1話 ヒロインに転生
国で一番の権力を持つカーソン公爵家のリビングで新婚である夫婦が向かい合っていた。
「ミリア。何度も言う通り、私は彼女に好意を持った事は一度もない。殿下の側近である以上、側から離れられないだけだ。
私が彼女と一緒にいた理由は、ただそれだけだよ」
目の前に座り困った顔をする美丈夫の男性は、半年前に結婚した夫である。
公爵家の嫡男であり、王太子殿下の側近で
クリス・カーソン。
クリスは夜会や観劇で私と遭遇すると、必ずその後ミリアを呼び毎回同じ言葉を口にする。
そう。「遭遇」である。
妻のミリアを側に置くのではなく、別の女性と一緒の場面に「遭遇」する時。
この話し合いでは、いつもミリアが
「解りました」と、一言そう言って終わる。
今日は会話をしてみましょうか⋯⋯。
「そうですか。私には関心も関わりも無い事かと。邸の事はちゃんと采配しておりますので、貴方様はお好きになされば良いと⋯⋯。
最初からそう申し上げておりますが?」
幾度目かの話し合いと言う名の、夫からの呼び出し。
夫から話される内容はいつも同じ事。
私は小さなため息を吐いた。
夫がそれを見逃す筈がない。
「どうしたら信じて貰えるのだ」
夫は悩ましげに頭を抱えるが、私には全く関係がない事。
何度も何度もそう伝えている⋯⋯。
いい加減腹も立つ。
「貴方様を信じれる要素が今日まで一つも無いからでは?
関係ないと言いつつも、夜会ではダンスを終えれば私を放置して彼女の側に侍る。
幾ら王太子殿下の側近だとしても、帰りの時刻まで放置されておりますし。
私は周りからは「愛されない妻」「公爵様には相応しくない」と嘲笑われております。
何故貴方様の行動のせいで、私が侮辱されなければならないのでしょうか?
お茶会に行けば、貴方様が彼女と出かけたやら、夜を共にしたやらの話ばかりを耳にします」
そう言い放ち呆れ顔で夫を見る。
私の初めての反論と話の内容に、夫が驚き目を見開いた。
「彼女と夜を共になどする筈がない!私の妻は貴女だけだ。出かけるのも、殿下がいるからだ!」
夫が必死に言い募る。
「そうですね。妻の役割を担っているのは私で間違いありません。
貴方様が誰と何をしようと、私には関係ないと申しました。離縁が出来るまで後二年半、我慢してくださいませ」
それだけ伝えると、唖然とし口を開いたままの夫を放置して、足早に夫の執務室から退出した。
「面倒臭いわね⋯⋯」
ポツリと呟いた言葉を拾ったのは、扉の外で控えていた公爵家の執事のギルだった。
「クリス様はミリア様との仲を修復したくて必死なのですよ?」
申し訳なさそうに話しかけるギルの言葉を、受け入れる事は出来ない。
「修復する程の仲は最初からありませんし、この半年の生活でも同じです。
あの方には、何も期待しておりません。
後二年半、お互いが我慢するしかありませんわね」
私の言葉を聞き苦笑いになるギルはそれ以上何かを口にする事は無かった。
ギルは一礼すると、夫の執務室へと入って行った。
私は自身の執務室に戻り扉に鍵をかけると、直ぐに着替えて執務室の窓から裏庭へと出る。
本来、夫婦の執務室は二階に用意されていた。
私は夫と少しでも接触する事を避ける為に、何かと理由をつけて裏庭に面した一階に執務室を移したのだ。
私は裏庭から邸を出る。
離縁した後の仕事の為に、商会へと足を運んだ。
この世界で私が私らしく自由に生きる為に⋯⋯。
〜 ※ 〜
ミリアが転生した事に気が付いたのは、目の前の母の亡骸を見た時だった⋯⋯。
母は病に伏せ、治療の甲斐なく亡くなった。
