3話 金貨1枚の報酬
ミリアは机に向かい翻訳の仕事をしている。ナタリーは何度も視線をあげては、ミリアの様子を確認する。
ミリアは真剣に、でも楽しそうに羽根ペンを動かし翻訳の仕事をしている。
大きな机に、大きな書物。
手に持つ羽根ペンすら大きい⋯⋯。
(本や書物がミリアお嬢様は好きなのですね⋯⋯)
ナタリーはミリアを眺めながら、伯爵家の朝の出来事を考えていた。
(食事を本邸から運べるようにしたいけれど、ミリアお嬢様は伯爵家が用意する食事は取らないかもしれない⋯⋯。離れに台所はあるから、使えるようにしなくては)
ナタリーは帰ってから離れをミリアの過ごしやすいように整えようと、あれこれ考えていた。
その時、扉がノックされカルロスが帰ってきた。
「お帰りなさいませ」
ナタリーは席を立ち頭を下げ、カルロスを出迎えた。
カルロスはナタリーに、
「ただいま。ミリアはどうだい?」
そうナタリーに声をかけながら入って来た。
ナタリーがミリアの事を話そうとすると、カルロスの後ろから一人の男性が入って来た。
質素な装いをしているが、多分高位貴族だろうとナタリーは察した。
だが、身分を知られたくないのだろうとも予測し丁寧に、だが軽く頭を下げた。
男性はナタリーが自分の意図に気が付いた事を理解している様子に、ニッコリ微笑み頷いた。
「ミリアお嬢様はずっとあのままです。楽しそうに翻訳をされています」
ナタリーがカルロスに報告をする。
「やはりな」
カルロスはミリアの仕事をする様を暫し眺めた。
カルロスの横を男性が通り過ぎると、ミリアの机にそっと近付きミリアの手もとを眺め始めた。
眺めながら彼の姿勢がどんどん前のめりになり、ミリアの書いた本へと吸い込まれて行く。
「どうだ?素晴らしいだろう?」
カルロスが男性に声をかけると、彼は視線をゆっくりとカルロスに向ける。
「完璧だ。完璧過ぎる!素晴らしい翻訳をするな」
彼が側で声を出したため、ミリアも気が付き顔をあげた。
「あ!お帰りなさい。カルロスさん」
カルロスに声をかけ椅子から降りると隣の男性にも挨拶をする。
「こんにちは。ミリアといいます」
と、小さな体でペコリと頭を下げ挨拶をした。
「こんにちは。ミリアさんだね。私はアドルフだ。宜しく」
アドルフと名乗る彼は、ミリアの頭を撫でた。
ミリアがアドルフに視線を合わせると、小さいのでどうしても上目遣いになる。
そんなミリアがニコリと微笑んだ。
アドルフはミリアが可愛かったのか、いきなり抱き上げ自身の左腕に座らせた。
「ミリアちゃんと呼んでも?」
アドルフがミリアに問いかけると、
「はい」と返事を返した。
アドルフはミリアを抱えたまま、部屋の本棚の前に移動する。
「ミリアちゃんは他国の言葉はどれが解るのかな?」
そう言うと、ミリアに理解出来る本はどれかを選ばせた。
アドルフがナタリーに視線をやり、ミリアが選んだ本を運ぶように視線で支持をする。
ナタリーはテーブルに本を並べると、近くに控えた。
カルロスが席に着きアドルフも席に着くのだが、ミリアを膝に乗せてしまう。
カルロスの苦笑いに気が付いたアドルフだが、
「ミリアちゃんは小さい。これなら本も見やすいだろう?」
満足気にミリアを膝に乗せ、頭を撫でている。
「まぁ良い。ミリアの知識がどれ程か知りたいのだろう?」
カルロスがアドルフに問いかけた。
アドルフは頷き、本を開くと一節に指を差しミリアに読ませた。
次々と本を変えながら暫くそれが続く。
