2話 幼女は仕事をする
「⋯⋯様⋯⋯ミリアお嬢様」
(ミリア⋯⋯どこかで聞いた名前⋯⋯)
ミリアは目が覚めると、ガバっと起き上がった。
「おはようございます。ミリアお嬢様」
ミリアをお嬢様と呼ぶ少しふくよかで優しい笑顔の侍女が挨拶をしてくれる。
「おはようございます?あれ?ソファーにいたはずなのに⋯⋯」
ミリアはベットに入った記憶がなく、首を傾げる。
「旦那様が夕食に呼びに来られた際、お嬢様を起こされましたが熟睡していたようで、ベットに運ばれておりましたよ。」
そう説明してくれた。
「あ!私はミリアです。貴女のお名前を聞いて良いかしら?」
「今日よりミリアお嬢様の専属侍女となります、ナタリーと申します。
宜しくお願いします」
ナタリーは笑顔がとても優しい女性だった。
ベットから降りると、机に洗面用の桶を置いてくれた。
8歳のミリアには机が高くて届かないが、ナタリーが台座を用意してくれた。
私が顔を洗い終えると、タオルを出してくれる。
今迄に経験した事の無い対応に、恥ずかしいような擽ったい気持ちになる。
タオルを受け取り、ナタリーに返す。
「ありがとう。ナタリーさん」
ニッコリ笑顔でお礼を伝えた。
ナタリーは少しだけ苦笑いをして、
「お嬢様、私は使用人です。私にさん付けはいけませんよ」
と、注意を受けた。
ミリアはゆるゆると首を振り、
「私は生きる為に、伯爵様のお話を受けました。なので私は偽物の令嬢なの。
年長の方には、さん付けします。これは変えれないの。ごめんなさい」
ミリアは頭を下げて謝った。
ナタリーは慌ててしゃがみ込むと、ミリアと視線を合わせた。
「解りました。ですが、偽物だと仰られても、他家から見ればミリアお嬢様は伯爵令嬢です。簡単に頭を下げてはなりません」
良いですね!
そう念を押されたミリアは、頷いて受け入れる事にした。
ナタリーが部屋に用意されていたドレスを用意してくれる。
昨夜、伯爵様が届けてくれたと教えて貰った。
でもミリアは自分の衣装を着る事にする。
ナタリーは止めたが、伯爵家から買った物は使わないと決めていた。
「私は平民だったでしょう?慣れるまでは、着るのが怖いの⋯⋯」
怯える子供として断る理由を伝えてみた。
ナタリーは無理強いは良くないわよね?
と、私服を着用する事を許してくれた。
身支度を終えたミリアは、ナタリーに案内され本邸のダイニングまで連れて行って貰う。
食事は一緒にする約束だったので、ダイニングへと向かった。
部屋に入ると伯爵夫妻と女の子が席についていた。
「おはようござい⋯「いやだ!こんな平民がお姉さんなんて絶対にいやっ!」
挨拶をする事も出来なかった⋯⋯。
大泣きする子供は義妹だ。
「マリアンネ!失礼だよ。謝りなさい!」
父の叱る声に、マリアンネはビクッと肩を揺らした。
母のサリーに抱きつき、更に泣きじゃくる。
「伯爵様。お嬢様の言われる事は事実です。私は離れに戻ります」
私は退出する際に、カーテシーをした。
伯爵夫妻は驚いてミリアのカーテシーを見つめている。
平民だったミリアが、とても綺麗なカーテシーを披露したのだ。
だが、驚いたのはそれだけではなかった。
この状況でカーテシーを家族に向けた。
それは、拒絶の意味を含むのだ⋯⋯。
ミリアは急いで本邸を出た。
(家族じゃないと拒否したのは自分なのに、泣いて拒絶されるのは、やっぱり寂しいな⋯⋯)
精神年齢は前世のままなのに、時折この幼い体の感情に引き込まれてしまう⋯⋯。
涙をポロポロ流しながら、とぼとぼと歩く。
そんなミリアをナタリーが追いかけて来た。
「失礼します」
そう言うと、ナタリーはミリアを抱きかかえた。
「やっぱり⋯⋯」
ナタリーは涙を流す私の頬を拭ってくれた。
ミリアの頭をナタリーの肩に寄せさせ、背中をポンポンしながら離れまで連れて行ってくれる。
ミリアはナタリーの首に腕を回し、声を殺して泣いていた。
(とても大人びた子供だと伯爵様に言われていたけれど、拒絶されるのは悲しいに決まっているわ)
