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朝の水やり

 

 翌朝、朝陽が目を覚ました頃には、

 障子の向こうはもう柔らかな光で満ちていた。


 小鳥のさえずりが遠くから聞こえ、開け放した窓からは、

 ひんやりとした朝の空気が部屋へ静かに流れ込んでくる。


 朝陽は布団の上でゆっくりと身体を起こした。


 まだ少し眠たそうに目をこすりながら、大きく背伸びをする。


 身体を伸ばすと、窓の外から風が頬を撫でていった。


「気持ちいい朝だなぁ」


 思わずそう呟いて、小さく笑う。


 この家へ戻ってきてから、朝が好きになった。


 目覚まし時計より先に鳥が鳴く。


 カーテンではなく障子が朝日を柔らかく通す。


 静かな朝に耳を澄ませる時間が、

 今では朝陽にとって一日の始まりになっていた。


 着替えを済ませて縁側へ出ると、

 麦が大きく尻尾を振りながら駆け寄ってきた。


「おはよう、麦」


 頭を優しく撫でると、麦は嬉しそうに朝陽の手へ顔を擦り寄せる。


 その少し後ろでは、小春が庭の隅で草を食べていた。


 朝陽に気付くと顔を上げ、「めぇ」と一声鳴いてから、

 また夢中になって草を食べ始める。


 その姿に思わず笑みがこぼれた。


「小春は朝ご飯の途中だったんだねぇ」


 まず向かったのは畑だった。


 朝の水やりは、この頃の朝陽の日課になっている。


 井戸水を汲み、じょうろへ移し、

 一列ずつゆっくりと野菜へ水を与えていく。


 土へ水が染み込む音はとても静かだった。


 乾いていた土が少しずつ色を変え、朝日を受けて小さく光る。


 朝陽はしゃがみ込み、ほうれん草の葉へそっと触れた。


 数日前よりも少し大きくなっている。


 葉には艶があり、朝露が宝石のように光っていた。


「元気に育ってるねぇ」


 自然と声が優しくなる。


 相手が野菜でも、朝陽は話しかける癖があった。


 祖母もそうだった。


 畑へ出るたび、

「今日もよろしくね」「大きくなったね」と野菜へ話しかけていた。


 子どもの頃は不思議に思っていたけれど、

 今は朝陽も同じことをしている。


 きっと、育てるということは、毎日声を掛けたくなることなのだろう。


 畑を一回りすると、今度は果樹園へ向かう。


 桃の木は、少しずつ春の終わりを教えてくれていた。


 青々としていた葉はさらに茂り、

 小さな実も少しずつ膨らみ始めている。


 まだ青くて固い。


 それでも、毎日見ている朝陽には確かな成長が分かった。


「あと少ししたら、もっと大きくなるのかなぁ」


 枝へ手を添えながら、小さく微笑む。


 祖父はよく言っていた。


『毎日見とると、小さな変化が分かるようになる』


 その頃は意味が分からなかった。


 昨日と今日で何が違うのか、

 子どもの朝陽には見分けられなかったからだ。


 けれど今は違う。


 葉の色。


 枝の張り。


 土の乾き具合。


 少しずつ季節が進んでいることを、この果樹園が教えてくれる。


 風が吹いた。


 青葉が一斉に揺れる。


 どこからか若葉の青い香りが運ばれてきた。


 朝陽は目を閉じ、ゆっくりと深呼吸をする。


 土の匂い。


 草の匂い。


 木々の香り。


 全部が懐かしかった。


 子どもの頃、この匂いに包まれながら祖父の後ろを歩いていた。


 虫を見つけては立ち止まり、

 花を見つけてはしゃがみ込み、祖父を何度も待たせていた。


 それでも祖父は怒らなかった。


 少し先で立ち止まり、笑いながら待っていてくれた。


 そんな優しい時間を思い出し、朝陽はふっと笑う。


「今日は、小屋作りの続きをしようかな」


 誰に言うでもなく呟く。


 その声に反応したように、

 遠くから「わふっ」と麦の元気な鳴き声が聞こえてきた。


 振り返ると、麦は小春を連れて畑の手前まで走って来ていた。


 朝陽は二匹へ手を振る。


「おいで」


 その一言だけで、二匹は嬉しそうに駆け寄ってくる。


 朝の柔らかな日差しの中、

 土を踏みしめながらこちらへ向かってくるその姿を見つめていると、

 朝陽は胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じていた。


 この場所には、祖父母との思い出がたくさん残っている。


 そして今は、麦や小春と過ごす新しい思い出が、

 少しずつ、ゆっくりと増え始めていた。




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