すると、アドルフが突然他国の言葉でミリアに話しかけた。
次々に話しかける言葉は、数カ国語になる⋯⋯。
ナタリーは言葉が違う事だけは解った。
流暢にアドルフと会話をするミリアに驚いてしまう。
「どうだ?」
カルロスがアドルフに確認をする。
「素晴らしいね。良いよ。これからはミリアちゃんに任せよう」
カルロスがアドルフに手を差し出し二人は握手を交わした。
話の内容はミリアもナタリーにも解らないが、取引が上手く行った事をミリアとナタリーは理解した。
カルロス達が話をしようとしたその時。
「ぐうぅぅー⋯⋯」
ミリアのお腹が大きくなった。
ミリアはお腹を押さえて、俯いてしまう。
耳まで真っ赤にして恥ずかしさに顔をあげれないミリアに、ナタリーは慌てて庇護する。
「お嬢様は朝から何も口にされていないのです!それに、邸からここまで歩きましたので」
ナタリーの言葉に、カルロスが渋い顔をした。
「伯爵家では食事が出ないと?」
カルロスの言葉にナタリーは首を振り否定する。
「いえ。伯爵様は家族を拒否されたお嬢様に食事だけは一緒にと言われました。
ですが、マリアンネお嬢様が泣いて同席を嫌がられた為に、ミリアお嬢様は直ぐ様本邸を出られまして、そのままこちらに向かわれました」
耳を真っ赤にしたミリアをアドルフは優しく頭を撫でた。
「お腹が空いたならお腹がなるのは当たり前だ。気にしないで大丈夫だ。それより私も腹が減った。カルロス。食事に出よう。四人でな!」
その言葉に顔を赤くし恥ずかしさで瞳を潤ませたミリアが、アドルフを上目遣いで見つめた。
「アドルフさん。ありがとうございましゅっ」
噛んだ⋯⋯。(((めちゃくちゃ可愛い!!)))
アドルフはミリアを抱えあげ勢い良く立ち上がった。
「早くミリアちゃんにご飯をっ!!」
と、さっさと部屋から出て行った。
残されたナタリーとカルロスが笑い合い、二人を追いかけて食事へと出かけた。
アドルフはミリアの可愛さに沼ってしまい、甲斐甲斐しくお世話をしている。
だが、ミリアの食事の様は洗練されたもので、アドルフはお世話が出来ず時折残念な顔をしていた。
その日の仕事終わりにカルロスがミリアに今日の賃金を渡した。
金貨一枚だった。
ミリアの手に金貨を乗せ握らせた。
ミリアは金貨を眺めた後、カルロスをバッと見た。
「報酬が多いのではないですか?」
ミリアの問いかけにカルロスが首を振る。
「この書物は専門家がやればもう少し高い報酬になる。安いくらいだよ」
カルロスの言葉を聞き、ミリアは金貨を眺めると両手でギュッと握りしめた。
「ありがとうございます。カルロスさん!」
「明日も頼むよ」
ミリアのお礼の言葉にカルロスは頭を撫で、明日の時間を伝えられたミリア達は商会を後にした。
商会を出ると、ナタリーと手を繋いだミリアが手を引っ張る。
「あのね、お金を貰ったから今日の夕ご飯と明日のご飯を買いたいの。一緒に買い物に行ってくれる?」
ナタリーはその言葉を聞き、
「離れには台所があります。夕食には間に合いませんが朝食では使えるようにしますので、夕食と食材を買いましょう」
ナタリーとミリアは仲良く手を繋ぎ、露店を回りながら買い物を楽しんだ。
邸に帰り、夕食を二人で食べた。
ナタリーは住み込みの為、邸の敷地の寮に住んでいた。
「私もこれからお嬢様と食事を一緒に取りたいのですが、許可を頂けますか?」
ナタリーがミリアに食事をしながら話しかけた。
「うん!お願いします!」
と、ミリアはとでも嬉しそうに返事を返した。
