じいちゃんの金槌
第十七話 じいちゃんの金槌
源じいが手伝ってくれることになったその日、
小春の小屋作りは思っていた以上にゆっくりと進んだ。
いや、進んだというよりも。
朝陽にとっては、作業そのものよりも
その時間が何より大切だったのかもしれない。
庭の片隅に運んだ木材の上へ腰を下ろし、源じいが寸法を測る様子を眺めながら
朝陽は何度も「なるほどなぁ」と感心していた。
木を切る長さひとつ取っても理由がある。
柱の位置にも意味がある。
屋根の角度にも意味がある。
ただ組み立てれば良いわけではないらしい。
雨の日に水が流れるように。
風の日に倒れないように。
夏は涼しく。
冬は暖かく。
動物が安心して眠れるように。
祖父もこんなことを考えながら家や小屋を作っていたのだろうか。
そう思うと、今まで何気なく見ていた庭の物置や薪棚まで違って見えてきた。
朝陽は改めて周囲を見渡した。
───
祖父母の家は決して新しくない。
むしろ古い。
壁には年月が刻まれているし、柱にも傷がある。
けれど不思議と居心地が良い。
夏は風が抜ける。
冬は日向が暖かい。
縁側へ座れば庭が見える。
台所からは畑が見える。
どこにいても自然と外の景色が目に入る。
子どもの頃は当たり前だと思っていた。
でも今なら分かる。
祖父はたくさん考えて作ったのだ。
家族が気持ち良く暮らせるように。
毎日が少しでも楽しくなるように。
「すごいなぁ……」
思わず呟く。
すると近くで木材を削っていた源じいが振り返った。
「何がじゃ」
「じいちゃんです」
源じいは少し目を細めた。
そして庭を見渡す。
果樹園。
畑。
縁側。
納屋。
長年見慣れた景色だった。
「まあ、あいつは器用じゃったな」
ぽつりと言う。
その声はどこか懐かしそうだった。
朝陽は嬉しくなった。
祖父の話を聞くのが好きだった。
自分の知らない祖父を知れるから。
「若い頃から何でも作ってたんですか?」
朝陽が尋ねる。
源じいは笑った。
「いや、最初は失敗だらけじゃ」
「そうなんですか?」
「物置を作ったら雨漏りしたし、柵を作ったら牛に壊された」
朝陽は思わず吹き出した。
完璧だった祖父しか知らない。
だから少し意外だった。
「じいちゃんでもそんなことあるんですねぇ」
「あるある」
源じいは大きく頷いた。
「何回も失敗して覚えたんじゃ」
その言葉は朝陽の胸に残った。
最近の自分を思い出す。
畑でも失敗した。
果樹園でも失敗した。
小春の小屋だって、源じいに見せた瞬間「屋根落ちるぞ」と言われた。
でも。
それでいいのかもしれない。
祖父だって最初は失敗したのだから。
朝陽は少し肩の力が抜けた気がした。
───
昼近くになる頃には柱を立てる作業が始まった。
源じいが支え、朝陽が釘を打つ。
その役割分担だった。
「真っ直ぐじゃぞ」
「はい」
朝陽は金槌を握る。
手の中に伝わる重み。
祖父の金槌だった。
子どもの頃、納屋で見ていた道具。
祖父が握っていた道具。
今は自分が握っている。
そう思うだけで少し不思議な気持ちになる。
釘の頭へ慎重に当てる。
こん。
こん。
こん。
最初は弱く。
少しずつ強く。
慎重に。
丁寧に。
すると。
かんっ。
釘ではなく自分の指を叩いた。
「いたっ」
朝陽が顔をしかめる。
源じいが吹き出した。
「初心者じゃなぁ」
「痛いです……」
朝陽は指を押さえながら苦笑した。
麦が心配そうに近寄ってくる。
小春も近寄ってくる。
二匹とも朝陽の周りをうろうろしていた。
「大丈夫だよ」
朝陽は笑いながら二匹を撫でた。
すると麦がぺろりと指を舐める。
小春も真似をする。
少しくすぐったい。
でも嬉しかった。
なんだか本当に家族みたいだった。
───
午後になると、庭には木の香りが漂い始めた。
切り出した木材の匂い。
削った木屑の匂い。
春の風に乗って流れていく。
朝陽はその匂いが好きだった。
幼い頃の記憶が蘇るからだ。
祖父が納屋で作業している音。
祖母がお茶を持ってくる姿。
自分は縁側で遊んでいて。
飽きたら祖父の隣へ行って。
また飽きたら果樹園へ走っていく。
そんな何でもない日々。
当たり前だった時間。
今思えば宝物みたいな時間だった。
「朝陽」
ふと源じいが呼ぶ。
「はい?」
「見てみい」
顔を上げる。
そこには柱が立っていた。
まだ一本だけ。
小さな柱。
けれど確かにそこに立っている。
朝陽は思わず目を輝かせた。
「おぉ……」
子どもみたいな声が出る。
たった一本なのに嬉しい。
何もなかった場所に形が生まれている。
小春の家が少しずつ出来ていく。
それが楽しかった。
源じいはそんな朝陽を見て笑う。
「まだ柱一本じゃぞ」
「でも嬉しいです」
「早いな」
「だって小春のおうちですし」
朝陽は照れたように笑った。
すると少し離れた場所で草を食べていた小春が顔を上げた。
まるで自分の話をされたことが分かったみたいだった。
───
夕方になる頃には、柱が数本立ち、小屋の輪郭がほんの少し見え始めていた。
完成まではまだ遠い。
けれど急ぐ必要はなかった。
朝陽は知っている。
畑もそうだった。
果樹園もそうだった。
何でも少しずつ育っていく。
時間をかけて。
ゆっくりと。
だからこの小屋も同じでいい。
祖父母が大切にしていたこの土地で。
麦と小春と一緒に。
一歩ずつ作っていけばいいのだ。
沈み始めた夕日が庭を橙色に染める中、
朝陽は立ち並び始めた柱を見上げながら
胸の奥に静かな幸せが広がっていくのを感じていた。