ナタリーは声を殺して泣くミリアが可哀想でならなかった。
離れに戻りミリアをソファーに座らせた。
ナタリーは膝を突き、ミリアの小さな手を握りしめた。
「お嬢様。朝食をこちらにお持ちしましょうね。これからは、こちらで食事をしましょう」
優しく声をかけてくれる。
ミリアは首を振り、止まらない涙を拭った。
「今から外に行きます。会いに行かないといけない人がいるの。だから、朝食はいらない」
ナタリーの手を離し、ミリアはソファーから降りた。
「お嬢様。外出する前にお顔を洗いましょうね。泣き顔で人に会うのは失礼ですよ?」
ナタリーはテキパキと洗面の準備をしてくれた。
(反対されると思ったのに⋯⋯。)
ナタリーの以外な行動に暫し呆然となる。
「反対しないの?朝食もいらないって我が儘言ったし外出するって言うし⋯⋯」
ミリアの言葉を聞き、ナタリーが振り返るとミリアの側に来た。
「お嬢様。私はお嬢様付きの侍女です。可愛いミリアお嬢様の我が儘を聞くのが私の仕事です」
ナタリーの優しい微笑みは、強張ったミリアの心をゆっくりと解して行く⋯⋯。
「ありがとう。ナタリーさん。もう一つ我が儘言って良いなら、外出も一緒に行ってくれる?」
首をコテンと傾げて、お願いしてみる。
(お嬢様っ!可愛過ぎますっ!)
ナタリーはミリアの可愛い仕草に嵌ってしまった。
「勿論ご一緒させて下さい」
外出の準備をし、伯爵様が離れに来る前に裏から急いで邸を出た。
(優しい伯爵様はきっと謝りに来るはず。その前に邸を出ないと)
ミリアは父を避ける為に急いだのだ。
「ナタリーごめんね。歩いて行くけど、大丈夫?」
ミリアがナタリーを見上げて謝った。
「大丈夫です。私よりお嬢様こそ大丈夫ですか?」
ナタリーは歩幅の小さなミリアこそ大丈夫なのか心配になる。
「王都の外れから教会まで毎日歩いていたから、歩くのは平気!」
楽しそうに歩くミリアだが、石畳に躓いてしまった。倒れそうになるが、ナタリーが抱きとめてくれる。
ドキドキする胸を抑えていると、ナタリーが手を差し出してきた。
ミリアはそっと手を伸ばしナタリーと手を繋ぐ。
温かい手を握りしめ、前世でも経験した事のない優しさに浸っていた。
ミリアの案内で着いた場所を見て、ナタリーがあんぐりと口を開けた。
その建物はこの大陸で一番の商会の本部だった。
『クアドラ商会』
ナタリーはミリアにグイグイ引っ張られながら、建物に入った。
受付の前にミリアが来ると、受付の美しい女性が声をかけた。
「ミリアちゃん。今日はどうしたの?」
柔らかな口調で問いかける。
「カルロスさんに大事な用事が出来たの」
ミリアが伝えると、カルロスの予定を見て教えてくれた。
「今なら会長も時間がある筈よ。聞いてみるから、待っててね」
女性が席を立ち、二階へ向かった。
「お嬢様。この商会に用事ですか?」
ナタリーが小声で質問する。
「そう。伯爵家に行った事を伝えたいし、相談もしたいの」
ナタリーと話をしていると、カルロスとの面会の許可が出た。
二階に上がり、豪華な扉の前に立った。
ナタリーは緊張しているが、ミリアはいつもの事だったので扉をノックし、許可の声を聞くと扉を開いた。
「おはようございます。カルロスさん」
ミリアが挨拶をすると、ソファーに座っていたカルロスが「おはよう」と返事を返す。
ナタリーに視線を一瞬だけやるが、ミリアを側に呼びナタリーも一緒に座らせた。
「何かあったのかい?」
「沢山色んな事があって、報告と相談をしたかったの。突然でごめんなさい」
ミリアが頭を下げて謝罪した。
「大丈夫だ。全部話してごらん?」
カルロスは優しい眼差しで、ミリアに話すように促した。
「数日前にね母が亡くなったの」
その言葉にカルロスが少しだけ驚いた。
だが、言葉を発する事は無かった。
「母のお墓を眺めていたら、私の父が迎えに来てくれたの。カルロスさんは調べてるから、知ってると思うけどスタンリー伯爵家なの」
