婚約者との初顔合わせ
曇天の空を離れの窓から眺めながら、ミリアは大きなため息を吐いた。
「今の私の気持ちと天気は同じね……」
「ミリア様はこの婚約を不服と思っていますか?」
今日はカーソン公爵子息との顔合わせの日である。
ナタリーに身支度を整えてもらいながら、憂鬱な気持ちを吐露した。
「そうね。不服としか言えないかな……。でも、王命であり公爵家からの申し出ならば、お父様も断れないし迷惑はかけれないもの」
16歳になったミリアは誰が見ても美少女と言われる容姿になっていた。
本人もきちんと自覚している為、決して異性に笑みを向けない。
ナタリーは悪い虫がつかないように気を張っていたが、本人が自ら自己防衛していた。
「お支度整いました」
姿見の中にはゲームで何度も見た美少女がいる。
「はぁー……」
憂鬱な気持ちのまま離れを出ると、運悪く異母妹のマリアンネと会ってしまった。
いつもは朝早くから教会か商会に出かけるので、貴族令嬢として生活するマリアンネとはここ数年顔を合わせていなかった。
マリアンネはミリアを卑下た視線で射抜く。
「平民あがりの癖に、目障りなのよ」
冷たい言葉と態度が、未だにミリアを受け入れていないことを示していた。
「マリアンネお嬢様には醜いものを視界に入れ申し訳ありません。直ぐに失礼致します」
深く頭を下げナタリーを連れてこの場を離れようとしたのだが、やり取りを見ていたサリーがマリアンネを叱責し始めた。
「マリアンネ!姉に向かってなんて言葉を言うのですかっ!」
マリアンネは見られていた事に一瞬怯えたが。
「本当の事でしょう?私達の家族を壊したのはこの女なんですもの!」
マリアンネは強い口調でそう言うと、扇子でミリアを指した。
「家族の仲がぎこちなくなったきっかけは、そうであったかもしれません。ですが、今家族が壊れようとしているのはマリアンネ、貴女の行動のせいです。ミリアさんのせいにする事は許しません。勉学も作法も学ばない貴女を見限るのは、領地や領民を守る貴族として当然の事です」
「なっ……見限るって……」
マリアンネは顔を青褪めさせる。
「これ以上、遊び回り怠惰な生活を送るのであれば、旦那様は領地での謹慎を考えています。その事をきちんと考えなさい」
サリーは実の娘を叱責した。
「ミリアさん。行きなさい。時間になりますわよ」
笑顔で見送ることをマリアンネがいるのでサリーは控えた。
「はい。夫人。いってまいります」
ミリアはナタリーを連れ足早で邸から出て行った。
ミリアは馬車に乗ってから先ほどのサリーがマリアンネに話していた事を考えていた。
「ナタリー、マリアンネ様は怠惰な生活をしているの?お父様が領地での謹慎を考えるまでって、よほどの事よね。」
「そうですね……。本邸の使用人の話ですと、10歳になりお茶会に参加を始めてから衣装や宝飾品を沢山買うようになったそうです。貴族ですから、衣装や宝飾品を買い市場を回すことは貴族の責の一つとしてありますが、度を越した金額みたいですね。そして、令息達と街や他家の領地に滞在して遊び回っているようです。社交界では色々言われているようです」
「そうなのね……」
(物語のマリアンネは努力家で、優しい性格だったはず。家族を大切にして、社交界でも人気のある令嬢になったんだけど……。マリアンネは私にやり返されていないから、物語の性格にならなかったのかしら?先に虐めてくるのはマリアンネだったわ。ならば、本来はあの性格だったという事ね)
マリアンネの事を色々考えていても、物語は物語であって生きている「今」ではないので考えるのを止めた。
「伯爵様からミリア様に必ず伝えて欲しいと、お話を預かっています。婚約者様に会う前にお伝えするようにと」
ナタリーはミリアを真っ直ぐにみつめ、ミリアからの返事を待った。
「聞くわ」
