでしまう。
味噌汁がふつふつと湯気を立て始めた。
ほうれん草のおひたしを器へ盛り付け、卵焼きを焼く。
甘さは少し控えめ。
祖父が甘い卵焼きより、出汁の利いた卵焼きが好きだったからだ。
昔からその味で育ってきた朝陽も、自然と同じ味付けになっていた。
最後に炊きたてのご飯を茶碗へよそう。
白い湯気がふわりと立ち上る。
その香りだけで、お腹がまた小さく鳴った。
「あはは……」
自分で笑ってしまう。
料理をしていると、どうしてこんなにお腹が空くのだろう。
祖母も同じことを言っていた気がする。
朝陽は盆へ料理を並べ、縁側まで運んだ。
「源じい、お待たせしました」
「おぉ」
源じいは並べられた料理を見るなり、目を細めた。
「ええ匂いじゃなぁ」
「家にある物ばかりなんですけど」
「それが一番贅沢なんじゃ」
その言葉に朝陽は少し照れながら笑った。
畑で採れた野菜。
庭で育った葱。
近所で分けてもらった豆腐。
昔から変わらない食卓。
祖父母も、きっとこんな昼ご飯を囲んでいた。
二人は手を合わせる。
「いただきます」
同時に声が重なる。
その瞬間、朝陽は胸の奥がじんわり温かくなった。
誰かと一緒に「いただきます」を言うのは、いつぶりだろう。
一人で食べるご飯も嫌いではない。
でも、こうして向かい合って食べるだけで、
同じ料理が少しだけ美味しく感じられる。
源じいは味噌汁を一口飲むと、ゆっくり息を吐いた。
「うまい」
その一言だけだった。
けれど朝陽には十分だった。
「本当ですか」
「ばあさんの味によく似とる」
その言葉に、朝陽は思わず箸を止めた。
少しだけ驚いて、それから嬉しそうに笑う。
「子どもの頃から教えてもらってたので」
「ちゃんと受け継いどるんじゃな」
朝陽は照れくさそうに頷いた。
祖母ほど上手ではない。
でも、同じ味を残したいと思っていた。
この家で暮らすなら、この味も守っていきたい。
そんな気持ちが、少しずつ料理にも表れているのかもしれなかった。
縁側へ春風が吹き抜ける。
庭では麦が気持ち良さそうに昼寝を始め、
小春は相変わらず草を食べながら、時々こちらを不思議そうに眺めている。
穏やかな昼の時間が、ゆっくりと流れていく。
朝陽は温かい味噌汁をもう一口飲みながら思う。
祖父母が大切にしてきたこの暮らしは、
特別なことをする毎日ではなく、
こんな何気ない時間の積み重ねだったのだと。
改めて静かに感じていた。