カルロスは母の事、ミリアの事を全て調べ上げ知っている。
カルロスは頷いた。
「私は伯爵家にお世話になる事になりました。伯爵様には奥様とお嬢様がいるの。伯爵様は私に家族になって欲しいと思っているみたいだけど⋯⋯。
私は居候でいたい。いつか伯爵家を出たいと考えているの」
(お嬢様は本当に8歳なのかしら⋯⋯。)
ナタリーは幼い少女を見てそう思う。
ミリアと話す者が最初に思う疑問だった。
容姿は8歳の子供なのだが、とても流暢に話すので疑問を持っても不思議ではない。
カルロスは顎に手をあて考えていた。
「伯爵家を出るとなると、平民に戻りたいと?貴族でいた方が学ぶのも幅が広がる。少し落ち着いて、一緒に考えて行こう」
カルロスはミリアに冷静な判断が出来るように、一から話をする事にした。
「伯爵家とは家族になりたくないと?」
ミリアは頷いた。
「伯爵家をいつか出たいのだな?」
ミリアは頷いた。
「だが、育てて貰ったのに気が済んだら家を捨てるのはどうなんだい?」
カルロスの正論にミリアは頷いた。
「伯爵家から援助してもらうつもりはないの。ただ、眠れる場所と身を守る場所が欲しかったの。
優しい伯爵様は、私を大切にしてくれるのは解ってます。でも、私がいると、家族の仲が悪くなっしまう⋯⋯」
ミリアの声が小さくなり、顔を俯かせてしまった。
そして、バッと顔をあげカルロスを見た。
「だからカルロスさんに相談をしに来たの。
8歳の私にでも出来る仕事を下さい。私が毎日食べる分の賃金で構わないから、お仕事を下さい。お願いします」
ミリアはカルロスに深く頭を下げて、お願いする。
8歳の子供が仕事をしたいと⋯⋯。
ナタリーはミリアの必死に願う言葉に胸が苦しく泣きそうだった。
「解った。仕事を渡すよ。しっかり働いて貰うからね」
カルロスは笑顔でミリアの願いを聞き届けてくれた。
ミリアは顔をあげ、カルロスにお礼を伝えた。
「今日から出来るお仕事はありますか?」
カルロスは少し考えて、何かを思い出す。
「ある方から翻訳を頼まれていたのだが、誰に頼むか悩んでいたんだ。少数民族の言語だがミリアが一番理解している。
直ぐに用意するから、やってみるか?
報酬は出来高次第。毎日の仕上がり次第で、報酬を渡そう」
ミリアはパァーっと笑顔になり、
「ありがとうございます。やってみます!」
元気よく返事をした。
カルロスが本棚から一冊の古い書物を出した。
「部屋を明日から用意するが、今日はここでやりなさい」
秘書が使う机を貸してもらい、ミリアは本を開くと黙々と翻訳を始めた。
本を開き、新しい本に書き写す。
真剣に、でも楽しそうに仕事をしている。
ナタリーは、小さなミリアが一生懸命働いている姿を見て胸が痛む。
貴族の家に迎え入れられたのだから、贅沢をして優雅に暮らせるのに。
それを良しとしないミリアを、子供だが尊敬してしまう。
ミリアをじっと見守るナタリーに、カルロスが声をかけた。
「ミリアは凄い子だろう?彼女は既に三カ国語の読み書きが出来るよ。そして流暢に会話も出来る。
いわゆる、天才だよ」
カルロスが誇らしげにナタリーに話す。
「君はミリアの侍女だね?ミリアを宜しく頼む」
大商会の会長カルロスから頼み事をされてしまいナタリーはピシリと身を引き締める。
「私は侍女のナタリーと申します。ミリアお嬢様を大切にしたいと思っております。
こちらこそ、宜しくお願い致します」
ナタリーはカルロスに頭を下げた。
「ミリアは夢中になると暫くあのままだ。お昼にまた様子を見に来るから、君も好きに待つと良い。本棚の本は好きに見て良いからね」
そう言うと、カルロスは仕事で出て行ってしまった。
ナタリーは本棚から一冊本を引き抜くと、ミリアがよく見えるようにミリアの正面のソファーに座った。
無心に羽根ペンを持ち仕事をするミリアを暫く眺めると、ナタリーは本へと視線を落とした。
静かな部屋に、ミリアの羽根ペンの文字を書く音だけが聞こえていた。




