15話 手紙
カルス帝国に着いた……。
なぜか私は大きな邸に連れて来られていた。
しかも連れて来られた邸は、王城の敷地内に建っている。
王族に知り合いは……いるはずはない。
伯爵家もこの国の王族とは一切の関わりがない。
頭の中で次々と考えを浮かばせるが、答えは一つも出ない。
後ろに控えついてくるナタリーは更にパニック状態だろう。
前を誘導する近衛の後を追いながら、邸の中を歩いていた。
すると、目の前の廊下を急いでこちらに向かって来る人影が見えた。
「ミリアさん!」
聞き覚えのある声にミリアは近衛の前に歩み出た。
「サシャ先生!?」
驚いているとミリアはあっという間にサシャに抱きしめられていた。
ミリアは抱きしめられたサシャの背中にそっと手を回し、恐る恐る抱きしめ返した。
サシャは背中にミリアの手の温もりを感じると、更に強くミリアを抱きしめた。
「カルロスが商談する間、この邸にミリアは滞在してもらいます。勿論、ナタリーも一緒にね」
サシャはミリアから少し離れ、顔を覗き込み話をする。
「さあ、お茶を用意したわ。ナタリーも一緒にいらっしゃい」
サシャはミリアの手をとるとキュッと繋ぎ、何処かに連れて行く。
ミリアは握れた手の温もりが辛く、苦しく感じてしまう。
サシャが嫌いなわけではない。
温かな手を疎んだ訳ではない。
温かな温もりに浸る寂しい心は正直過ぎて、ただ手を繋ぎたかった相手を諦める決心が揺らぎそうで……苦しいのだ……。
ミリアはエアハルトの事を考える思考を振り切り、サシャに意識を向ける。
サシャの様子を手を引かれながら伺うと、足取りが軽い様に見える。
(私に会えて嬉しく思ってくださるならば、とても嬉しいかも……)
サシャはミリアを急ぎ足で出迎え抱きしめてくれた。
淑女として他国の教養を学ぶ中で、サシャはとても厳しい人であった。
そのサシャが淑女を脱ぎ捨て出迎えてくれた。
ミリアはサシャの事を考えると、エアハルトの事も少しだけ意識を避ける事が出来た。
(私はもっと意識を外に向けるべきかもしれない……)
サシャが案内した先は中庭だった。
手入れされた花壇を眺めながら歩いていく。
薔薇のアーチをくぐると、人影が見える。
テーブルから立ち上がる二人の女性をミリアは知っている。
ミリアは二人の足元に直ぐ様視線を下げた。サシャに手を引かれ、女性の前へと促された。
ミリアは視線を下げたまま、カルス帝国の最上級の挨拶をする。
頭を下げたまま右手を胸にあて、カーテシーより深く腰を落として足を後ろに引いた。
この姿勢はかなり辛い。
カルス帝国も一般的なカーテシーで挨拶をする。
最上級の挨拶を出来る者はカルス帝国にもあまりいないのだ。
二人の女性は、カルス帝国の皇妃である アリーシャ様と皇女殿下のセリーリア様である。
二人は息を呑みミリアの所作に見惚れていた。
あまりにも長いため、サシャが小さく咳払いをした。
「ごめんなさいっ。ミリアさんよね。挨拶を解いてちょうだい」
アリーシャ皇妃の言葉にミリアはゆっくりと姿勢を戻し頭を上げる。
「見事ね」
アリーシャ皇妃の言葉にサシャが満足気に微笑んだ。
隣のセリーリア皇女は驚いたまま、ミリアを眺めていた。
アリーシャ皇妃の言葉で、ミリアとサシャが席に着いた。
ナタリーは端に控える皇宮侍女達と座った。
ナタリーはナタリーで身分違いの皇宮侍女と並び座る事に緊張していた。
「私はカルス帝国の皇妃、アリーシャよ。ミリアさんの事はサシャから沢山聞いているわ。そして私の娘であり、カルス帝国の第一皇女のサリーリアよ。ミリアさんとは同じ歳になるわ」
皇妃が皇女を紹介すると、サリーリア皇女がミリアに声をかけた。
『サリーリアよ。同じ歳なのに古来の儀礼の礼をあんなに優雅に尽くす人を始めて見たわ』
サリーリア皇女はカルス帝国の古語でミリアへと声をかけたのだ。
アリーシャ皇妃は眉を上げサリーリア皇女へと視線を向けるが、皇妃を気にする事なくミリアをじっと見つめた。
『お褒めの言葉、身に余る光栄にございます。ミリア・スタンリーと申します。サシャ様から沢山の事を学んでまいりました。お褒めのお言葉も、サシャ様あっての事でございます』
