お昼ごはんの時間
朝から始めた小春の小屋作りは、
思っていた以上にゆっくりとしたペースで進んでいた。
源じいは慣れた手つきで木材の長さを測り、
朝陽はその横で一つひとつ教わりながら金槌を握る。
急いで完成させることは考えていない。
むしろ、この時間そのものを楽しんでいるようだった。
庭へ響く金槌の音は山へ吸い込まれていき、
代わりに鳥のさえずりや風が木々を揺らす音が優しく返ってくる。
朝陽はその静かな音に耳を澄ませながら、
改めてこの土地へ戻ってきて良かったと思っていた。
街で暮らしていた頃は、朝から車の音や人の話し声が絶えなかった。
それも嫌いではなかったけれど、
今こうして自然の音だけに包まれていると、
自分にはやっぱりこちらの暮らしが合っているのだと感じる。
祖父母と過ごした十六年間は、
知らないうちに自分の心の土台になっていたのだろう。
「朝陽、その板持ってみい」
源じいに呼ばれ、朝陽は「はい」と返事をして木材を持ち上げる。
思っていたよりも少し重く、腕へずしりと重みが伝わってきた。
「このくらいですか」
「そうそう、そのまま動かさんようにな」
源じいは慣れた手つきで木材を固定すると、
あっという間に釘を打ち込んでいく。
無駄のない動きに朝陽は何度見ても感心してしまう。
「源じいは本当に何でもできるんですねぇ」
思わずそう言うと、
源じいは少し照れたように鼻を鳴らした。
「長く生きとるだけじゃ」
「それでもすごいですよ」
朝陽は素直にそう思っていた。
祖父もそうだった。
何か困ったことがあれば、気付けば直してしまう。
壊れた椅子も。
畑の柵も。
井戸の蓋も。
子どもの頃の朝陽には魔法みたいに見えていた。
だから今、
自分も少しずつ道具を使えるようになることが嬉しい。
祖父に少しだけ近付けたような気がするからだった。
作業を続けていると、
庭の隅では麦と小春が仲良く遊び始めていた。
最初は小春に押されっぱなしだった麦も、
最近では少しだけ慣れてきたらしい。
小春が頭をぶつけてくると、軽く身をかわして逃げる。
それを小春が追い掛ける。
しばらくすると二匹とも疲れたのか、
今度は並んで草の上へ寝転んでいた。
その姿があまりにも微笑ましくて、
朝陽は思わず作業の手を止める。
「仲良くなったねぇ」
優しく呟くと、麦が尻尾を一度だけ振った。
小春も「めぇ」と小さく鳴く。
返事をしているようで、朝陽は自然と笑顔になった。
「朝陽」
源じいがふと声を掛ける。
「はい」
「お前さんは笑うようになったな」
突然の言葉に朝陽はきょとんとした。
「え?」
「ここへ戻ってきた頃は、笑っとるがどこか寂しそうじゃった」
源じいは木材を削りながら静かに続ける。
「じいさんもばあさんもおらん家へ、一人で帰ってきたんじゃもんな」
朝陽は返事をしなかった。
いや、できなかった。
その言葉が胸へすっと入り込んできたからだ。
確かにそうだった。
祖父母が亡くなってから
初めてこの家へ戻った日は、とても静かだった。
誰も「おかえり」と言ってくれない。
台所から料理の匂いもしない。
縁側には祖父の姿もない。
広い家が急に知らない場所になったような気がして、とても寂しかった。
けれど。
今は違う。
庭では麦が駆け回り、小春が草を食べ、
畑には野菜が育ち、果樹園には新しい実が膨らみ始めている。
毎日やることがあって、毎日笑うことがある。
祖父母はいない。
でも、祖父母が大切に守ってきた暮らしはちゃんと残っていた。
朝陽は穏やかに微笑んだ。
「ここへ帰ってきて良かったって、毎日思います」
その一言に、源じいは何も言わなかった。
ただ、小さく頷くだけだった。
その頷きだけで十分だった。
しばらくすると、朝陽のお腹が小さく鳴いた。
静かな庭だったから、自分でも驚くほどはっきり聞こえてしまう。
「あ……」
思わず照れ笑いを浮かべる。
源じいは堪えきれずに笑った。
「腹は正直じゃな」
「朝から動いてたら、お腹空いちゃいました」
「もう昼じゃ」
朝陽は空を見上げる。
いつの間にか太陽は真上まで昇り、
柔らかな春の日差しが庭いっぱいへ降り注いでいた。
夢中になると時間はあっという間に過ぎてしまう。
子どもの頃もそうだった。
祖父と畑仕事をしていると、
祖母が縁側から大きな声で呼んでくれた。
『朝陽、ご飯できたよ』
『はーい』
祖父と顔を見合わせて笑いながら
手を洗いに行ったあの日のことを、朝陽は今でも鮮明に覚えている。
その記憶が胸に浮かび、自然と口元が緩んだ。
「源じい」
「なんじゃ」
「良かったら、お昼食べていきませんか」
朝陽は少し照れくさそうに笑う。
「朝採れのほうれん草もありますし、卵もあるので、簡単なものしか作れませんけど」
源じいは少し驚いたような顔をしたあと、ふっと優しく笑った。
「朝陽の飯なら、ご馳走じゃ」
その言葉が嬉しくて、朝陽はまるで子どものように嬉しそうな笑顔を浮かべた。
「じゃあ、すぐ作りますね」
そう言って家へ向かう朝陽の後ろを、
料理の気配を察した麦が尻尾を大きく振りながらついていく。
さらに、その後ろを何も分かっていない小春が
「めぇ」と鳴きながらのんびり歩いていく。
そんな三人の後ろ姿を見つめながら、源
じいは懐かしそうに目を細め、小さく呟いた。
「本当に……あいつらによう似とる」




