花屋のリリー
「それ、似合ってるね」
朝食の席でミアが言った。
「そうか」
アルビーは自分の上着へ目を向ける。
昨日買った仕事着だった。
ミアは嬉しそうに頷いた。
「新しい服、欲しいか?」
「うん、欲しい」
「どんなのがいいんだ?」
「あのね、リリーが着てる服」
ミアは少し身を乗り出した。
「すごく可愛いんだよ」
◇
共同倉庫へ向かう道。
新しい靴が石畳を踏む。
買ったばかりの仕事着も体に馴染んでいた。
ほんの少しだけ足取りが軽い。
荷を運んでいる作業員とすれ違う。
「おう」
男が手を上げる。
アルビーも小さく手を上げた。
男はそのまま通り過ぎていく。
孤児院組や休憩中に見知った顔は、よく声を掛けてくれるようになっていた。
◇
数日が過ぎた。
新しい靴にも慣れてきていた。
市場へ荷物を運ぶ、時には工房区へ行くこともある。
そんな日々が続いていた。
「アルビー」
ベイルが声を掛けた。
「あとで話がある」
◇
昼休み。作業員はそれぞれ食事を始めていた。
アルビーも腰を下ろす。
そこへベイルがやって来た。
「さっきの話だ」
アルビーは顔を上げる。
「市場のパン屋から配達の依頼が来ている」
「依頼ですか」
ベイルは頷いた。
「エレノアには話してある。優先して構わんそうだ」
共同倉庫は?
「お前に回している仕事は元々他の連中がやっていた仕事だ。パン屋の配達を優先しろ」
ベイルは続ける。
「終わって時間があればこっちへ来い」
「わかりました」
「こんにちは」
近くから声がした。
アルビーが振り向く。
昼食の籠を持った娘が立っていた。
何度か見たことのある顔だった。
「私はハンナ」
娘は軽く頭を下げた。
「アルビーです」
「うん。ベイルさんから聞いてるよ」
ハンナはそう言って笑った。
「明日からなんだけど。しばらく配達を手伝って貰えませんか?」
アルビーは少し考えた。
「わかりました」
ハンナの顔が明るくなる。
「本当?」
アルビーは頷いた。
「よかった」
ベイルが口を開く。
「配達先や時間は向こうで説明する」
「はい」
「明日の朝、一度店へ行け」
「わかりました」
ハンナは頷く。
「朝には準備しておくから」
◇
翌朝、アルビーはパン屋へ向かった。
店の外には香ばしい香りが漂っていた。
「いらっしゃい」
女性の声に迎えられ、中へ入る。
店内には数人の客がいた。
奥のカウンターでは、一人の女性が客の相手をしていた。
アルビーは少し離れた場所で待つ。
やがて客が店を出ていった。
「アルビーです」
「ああ、ハンナから聞いているわ」
女性はそう言って笑った。
その時、奥から足音が聞こえた。
「来た?」
ハンナだった。
アルビーを見ると笑う。
「おはよう」
「おはようございます」
「来てくれてありがとう、ちょっと待ってて」
ハンナは店の奥へ向かって、籠を抱えて戻って来た。
「まずは工房区の配達が二件」
カウンター横へ置いた籠の中を指差した。
「それから花屋」
アルビーは頷く。
どれも知っている場所だった。
「空籠は持って帰ってきて」
「わかりました」
アルビーは籠を持つ。
「じゃあお願い」
「行ってきます」
母親はその背中を見送った。
「信用できそうね」
ハンナは笑った。
「ちゃんとしてたもの」
◇
アルビーは籠を抱えて店を出た。
いつもの木箱とは勝手が違う。
籠が大きく揺れないように歩く。
人とぶつからないよう足元にも気を配った。
工房区の配達を終える。
少し軽くなった籠を抱え、市場へ戻る。
残る包みは小さな一つだった。
市場の通りを歩いていると、やがて花の香りが漂ってきた。
見慣れた店先だった。
◇
客を見送る。
花を抱えた年配の女性は通りの向こうへ消えていった。
「ありがとうございました」
リリーは頭を下げる。
店先から人影がなくなる。
ふと息を吐いたその時、銀色の髪が目に入る。
籠を抱えた少年がこちらへ歩いてくる。
リリーは小さく瞬きをした。
仕事着を着た少年は、前より少しだけ大人びて見えた。
◇
アルビーは籠を少し持ち上げた。
「パン屋の配達で来た」
「え?」
アルビーは首を傾げる。
リリーは小さく首を振って、籠へ視線を落とした。
「ハンナのところだよね?」
アルビーは頷く。
「今日から手伝うことになった」
◇
「中へどうぞ」
そう言って店の中へ入る。
アルビーも後に続いた。
店内には花だけではなく、鉢植えや苗も並んでいた。
見慣れない植物もある。
奥の棚には乾燥させた植物が吊るされていた。
花の香りに混じって、少し違う匂いもする。
「こっち」
リリーは店の奥へ歩く。
「ここに置いて」
アルビーは籠から包みを取り出した。
作業台へ置く。
「ありがとう」
アルビーは頷く。
少しだけ沈黙が落ちた。
リリーは包みへ視線を落とした。
「倉庫でも働いてるんだって」
「ああ」
「忙しいね」
アルビーは少し考えた。
「そうだな」
「パン屋も?」
「頼んでもらえたから」
リリーは少し笑った。
アルビーも少し笑う。
「じゃあ行く」
「うん」
アルビーは空になった籠を持ち直した。
「またな」
「またね」
◇
「おかえり」
アルビーは空になった籠を差し出した。
「終わりました」
「ありがとう」
ハンナは籠を受け取る。
「夕方の配達もお願いできる?」
「わかりました」
ハンナの顔が明るくなる。
◇
共同倉庫へ戻る。
ベイルは帳簿に目を落としていた。
金属のペン先が紙を擦る。
アルビーに気付くと顔を上げた。
「来たか」
「はい、夕方にも配達があります」
ベイルは小さく頷く。
「そうか。間に合うよう上がれ」
アルビーは頷いて、木箱を抱える。
◇
気付けば日が傾き始めていた。
市場を歩く人の流れは少しずつ変わっていった。
店先へ並べた鉢植えを一つずつ店内へ運ぶ。
足を止めた客を迎え入れ、包んだ花を丁寧に渡して見送る。
ふと視界の先を銀色の髪が横切った。
人混みの向こうを足早に歩いていく。
しばらくして見えなくなった。
日がさらに傾く。
市場の店々も少しずつ片付けを始めていた。
箒を動かし、土や葉を集める。
ふと通りを見る。
また銀色の髪が見えた。
通りの向こうへ消えていく背中を、見えなくなるまで目で追った。
◇
「お母さん、おやすみなさい」
「おやすみ、リリー」
自分の部屋へ戻ったリリーは、寝台へ横になった。
今日の出来事を思い返す。
何度か見かけた銀色の髪。
あの時の言葉。
(……頼んでもらえたから)
リリーは小さく呟く。
「頼んでもらえたから……」
少しだけ口元を緩めた後、目を閉じた。




