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新しい家族

 

 第十三話 新しい家族


 牧場からの帰り道、朝陽は何度も助手席の方へ視線を向けていた。


 細い山道をゆっくりと走りながらも、気付けば隣を見てしまう。


 助手席には小さなキャリーケース。


 その中では白い子ヤギが丸くなって座っていた。


 最初は緊張していたらしいが、しばらくすると落ち着いたようで、

 時々顔を上げては朝陽の方を見ている。


 目が合うと、小さく鳴く。


「めぇ」


 まだ幼い、高くて柔らかな声だった。


 朝陽は思わず頬を緩める。


「もう少しだからねぇ」


 そう声を掛けると、子ヤギは分かっているのかいないのか、再び小さく鳴いた。


 その姿が可愛くて仕方ない。


 けれど同時に、胸の奥では少しだけ緊張もしていた。


 生き物を迎えるということは、家族を迎えるということだ。


 祖父母と暮らしていた頃にも、犬や鶏を飼っていたことはある。


 だからこそ分かる。


 可愛いだけでは駄目なのだ。


 毎日の世話も必要だし、お金も掛かる。


 病気になることだってある。


 最後まで責任を持たなければならない。


 朝陽は牧場で何度も質問した。


 餌のこと。


 病気のこと。


 小屋のこと。


 冬の寒さ対策のこと。


 牧場の人も驚くくらい真剣に聞いた。


 その上で決めたのだ。


 この子と一緒に暮らそう、と。


 祖父が昔言っていた言葉を思い出す。


『生き物はな、飼うんじゃなくて一緒に暮らすんだぞ』


 子どもの頃は意味がよく分からなかった。


 けれど今なら分かる。


 朝陽は小さく笑った。


「よろしくね」


 そう呟くと、子ヤギはキャリーの中で耳をぴくりと動かした。


  ───


 やがて見慣れた山道へ入る。


 田んぼが見える。


 川が見える。


 遠くには祖父母と何度も歩いた山が見える。


 そして坂道の向こうに、大好きな家が見えてきた。


 古い瓦屋根。


 広い庭。


 果樹園。


 畑。


 祖父母の思い出が詰まった場所。


 朝陽は胸の奥が少しだけ温かくなるのを感じた。


「ただいま」


 誰に聞かせるでもなく呟いた。


 家へ帰るたびに言う言葉だった。


 祖父母はいない。


 けれど今でも言いたくなる。


 そうすると、ちゃんと帰ってきた気がするのだ。


 軽トラックを停めてエンジンを切る。


 山の静けさが戻ってくる。


 風が木々を揺らす音。


 鳥の鳴き声。


 遠くで流れる川の音。


 聞き慣れた故郷の音だった。


 そして。


「麦ー」


 朝陽が呼ぶ。


 次の瞬間だった。


 庭の向こうから黒い影が飛んでくる。


 ものすごい勢いだった。


 まるで弾丸みたいに駆けてくる。


「わふっ!」


 麦だった。


 毎日見ているはずなのに、朝陽を見つけるたびに全力で走ってくる。


 その姿が可愛くて仕方ない。


 朝陽はしゃがみ込み、飛び付いてきた麦を受け止めた。


「ただいま」


 頭を撫でる。


 麦は嬉しそうに尻尾を振った。


 身体全体が揺れるほどの勢いだった。


 その様子を見ているだけで自然と笑顔になる。


 けれど麦はすぐに気付いた。


 朝陽の後ろにある見慣れないキャリーケースに。


 尻尾が止まる。


 耳が立つ。


 じっと見つめる。


 朝陽も少し緊張した。


「えっとね」


 麦に話しかける。


「新しい家族なんだけど」


 もちろん意味は分からない。


 けれど何となく空気は感じ取ったらしい。


 麦は慎重に近付いていく。


 キャリーケースの中から小さな鳴き声が聞こえる。


「めぇ」


 麦の動きが止まった。


 朝陽も思わず息を飲む。


 大丈夫かな。


 仲良くなれるかな。


 喧嘩しないかな。


 そんなことを考えながら見守る。


 やがて麦は鼻を伸ばした。


 くん。


 くんくん。


 子ヤギも負けていない。


 同じように鼻を伸ばしてくる。


 黒い鼻同士がちょこんと触れた。


 朝陽は思わず微笑んだ。


 なんだか挨拶をしているみたいだった。


 その瞬間だった。


 どんっ。


「めぇ!」


 元気いっぱいの声。


 そして小さな頭突き。


 子ヤギが麦の鼻先に頭をぶつけたのである。


 朝陽は目を丸くした。


 麦も目を丸くした。


 数秒の沈黙。


 次の瞬間。


「わふっ!?」


 麦が飛び退いた。


 まるで雷に打たれたみたいな勢いだった。


 朝陽は吹き出してしまう。


「麦、負けてる」


 子ヤギの方が圧倒的に小さい。


 なのに完全に押されている。


 麦は納得いかない顔をしていたが、再び近付く勇気は出ないらしかった。


 そんな麦を見ているうちに、朝陽の笑いはますます大きくなった。


  ───


 その日の夜。


 朝陽は縁側に座って夜風に当たっていた。


 昼間は暖かかったが、山の夜はまだ少し肌寒い。


 空には満天の星が広がっている。


 都会では見えなかった星々だ。


 祖父母と一緒によく眺めた夜空。


 何年経っても変わらない景色だった。


 足元には麦がいる。


 少し離れた場所には子ヤギがいる。


 まだ距離はある。


 けれどお互い気になっているらしく、時々ちらちら見ている。


 その様子がなんだか微笑ましかった。


「名前どうしようかなぁ」


 朝陽は空を見上げながら呟く。


 家族になるのだから名前が必要だ。


 せっかくなら大切に呼べる名前がいい。


 祖父母だったら何て付けただろう。


 そんなことを考える。


 風が吹く。


 山の匂いがする。


 春の終わりの優しい風だった。


 その時だった。


 子ヤギがとことこと歩いてきた。


 そして朝陽の膝に顎を乗せる。


 柔らかな毛。


 温かい体温。


 無邪気な瞳。


 朝陽はその白い身体を見つめながら、ふと一つの名前を思い付いた。


「……小春」


 自然と口から零れた。


 春の終わりにやって来た子。


 春の日差しみたいに優しい色をした子。


「小春」


 もう一度呼ぶ。


 すると。


「めぇ」


 まるで返事みたいな声が返ってきた。


 偶然なのだろう。


 それでも朝陽は嬉しくなった。


「小春かぁ」


 小さく笑う。


 しっくりきた。


 とても。


「よろしくね、小春」


 優しく頭を撫でる。


 小春は気持ち良さそうに目を細めた。


 その隣では麦が少しだけ不満そうな顔をしていた。


 朝陽が小春ばかり見ているからだ。


「麦もよろしくねぇ」


 慌てて頭を撫でると、麦はすぐに機嫌を直した。


 単純で可愛い。


 朝陽は二匹を見ながら笑った。


 少し前まで一人だった家。


 今は隣に麦がいて、小春がいる。


 畑には野菜が育ち、果樹園には桃の蕾が膨らみ始めている。


 祖父母が残してくれたこの場所で、新しい思い出が少しずつ増えていた。


 春はもう終わろうとしている。


 けれど朝陽の暮らしは、今ようやく始まったばかりだった



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