それも仕方がなかった。奔放に生きた彼女の末路に相応しい死に方だった。
そう考えている私は、知らぬ間に転生していた⋯⋯。
ミリアは他人事のように母の亡骸を見つめ、小屋のような家から出ると近所の人に母が亡くなった事を伝えた。
近所の人が幼いミリアの代わりに全てを終わらせてくれた。
有難い事に、母を神殿の共同墓地に埋葬までしてくれた。
前世の記憶が正しければ、この場所にいればある人が私を迎えに来てくれるはず。
私はその人を母が眠る墓地の前で待ってみた⋯⋯。
私は転生したと気が付いてから、この世界が前世流行った逆ハーレムで人気があった乙女ゲームだと理解した。
ピンクのふわふわした髪にピンクの瞳のとても可愛らしい顔のヒロインであった。
見覚えのあるこの顔を、何度目にしただろうか⋯⋯。
前世流行ったゲームを前世の私はやり込んでいた。
(ヒロインに転生なんて全く嬉しくない⋯⋯。ゲームだから楽しめたのに)
ため息を吐き墓地を見つめていると、顔の整った男性が声をかけてきた。
「君の名前を聞いてもいいかな?」
男性が視線を合わせる為に、しゃがみ込んだ。
「ミリアです。」
そう伝えた。
「君はお母さんから何か聞いているかい?」
ミリアは頷いた。
嘘だ。本当は何も聞かされていない。
ゲームで色々知っていたのでボロが出る前に知っている事にした。
「私が誰か解るかな?」
ミリアは頷いた。
「私は貴方の父になる。君を私の籍に入れ親子になるんだ。一緒に屋敷に来てくれるかな?」
本来のヒロインは父に出会い「お父様!」と呼びはしゃぐのたが、それはせずに頷くだけにする。
まだ8歳の私にはこの世界で生きていく術がない。生き抜くためには、大人に頼らなければならない。
私は父の話を受け入れ、一緒に邸に向かう。
父であるこの人は、母の学生時代の恋人だった。
男性の扱いが上手い母に目を付けられ、体の関係を持つようになる。
母は子爵家の娘だが、奔放すぎる母を家族は早々に見限っていた。
容姿が整っていた母は、学生時代を華やかに過ごした。
母の本命は高位貴族だったが、望まれるはずもなかった。
関係を持った貴族の中で、父が一番条件が良かったのだ。
伯爵家の嫡男であり、容姿も整い優しい気質。
母は婚約者のいなかった父に狙いをさだめたが、父の伯爵家と母の子爵家からの厳しい叱責の後に母は貴族籍を抜かれ平民へと落とされた。
父は両親と子爵夫妻を説得したが、反対された。
母は平民となったが、その時にはミリアがお腹に宿っていた。
母の意地もあったのかのかもしれない。
母がミリアを産む決心をした理由は解らない。
母は誰にも知られる事なくミリアを産んだ。
母は商人や下位貴族の愛人をしながらミリアを育てた。
実際はお金を渡し、近所の人が面倒を見てくれていたのだけれど。
6歳になると母のしている事が物心のついた近所の子供達が知る事になる。
ミリアは虐めの対処にされ、毎日暴言を吐かれていた⋯⋯。
家にいたくなくて、街をふらふら歩き回っていた。
その時にぶつかった人の手から、本が落ちてしまう。
ミリアは急いで本を拾い上げ埃をポンポンと落とし、手渡そうとした。
前世をまだ思い出してはいなかったはずなのに、ミリアは本に興味を持った。
本をじっと見つめるミリアに、ぶつかった男性が話しかけてくれた。
「本に興味があるのかな?」
優しい声に正直に答えた。
「読んでみたいです。でも、字が読めない⋯⋯」
落ち込むミリアに男性が本を受け取ると、
「無償で字を習える場所がある。私が推薦するから、行ってみるかい?」
その言葉にミリアは初めて男性の顔を見た。