ナタリーは食事を終えると直ぐにミリアをお風呂に入れ、ベッドに寝かせた。
ミリアはナタリーに何か話したそうだったが、小さな体は疲労を訴え睡魔が襲う。
ナタリーはミリアをポンポンしながら寝付かせると、ミリアは直ぐに眠ってしまった。
ミリアの部屋から出ると、そこには伯爵であるアーノルドが立っていた。
「少し話がしたい。良いだろうか」
ナタリーに声をかけると、リビングに向かい話を始めた。
「あの子の面倒を見てくれてありがとう」
アーノルドの言葉に、ナタリーは慌てて頭を下げる。
「今朝の事は、あの子に申し訳ないことをしてしまった」
小さくため息を吐き、話を続ける。
「今日一日あの子が何をしていたか教えて貰いたい」
ナタリーはアーノルドの言葉に首を振る。
「お嬢様にお聞きして許可が出てからでないと、伯爵様であってもお話する事は出来ません。私はミリアお嬢様の専属侍女です。お嬢様の許可なく私用を話す事は控えさせて頂きます」
ナタリーは断りを入れると、深く頭を下げた。
アーノルドは複雑な顔をする。
「あの子に君のような味方がいる事に安心するよ。でも、あの子を家族として受け入れたい私の気持ちも理解してもらいたいのだ」
ナタリーは少し淋しそうな顔のアーノルドに同情はする。
するのだが、それはそれである。
「お嬢様は自身の立場を十分に理解しております。伯爵様一家に迷惑をかけたくはないお嬢様の気持ちを、理解してあげて頂きたいのです」
アーノルドは自身の言った言葉をそのままナタリーに言い返されたのだ。
アーノルド自身の思いの押し付けを、ナタリーはミリアの思いを汲んで押し付け返したのだ。
アーノルドはハッとした後、深くため息を吐いた。
「あの子はまだ8歳だ。大人の保護が必要な子供だ。育てていないとは言え、私の血を分けた子供を大切に育てたいだけなのだっ」
アーノルドは苦しい胸のうちを吐露した。
「伯爵様のお優しさをミリアお嬢様は知っておられます。たった少しの時間ですが、ミリアお嬢様はちゃんと伯爵様の優しさを理解しておりました」
ナタリーの言葉に、アーノルドは泣きそうな顔になっていた。
「だからこそ、お嬢様は伯爵家から一線を引いているのです。奥様達との関係を悪くする存在の自分を、お嬢様は良しとしていません。お嬢様は8歳ですが大人の世界を十分に理解しておられます」
ナタリーはアーノルドに提案をする。
「暫くはお嬢様の好きにさせてあげてはいかがですか?お嬢様も落ち着く環境であり、自身が伯爵家にいても良いのだと思うまで。少し待って頂けませんか?」
アーノルドは、不憫な娘を思い助けたかったのだ。
「ミリアが可哀想でならないのだ。同じ私の血を分けた娘がっ⋯⋯」
声を殺してミリアを思い涙する姿は、父親そのものだった。
その思いは同情かもしれない。
でも、いつかミリアお嬢様に届いて欲しい⋯⋯。ナタリーは黙ってアーノルドが落ち着くのを待った。
扉の外では、同じく妻のサリーが口に手をあて声を殺して涙していた。
(アーノルドはただ不憫な娘を思っていただけなのに⋯⋯。私は小さなあの子になんて酷い態度をとってしまったのかしら。あの子は私達を思いやれるのに、私の心はなんて醜いのか⋯⋯)
涙を拭い、サリーは先に扉から離れを出て本邸に戻った。
少し歩き振り返ると小さな家が建つ。
ミリアが一人で住むには広すぎる。しかし、伯爵令嬢としては粗末な家⋯⋯。
サリーは前を向き、自身がこれからどうするべきかをじっくり考える事にした。