ミリアは流暢に古語で返事を返した。
アリーシャ皇妃は驚き、サリーリア皇女は固まってしまった。
サシャだけは不敵な笑みを浮かべ、サリーリア皇女を窘めた。
「ミリアには皇女様でも敵わないのですから、無駄な労力でしてよ。それに、人を試す行動は慎みなさいませ」
サシャの言葉に我に返ったサリーリア皇女がサシャへと小さく反論する。
「私が敵わないって、どう言う事かしら?大陸一の国力のカルス帝国の皇女より教養が上だとでも?」
サリーリア皇女はサシャへと視線を向けると、サシャの笑みにピシリと固まった。
笑っているけれど、小さな怒りも見える。
「大陸一の国力だから何だと言うのです。どんなに国力が低かろうと、学ぶ者には何も関係ない事。いい加減その甘ったれた傲慢な考えを捨てなさい。大陸一の皇女の名を辱める行為は許しません」
サシャは笑みを消し、冷やかな視線でサリーリア皇女を射抜いている。
「サシャもサリーリアも、そこまでです」
アリーシャ皇妃が二人に割って入った。
「ミリアさん。サリーリアが失礼しましたわ。サシャの言う通り、サリーリアの考え違いですわね」
アリーシャ皇妃が冷たい視線でサリーリア皇女に視線を向ける。
流石にサリーリア皇女もサシャと皇妃に責められて自分に非がある事に気が付いた。
「ミリアは六歳から私がずっと教えているのです。サリーリアが適うはずがないと覚えておきなさい」
サシャの言葉が信じられないのか、サリーリア皇女はミリアへ鋭い視線を向けた。
「何故貴女なのよっ!」
サリーリア皇女の言葉の意味が解らず、ミリアはコテンと首を傾げた。
「貴女はサシャ様がどう言うお方か知らないの?サシャ様はカルス帝国の皇帝陛下の妹君ですわよっ!サシャ様に教えを乞うていた私を押し退け、何故貴女かサシャ様から教育を受けているのよっ!」
ミリアはサシャの素性を知らされていない。大公であるアドルフの奥方であり、教会で教鞭を振るう夫人。
ミリアが知る情報は、ただそれだけであった。
ミリアはサシャへとゆっくり視線を向けると、困り顔で微笑むサシャと視線が合った。
「私から説明しようと思っていましたが、サリーリアが話してしまいましたね。私はこの国の皇帝の皇妹で、サシャエリスよ」
ミリアは驚愕の眼差しでサシャを見つめた。
(大公夫人ですら大物なのに、皇妹だなんて……絶対に関わり合いになりたくない身分のお方)
ミリアはサシャが雲の上の身分である事に驚いたのではなく、関わり合いたくない身分であったことに驚いただけだった。
「サリーリア、貴女は皇女として幼い頃から優秀な教師がつけられました。皇女として学んできたことは知っていますが、正直に伝えるなら、あれだけ優秀な指導者に恵まれながらその程度しか学べていない事に私は驚いています。皇妃様は皇太子妃教育も受けながらも、五ヶ国語を話され知識も身につけられました。サリーリア。貴女は三ヶ国でしたわね……」
サシャがサリーリアの教養不足を指摘した。
「私だってサシャ様に教えていだけたら、もっと出来ましたわ!ミリア様はサシャ様から学んでいるのだから、出来て当たり前ですわっ」
サシャと皇妃様はサリーリアの発言に小さく溜め息を吐いた。
「ミリアさんは日の半分も勉学に時間を使えないのですよ。確かに六歳から教育をしていますが六歳まで平民だったのです。
教会で貴族教育を受け始めたのはサリーリアより遥かに後になります。スタンリー伯爵家のご令嬢と判明し、高位貴族教育を始めたのは八歳。
八歳から毎日数時間の勉学で六か国語の会話に筆記、マナー、各国の貴族の名前や領地について。全て学び終えているのです。サリーリアとミリアさんを比べるに値しないのは、サリーリアの方でしてよ」
サシャはサリーリアに対して容赦なく厳しい言葉を口にする。
(態とね……。皇女様に発破をかけてるって事か。要は私は当て馬に使われているって事よね)
ミリアは少しだけ不愉快になった。
(療養の為にカルロスさんが連れて来てくれたのに、あっちにいた時と変わらない。また、王族に当て馬で使われるのね……)
不敬だと解っているけれど、視線を庭園の方に向けてしまう。
(やってられるか!)