「ミリア様の婚約者となりますクリス・カーソン公爵令息についてのお話になります。ミリア様より二つ歳上のご子息は、学園に通っておいでです……」
父アーノルドが調べた話によると。
クリス公爵令息は子爵令嬢のナターシャ様と深い仲との噂がある。
ナターシャ様は以前、王太子殿下と側近が侍っていた令嬢。
そして、学園に入り再び王太子殿下と側近達が子爵令嬢と交流をしているようだ。
その側近にクリスはいる。
「キャサリーヌは納得しているのかしら?それに子爵令嬢はもしかしたら私の代わりにヒロインをしているのかもしれないわね。カーソン公爵令息も攻略対象だから、交流があっても不思議じゃないわ。
子爵令嬢と深い仲なら、私は自由に出来るのだから構わない。それに別に好きな相手がいるなら、カルス帝国に行ける機会があるかもしれないもの。好きにすれば良いのよ」
ミリアは公爵令息であるクリスに全く興味を示していない。
悲しむ事もないミリアを見て安心してよいのやら……複雑な気持ちのナタリー。
「もう直ぐ公爵家に到着します」
ナタリーの言葉に、ミリアは思考を切り替えた。
(お父様、お義母様のためにもしっかりしないと。マリアンネがあれなら、社交界での伯爵家の名は落ちてきてるはず)
馬車は邸の大きな門をくぐり、邸の玄関で止まった。
窓から見える光景に、ミリアの顔が強張った。
ナタリーはミリアの変化に気がついたが、何事もないように声をかける。
馬車の扉が開きナタリーが先に降りる。
ミリアは心の中で気合を入れ、教会で学んだ作法を思い出し一歩前に進んだ。
馬車から降り、目の前に広がる使用人達の並びを見てやはり顔が引き攣りそうになる。
視線を中央に向け、邸の主人であろう公爵夫妻へと見やる。
(嘘でしょ?)
徹底的に教育された令嬢の所作のおかげもあり、表情には一切出ないミリアだったが公爵夫人の顔を見た瞬間に色んな事が納得出来た。
ミリアは公爵夫妻の前に来ると、美しい所作でカーテシーをする。
「ミリア・スタンリーでございます」
ゆっくりとカーテシーを解き、公爵夫妻へと視線を向けた。
「美しい令嬢だな。私が当主のレオンだ。彼女は妻のエリザベート。私が説明せずともミリア嬢は妻を知っておるであろう」
「ミリアさん。良く来てくれましたね」
ミリアに優しく微笑む公爵夫人は、サシャが不在の代わりに教鞭を引き受けてくれた教師であった。
(私の事は知っていたのね。王妹ですもの。王太子殿下やアドルフ様から聞いていたはず……)
貴族の名を覚えても、その人達の顔を教えて貰えなかった理由もわかった。
(私は見えない何かに、良いように振り回されているわね)
言いようのない怒りが腹の底から湧いてくる。
どんなに努力しようと見えない道を歩かされている。
ミリアは静かな怒りを持った。
長年仕えるナタリーはミリアの変化に気が付いた。きっとサシャならばミリアの怒りに気が付いたはず。
公爵夫妻はそんなミリアの変化に気が付く事はなく、邸の中へとミリアを案内をする。
広い廊下を歩く。
暫くすると中庭へと入った。
庭の中央にテーブルが用意され一人の青年が立っていた。
公爵夫妻の後ろを歩くミリアにも青年の姿が見えた。
(ゲームと同じ姿ね……)
ミリアは公爵夫妻に連れられクリスの前に立つ。
「ミリア・スタンリーです」
軽くカーテシーをし名前を告げる。
「クリス・カーソンです」
クリスも名前だけを告げた。
公爵夫妻は苦笑いをし、全員席に着くように促す。
「今日は婚約者として初めて会う事になる。聞きたい事や心配なことがあるなら聞いてくれて構わない」
公爵がミリアへと声をかけた。
「いえ、今のところは何もございません」
エリザベートはミリアが壁を作った事に気が付いた。
(これまた分厚い壁を作ったわね……。にしても、壁を作る理由はなんなのかしら?)