その人は商会を営む男性で、カルロスと教えてくれた。
カルロスが連れて行ってくれた場所は教会だった。
ミリアはカルロスの推薦で無償で勉強を教えて貰う事になった。
前世のミリアは翻訳の仕事をしていた。
歴史ある海外の書物を翻訳していた影響もあったのかもしれない。
幼いミリアは自国の言葉だけで無く、他国の言葉も早々に習得していった。
毎日教会に通い勉強をし沢山の本を読む。
一日の殆どを教会で過ごすようになった。
ある日、教会のシスターに呼ばれ綺麗な部屋に入ると、以前ぶつかった男性カルロスが待っていた。
「シスターから聞いたよ。とても勉強を頑張っているみたいだね」
カルロスはミリアの頭を優しく撫でてくれた。
頭を撫でられる⋯⋯。
初めての温もりにミリアは泣いてしまった。
カルロスはオロオロするが、
「頭を撫でられたのは初めてで、嬉しかったの。とても温かかったの」
泣きながら伝えるミリアをカルロスは優しく抱きしめてくれた。
温かな温もりに包まれ、彼の腕の中で暫く泣いていた。
「ミリア、貴女の事情は知っています」
カルロスの言葉に、母の事がバレたと絶望した⋯⋯。
しかしカルロスの言葉にミリアは救われた。
「16歳まで頑張って勉強して知識を蓄えなさい。私が後継となり、学園に推薦するから。解ったかな?」
私が学園に行ける?
信じられなくて、カルロスをただじっと見ていた。
「ミリアはまだ7歳なのに、大人びている。そうしなければならない環境だったのかもしれないね。
でも、知識はミリアの世界を広げてくれる。沢山学ぶんだ」
カルロスの言葉に私は何度も泣きながら頷き、お礼を伝えた。
シスターからも頑張るように励まされた。
私は更に必死で学んだ。
8歳になり、今日この日が来るまで必死に学び生きて来たのだ。
父の馬車で揺られながら、まだ短い過去を思い出していた⋯⋯。
(転生して体は若返っても、精神年齢は若返らなかったのね⋯⋯)
むじゃきなはずのヒロインは、「私」が転生した事によって無意識に大人びた子供になってしまう。
天真爛漫なはずのヒロインは前世の記憶が戻っていない時から、「私」が主軸として生きていた。
(これがよく言う、シナリオ改編になるのかな?)
一人で回想していると、父が話しかけて来た。
「緊張しているかな?邸には妻と娘がいる。ミリアより二歳下の妹になる。仲良くしてくれたら嬉しいよ」
父は本当に良い人であると解る。
昔の恋人が勝手に産んだ子供なのに、私にとても優しく接してくれる。
母が手紙を残さなければミリアと関わらずに済んだ筈なのに。
「もう直ぐ邸だ。」
父の言葉に私は窓から前を覗いた。
目の前には大きな邸があった。
お義母さまとなるサリー様とどう接するか。邸に着く僅かな時間で考える。
ヒロインのせいで仲睦まじかった夫婦に波風を立てる事になってしまう。
物語の中では、ミリアが邸に来てから夫婦喧嘩が絶えなくなり夫婦仲も冷えていってしまう。
それだけは絶対に避けなければならない。
ミリアは成人した後は、円満に伯爵家を出たいからだった。
馬車の速度が落ち、そしてゆっくりと止まった。
父に手を引かれ馬車から降りると、目の前には美しいが気の強そうなサリー様がいた。
疎ましさを隠す事無く、ミリアを無視して父の手を引き邸へと入って行く。
私は父に手を引かれたままなので、早足になった。
「サリー。小さな子供がいるのだ。手を引くのを止めなさい」
父に咎められたサリー様が私を見た。
「伯爵様。私は後ろからついて行くので大丈夫です。」
そう言って父から手を抜いた。