サリーリアは何も言えず黙り込み、皇妃はそんな娘に呆れた視線を向ける。
サシャは紅茶を口にしようと手を伸ばし、ミリアへと視線を向けるとミリアが庭園を眺めていた。
サシャは心底驚いた。
ミリアがそんな不作法をするはずがないからだった。
紅茶を手に取りミリアの事情を思い起こす。
すると、アドルフから聞かされた話を思い出した。
(王太子殿下達に灸を据えるためにミリアに関わらせ改心させた。と……。
その後ミリアは倒れたはず……。 )
サシャは、不味い。
そう判断した。
ミリアは不快なのだと。
「ミリア様は、今何ヶ国学んでいるのですか?」
ミリアの不作法に気が付いているサリーリアだが、ミリアに声をかけた。
「今、七ヶ国語目です。体調が悪くなりましたので、まだ途中ですが」
サリーリアはミリアの返事を聞いて、少し考えていた。
「ミリア様、少し私と二人で話をしてもらえませんか?」
突然の申し出にミリアは驚くが、この場から離れられると了承した。
「皇妃様、少し離れる許可を頂けますか?」
皇妃はサリーリアの考えが解らないが、ミリアが同意していたのもあり許可を出した。
サリーリアがミリアを誘い、席を立つ。
ミリアはサシャと皇妃に丁寧に挨拶をし席を離れた。
サシャは内心後悔でいっぱいだった。
サリーリアの言葉に対しミリアを引き合いに出した事を。
皇妃はサシャの様子が気にはなるが、話さないなら聞かない事にし、他事の話しを始めた。
ミリアとサリーリアの後ろには勿論ナタリーがいる。
黙ったまま歩くサリーリアにミリアはついていく。
皇城の中へと案内され、少し歩くと豪奢な扉の前についた。
「私の私室なの。入って」
礼をし、ミリアが部屋の中にそっと足を踏み入れる。
(うん、豪華よね。壊さないように気をつけないと)
ミリアとサリーリアは向かい合いソファーに座る。
紅茶と綺麗なクッキーを出すと、サリーリアは侍女達を下がらせた。
「ミリア様の侍女はここにいて構わないわ」
退室しようとしたナタリーだが、ミリアに視線を向け判断を待つ。
「ナタリー、ここにいて」
ミリアの言葉を聞き、礼をとると扉の横に控えた。
「先に紅茶を頂きましょう。あの席で口に出来なかったでしょう」
(その通りです。貴女がたのいざこざで紅茶は飲めてません!)
ミリアは紅茶で喉を潤した。
「さっきは、ごめんなさい。どうしても、サシャ様に教えてもらいたかったから、ミリア様に八つ当たりしてしまったわね」
「いえ、サシャ様の身分を知らなかったので……。私は国外の教えを主にしてもらうので、サシャ様の身分は先程知りましたし、旦那様のアドルフ様の大公という身分もつい最近知ったくらいですから」
「そうなのね。何故国内を避けるのでしょう。外交官にでもするつもりかしら?」
サリーリアの言葉にミリアも考えてしまう。
(大公夫妻は秘密裏な外交を担っていると伯爵様から聞いたわ。私をそれに引き入れるつもりなのかもしれない……でも、今の私では身分が足りない。元平民で伯爵令嬢だし……)
ミリアが悶々と悩み始めたため、慌ててサリーリアが話しかけた。
「あのね、ミリア様。私の話しをするわね」
ミリアはハッとなりサリーリアへ意識を向けた。
「ミリア様はダレツ小国を知ってるかしら?」
「少数民族が纏まり新たに興した国ですね。山岳民族と海洋民族に主に分かれます。国王は山岳民族の長が立たれています。国の貿易品は自国で採れる翡翠と真珠ですね」
「流石ですね。ダレツ小国は新しい国ですのであまり知られていません。私の婚約者がダレツ小国の第二王子なのです。私が学園を卒業と同時にこちらに婿入りしてもらうのです。それで、少々問題がありまして……」
何やら口籠るサリーリアの次の言葉を待つ。
「ダレツ小国の言語はその……難しくて、まだ習得出来ていないのです。殿下から手紙も来ますが返事を返したくとも難しくて……」
ほんのりと頬を染めるサリーリアは、殿下に好意があるのだろう。
殿下から手紙が来るというなら、お互い想い合う婚約者なのだとミリアは理解した。
「私に教えて欲しいと?」
ミリアの言葉にサリーリアが頷いた。
「そうですね、殿下が山岳民族であるなら……」
ミリアは丁寧にサリーリアに勉強法を教える。
「海洋民族は独特の訛りがあるので、また別の方法があります。とりあえず、この方法で学んでみてください。お手紙の返事を沢山書けると良いですね」
ミリアがニッコリ微笑みサリーリアに伝えると、サリーリアの顔が真っ赤になる。
「ダレツ小国の後ろ盾となる婚約です。政略的な婚約ですが、不仲より仲良くやれる方が良いかと……」
「そうですね。政略的な婚約であっても、互いに認め合い支え合う事は大事ですし」
ミリアの言葉にサリーリアも「同じく」
と、短い返事を返した。
(婚約者か……。伯爵家を出る予定だから、私に婚約者はいない。あら?マリアンネは今何歳だったかしら?私がもう少しで15歳になるから、13歳?物語では12歳で婚約者がいたはずだけれど……伯爵様からは聞いていないわね。まあ、マリアンネの事は私に伝えないようにしてくれているから聞かされていないだけかも)
サリーリアは婚約者へ手紙を書き始めた。
ミリアに添削してもらいたいそうだ。
人の手紙を見ることは好きではないが、サリーリアに頼み込まれたミリアは渋々了承した。
目の前で悩みながらも、一文字ずつ丁寧に認める姿はさながら恋する乙女のようだった。
(手紙か……)
ミリアは込み上げる苦しい思いを、ゆっくりと飲み込んだ。