政略的な婚約ではあるけれど、クリスもミリアも望んでいる婚約だと兄のアドルフからは聞いていた。
エリザベートは目の前の二人を観察する。特にミリアを見る限り婚約を望んでいるようには思えない。
「ミリアさんはあれから試験は受けましたか?」
「隣国でサシャ様から試験を受けるように言われて、受けました。サシャ様から合格を頂いております」
ミリアの返事に、レオンがエリザベートに問いかけた。
「ミリアさんは今どれだけの国の言語に精通しているのだ?」
「ミリアさんは七カ国の言語を流暢に使いこなせるようですわ」
公爵が息を呑み、ミリアへ驚いた視線を向けた。
ミリアは控え目に「学ぶのが好きなので」
そう答えた。
「サシャ様が気に入るはずだな。これは我が家に勿体ないくらいの令嬢だな」
公爵の言葉にエリザベートは頷いた。
「我々は下がろう。二人で少し話すとよい」
公爵夫妻が席から離れ、クリスとミリアが二人きりとなった。
ナタリーと公爵家の使用人が一人残り、ミリアとクリスの様子を伺う。
「ナタリーさんだよね?私はクリス様の執事をしておりますギルです。これから顔を合わせる事になりますので、宜しくお願いします」
ギルは笑顔でナタリーに声をかけた。
「ナタリーと申します。こちらこそ宜しくお願いいたします」
丁寧に挨拶をするナタリーだが、直ぐにミリアへと視線を戻した。
「ミリア様が心配ですか?大丈夫ですよ。クリス様はミリア様を大切にしますから、安心して下さい」
(ニコニコと……鬱陶しい執事ね。何が安心して下さいよ!他の令嬢と通じておきながら、ミリア様まで得ようなど不満でしかないわっ!)
ナタリーはジロリとギルを睨むと、すっと視線をはずした。
(あれ?不味い事を言ったかな?)
ギルはナタリーを怒らせた事には気が付いたが、理由は分からないまま主の様子を伺う。
ミリアもクリスも会話がない。
ミリアはクリスが声をかけるまで言葉を発する事は出来ない。
婚約が正式に整っているわけではないので、身分差からミリアは黙っていた。
クリスは目の前に座るミリアに見惚れて黙り状態。
ただ高位貴族の教育のせいか、感情が出ずに不機嫌にも見える。
その時、使用人がクリスの側にきて何やら伝える。
「ご歓談中に失礼します。シールス子爵令嬢から至急お越しいただきたい事があると、馬車でお越しです。いかが致しましょうか」
クリスが返事をする前にミリアが答えた。
「急用との事でしょうか。でしたら、そちらを優先させていただいて構いません」
「だ、だが……」
ミリアの言葉にクリスが苦い顔をした。
「全て事情は聞いております。私は大丈夫ですので、子爵令嬢を優先させてくださって構いません。私は好きに過ごさせていただきます」
(私との事より子爵令嬢を優先させたいのでしょう?安心したような顔をして、もう少し婚約者となる私に配慮するべきなのにね。子爵令嬢と恋仲なら仕方ないし、どうでもいいけれど……)
「そ、そうですか。全て知っているのなら安心しました。ミリア嬢も好きに過ごして下さい」
クリスは席を立つと、ミリアとの顔合わせを終わらせた。
ギルは呆然としながらクリスの背中を見続けた。
「ミリア様、どうされますか?」
ナタリーがミリアに問いかけた。
「そうね、公爵令息様は子爵令嬢を優先なさるようですので、帰りましょう。自由にして良いと言質も頂きましたし、これから先は婚約していようと自由に過ごすわ」
ミリアの言葉にギルは青褪めた。
「あの!クリス様は事情があって子爵令嬢と一緒にいます。ミリア様を蔑ろにしたいわけではないのですっ」
必死にギルが説明するもミリアはキョトンとしている。
「事情は全て聞いていますので、大丈夫です。子爵令嬢と仲良くなさって構いません。この婚約は王命。こちらは受け入れるしかないのですから」
ミリアはギルに礼をとり、公爵夫妻に挨拶をして帰って行った。
公爵夫妻はミリアとの顔合わせの席を外し、他家の令嬢を優先した事に激怒していた。
ギルはミリアが誤解している事をクリスに知らせたいが、追いかける事も出来ずにクリスの帰りを待つしかなかった。
(クリス様!ミリア様が知っているのは社交界の噂の方ですよ!だからナタリーさんは私の言葉を聞いて怒ったんだ……)
ギルはクリスが早く帰って来る事を祈るしかなかった。
そして、直ぐに行動に移したのはエリザベートだった。兄のアドルフに公爵家に来るように手紙を書き届けさせる。
顔合わせに控えていたクリスの執事であるギルを呼び出し、事細かに様子を聞いた。
エリザベートの握る扇子がミシッと音が鳴る。
(ミリアさんを蔑ろにしていない?そう……なら、クリスとアドルフお兄様にはお仕置きをしなければならないわね)
エリザベートの笑顔に夫のレオンの顔は引きつり、呼び出されたギルの顔は死人のように真っ白になる。
初顔合わせは、様々な思い違いで終わったが……思い違いに気が付かないクリスのせいで、散々な未来になる事を今は誰も知らない。