サリーはミリアを無視して、客間に入っていく。
「ミリア、こちらに座って」
父の隣に促されたが、私は一番下座のソファーの端に座った。
父はミリアの行動に苦笑いをした。
サリーが父の隣に座る。
「私が父親のアーノルドだよ。こちらは私の妻のサリーだ。仲良くして欲しい」
サリーはただ私を見るだけで、口を開かない。
私は席を立ち、頭を下げた。
「ミリアです。伯爵様、サリー様。宜しくお願いします」
「ミリア!私は貴女の父親だ。伯爵様ではなく、父と呼んでくれないか?」
悲しそうな顔をするが、一線を引きたい私は
「伯爵様とサリー様とお子様の家庭に入るつもりはありません。私は8歳です。まだ一人で生きて行く事が出来ません。私は邸に置いて頂けるだけで十分と思っています」
もう一度頭を下げ、席についた。
ミリアの言葉に一番驚いていたのはサリーだった。
虐めるつもりは無かった、無視するつもりも。しかし、愛する夫の隠し子を前にすると感情が先走ってしまった。
サリーは小さな子供にそこまで言わせてしまった自分が恥ずかしくなり、俯きミリアから視線を外した。
「ミリア、邸に君の部屋を用意したよ?」
ゲームの中のミリアは、父を父と呼び部屋を与えられると聞いてとても喜んでいた。
今のミリアは学園に入るまで、伯爵家でただ時が来るまで静かに一人で過ごしたかったのだ。
父の背後の窓から小さな離れが見えた。
あの離れは昨年辞めた執事夫妻と家族が住んでいた家のはず。
ゲームの中でのミリアは、妹をあの家に閉じ込め虐めるあの家だ。
「伯爵様。窓から見える離れは誰か住んでいますか?」
父が振り向きミリアの言う離れを確認する。
「あの家は今は誰も住んでいないが⋯⋯」
「では、私はあの離れが良いです」
ミリアの言葉に、サリーが顔をあげた。
サリーが何かを言う前に、ミリアが口を開いた。
「私は卑屈になってる訳ではありません。ただ、私はこの伯爵家には居てはならないとも思っています。母のせいで、伯爵様達家族を巻き込んでしまいました。
私が納得出来ないだけなのです」
父もサリーも、本当に8歳の子供なのかと考えてしまう。
だが、目の前には小さな可愛らしい子供しかいない⋯⋯。
(あ!流暢に喋り過ぎたかしら⋯⋯?)
「8歳なのよね⋯⋯」
サリーが無意識に呟いていた。
「正真正銘の8歳です。ただ、6歳から教会で沢山の知識を学んでいます。大人の方と接するので、こんな子供になりました⋯⋯」
(精神年齢がおばちゃんなのを隠せない以上、この言い訳しか浮かばない⋯⋯。)
「そうなのか!教会では皆で学んでいるのか?」
父からの質問に、
「一人で学んでいます。月毎に教師が変わり教えて貰っています」
伯爵は唖然としたが、理解した。
ミリアは天才なのだと。
あの教会は特別枠で人を教育していると聞いている。
平民達は大勢で学ぶから、一人でとなると特別枠でしかなかった⋯⋯。
「解った。ただ、食事はこちらで一緒にしたい。どうかな?」
(全て拒否するのも良くないわよね)
「はい。食事はご一緒させて下さい」
ミリアは子供らしくペコリと頭を下げた。
私の荷物は小さな鞄一つだけ。
服も数枚しかないし、私物が殆どない。
父は最後まで渋ったが、鍵だけ貰い離れに一人で向かう。
家の中に入ると、とても綺麗にされていた。
ここで一人暮らし⋯⋯。
家の中を探索し、ソファーに座った。
カルロスさんに明日話をしよう。
不安を抱えながら目を閉じると、いつの間にかミリアは意識を手放していた。
小さな体で頑張ったのだ。
8歳の体は疲れ果て、眠りに就いてしまった。




