16話 ミリアの価値
サリーリア皇女に懐かれたミリアは、サシャの住まう邸に滞在しながらサリーリアに語学を教えていた。
「ミリア様の指導はわかりやすいし、この音の表が素晴らしいですわ」
サリーリアが眺める幾つかの紙には、各国の言葉が記されていた。
前世のアルファベット表と、単語帳であった。
この世界の言語は複雑ではあるが、ほとんどの国の文法は英語に近い事をミリアだけは理解していた。
日本語ほど複雑ではいから覚えてしまえば理解は早い。
表を作るだけで理解度はあがる。
それは、どの国の言語にも当てはまるので各国の言語表をミリアは作成していた。
サリーリアに書き写した表と単語帳を渡し説明すると、驚いて目を丸くし、ミリアの両手を握りブンブン振りながらお礼を伝えられた。
いつものように勉強をしていると、ふいにミリアへサリーリアが問いかけた。
「ミリアはこんなにも可愛いのに、婚約者とかいないのよね?想いを寄せる殿方とかいないの?サシャ様もミリアを気に入っているから、婚約者とか内心考えていそうだけど」
サリーリアは賢く聡明で、容姿も整ったミリアが未だに婚約者がいない事が不思議でならなかった。
「私は伯爵家を出ていく予定ですので、婚約者がいては困るのです。だから婚約者がいなくても大丈夫なの」
ミリアはサリーリアの手紙を添削しながら、視線を向けずにそう言葉を返した。
サリーリアはミリアが何かを隠し誤魔化した事に気が付いた。
(ミリアの表情が一瞬曇ったわね。叶わぬ恋かしら……深掘りしない方がきっと良いわね)
「ミリアの事情は複雑だったわね。伯爵家を出たら、私の側付きにならない?もし、国を出るなら、この国を私を頼って欲しいわ」
「そうですね……サリーリアの側付きは慎んでお断りしますが、国をもし出る事があれば、カルス帝国を頼りたいと思います」
国に滞在してまだ三日目ではあるけど、サリーリアとミリアは勉強を通じて親睦を深めた。
数日の交流ではあるが、お互い敬称なしで呼び合う程に仲を深めた。
「この表や単語帳を広めたいけれど、駄目かしら?」
サリーリアは紙を眺めミリアへと問いかける。
「売りに出すのであれば、カルロスさんの許可を取ってください。私の知識はカルロスさんのために使いたいのです。私を拾ってくれたカルロスさんは恩人です。カルロスさんに出会わなければ、学ぶ機会は得れなかったのですから」
「カルロスは忙しくて捕まらないのよね!私が呼び出しても、のらりくらりで断られるし」
サリーリアは溜め息を吐くが、ミリアを見て両手を胸の前でくみお願いポーズをとる。
「ミリアからカルロスに話してもらえないかしら。初等科や平民もこの表があれば、もっと理解しやすくなるはずだもの」
サリーリアは儲けたい訳ではなく、学力の底上げをしたいようだった。
「サリーリアの考えは理解したし、賛同するわ。それなら自由に使ってくれて構わないわよ?」
「駄目よ!ミリアの考えたこの表を対価も無しに広めるのは違うと思うの。ミリアが考え作ったのだから、その対価は必要じゃない?民も何かを発明したり開発すれば対価が得られる。私はそんな仕組みを作りたいと思うの」
(特許はこの世界にはないから、機関を設置する事から始まるわね……でも、その考えは良いと思う)
前世の知識ではあるが、特許申請の仕組みの説明をした。
この世界の人々は魔力を保持している。魔力で誓約書を結び他者の介入や横取りが出来ない仕組みを作る事が出来れば、平民でも利益を得ることが出来るはず。と、サリーリアに提案してみる。
ミリアの説明を聞いたサリーリアは、口を開いたままポカーンと呆けていた。
(あれれ?説明が伝わらなかったかしら?それとも、特許申請そのものが駄目なのかしら?どの説明がわからなかったのかしら……)
ミリアもサリーリアもお互い疑問を浮かべ黙り込み、会話にならない。
「こほん」
小さな咳払いで、ミリアもサリーリアも我に返った。
咳払いをしたのはナタリーだ。不敬ではあるのは承知の上で二人の思考を戻すために行動していた。
「ありがとう。ナタリー」
ミリアは紅茶を淹れるナタリーにお礼を伝えた。
「不作法を致しました。申し訳ありません」
ナタリーが謝罪するも、サリーリアは謝罪をしなくてよいと断った。
「ミリアのその、特許?とやらを詳しく精査して、運用出来るかをお兄様に相談してみるわ。お兄様も貴族だけが利を得るのではなく、国に尽くしてくれる民に何か出来ないかを考えているの」
サリーリアは紅茶を手にしたままカップを眺めていた。
「皇族や貴族は民達のおかげで不自由のない贅沢な暮らしが出来る。その代わりに安心して生活出来る環境を整え、もしも他国と戦争になったりしても民達が被害を被らないように盾になるからこそ、贅沢な暮らしが出来る」
サリーリアは視線をあげ自身の考えを吐露する。
「でも、安心な暮らしがずっと出来ているなら私達の持つ役割は意味をなさない。ただ、贅沢な生活を過ごしているだけ。
私は民達にこの恩を何かの形で返したいの。無償でこの生活をする事に、私もお兄様も後ろめたさが心の隅にあるの」
(善良過ぎる。王族や皇族には自由がない。人生の全てを国のために捧げるのよ?勉学だって作法だって何もかもを徹底的に教育されるのに……。それでも民のためにと考えるサリーリアにうまく伝える言葉は見つからない……)
「私の知識の及ぶ限り、サリーリアの願いのお手伝いをするわ」
ミリアはサリーリアと特許について案を練り始めた。
サリーリアはミリアと話をするにつれ、何も考えられなかった。
ミリアはカルス帝国の機関の全てを把握していた。
今ある機関で動かせる道筋を作り、足りない機関を設置するにあたり、どういった能力を持つ人材が必要かすら提案する。
必要なものを纏めあげるのに、半日もかからなかった……。
「ミリア……貴女、何者なの?簡単な草案しにても綿密すぎるわよ。これ……」
サリーリアはミリアが纏めた書面に目を通し、ミリアへと視線を向けた。
「ただ知識があるだけよ?」
簡単に答えるが、そんな内容ではないくらいの仕上がり。
このまま原案として議会へ出しても不備は見当たらなく通るだろう……。
サリーリアも王族として早くから執務を熟している。だからこそ、ミリアの異常さが理解出来た。
(逃がすわけにはいかないわ)
「今からお兄様に見せてくるわ。ミリアはサシャ様の宮に行くのよね。お兄様の返事はサシャ様の宮に伝えるわ」
サリーリアは早く兄である皇太子の執務室に向かいたい。
ミリアとは別れ、早足で皇太子の執務室へと向かった。
「サリーリアは忙しないわよね。見てて飽きないからいいけど」
ミリアは呑気に構えているが、ナタリーはサリーリアがミリアを捕まえ離さないだろうと想像出来た。
草案をさらさら書き出すミリアを見ているサリーリアの視線は、獲物を狙う獣の目をしていたから。
王城からサシャの住まう宮へと戻り、サシャと共に夕食を頂いていた。
「カルロスが宮に来ました。ミリアに会いに来たようでしたが、サリーリアといると伝えたら逃げたわ」
クスクス笑いながらカルロスの様子を伝えた。
「カルロスはサリーリアが苦手なようね。いつも何か言われてるみたいだから」
「サリーリアはカルロスさんに力添えをしてもらいたかったのではないでしょうか」
ミリアの言葉に、サシャが食事の手を止めた。
ミリアはサリーリアの話を聞き、民のためにと考えた案の話を伝えた。
サシャがミリアにもっと詳しく説明を求めようとしたが、侍女がサシャの耳元で何かを伝えていた。
「皇太子殿下がみえたようよ。食事の途中ではありますが、ミリアも一緒に来てください」
サシャは口元を拭き、ミリアを連れて応接室へと向かう。
部屋に入ると皇太子殿下とサリーリアが待っていた。
「食事の途中にすまない。どうしても確かめなければならない事があってな」
皇太子殿下がサシャに謝罪を告げた。
サシャはサリーリアも来た事で、ミリアが話していた特許についてであろうと予測した。
皇太子殿下とサリーリアが並んで座る対面に、サシャとミリアが座る。
ミリアは視線に気が付き顔を向けると、皇太子殿下であるフェリクスがミリアを見ていた。
「サシャ様は特許の話は聞かれましたか?」
殿下がサシャへと問いかけた。
「先程聞きました。とんでもない事を考えたのだと」
ミリアは特許は無駄な案だったと勘違いした。
(私程度が考える事が、王族の考えより優れるはずがなかったわ。調子に乗った結果ね。恥ずかしい……)
俯くミリアに殿下が声をかけた。
「サリーリアから話を聞いている。私はこの国の皇太子のフェリクスだ。ミリア嬢の草案を読んで逃がしてはならないと判断し、急ぎ参ったのだ」
ミリアは、え?と自分の膝に乗せた手を見ていた……。
(認められたの……?)
ゆっくりと視線をあげ、フェリクス殿下へと視線を向ける。
フェリクス殿下は優しい笑みでミリアを見つめていた。
「私の願いを汲んでくれたようなこの案に、私は皇太子の名を賭けてみたくなった。良ければ特許の部署の設立に力を貸してもらえないだろうか」
フェリクス殿下は真っ直ぐミリアを見て自身の願いを伝えた。
「私からもお願いするわ。ミリアの知識を私達に貸してほしいの。働いた対価はきちんと支払うように契約書も作ってきたの。一年、いえ。半年で構わない。力を貸してください」
帝国の皇女が平民あがりの貴族に頭を下げる。あり得ない状況のなか、ミリアはサリーリアの姿が滲んでいくのをただ呆然と見ていた。
ミリアは自分が涙を流し続けている事に気が付いていない。
「ミリア、私からもお願いするわ。どうか、この国の民のために力を貸してくれないかしら」
サシャはミリアの頬の涙をハンカチで吸わせ、自身の胸に抱き寄せた。
サシャは自分の価値を低く見積もり、自身を蔑ろにするミリアを気にかけていた。
「ミリア、貴女は誰より強くそして聡い。でもね、まだ貴女は守られるべき子供なのよ?
貴女は多くの人からちゃんと愛されているわ。スタンリー伯爵夫妻はミリアをとても大切にしている。サリー夫人は血の繋がりはないのに、あの方は私の元にミリアを頼みますと頭を下げに来られた。
ミリア、貴女は愛されるべき女性なのよ。
私もいます。ナタリーもいます。伯爵夫妻もいます。もっと肩の力を抜いて自分の幸せのために生きなさい」
サシャはミリアの頭を撫で続け抱きしめる。
「私はっ……私がいるから不幸になるって…サリー様にも…迷惑が…」
(サリー様がわざわざサシャ様に私を頼むと……まるで、まるで本当の娘みたいじゃないっ)
サシャから告げられたサリーの行動に、胸が熱くなり涙が止まらない。
涙の止め方がわからない。
サシャの胸の中でミリアはいつの間にか眠りに落ちていた。
「フェリクス殿下。ミリアはとても賢い女性です。ですが、心に大きな傷を抱えています。伯爵夫妻や生みの母親の事だけではなく、何か人には話せない大きな何かを抱えています。
ミリアを決して傷付ける事は許しません。それだけは心に刻みなさい」
サシャの圧にフェリクスもサリーリアも息を呑んだ。
「ミリア嬢が承諾してくれる前提で動かせてもらいます。サシャ様からも説得をお願いしますね」
フェリクスとサリーリアはミリアの様子を伺い、穏やかな寝顔に安堵しサシャの宮を後にした。
サシャは暫くミリアを抱きしめたままソファーから動く事はなかった。
ナタリーはミリアを抱きしめたまま寝顔を眺め微笑むサシャを見て、涙を溢れさせていた。
(この光景をミリア様に見せたかったです。まるで母子のような、この光景を……)
その日はミリアは目覚める事はなく、朝まで熟睡した。
朝の日差しがカーテンの隙間から差してくると、ミリアの瞼がゆっくりと開かれた。
昨日サシャの腕の中で泣き疲れ眠りに落ちた事を思い出し、恥ずかしくて顔を出せずにいた。
「ミリア様?お目覚めですよね」
ナタリーに声をかけられ、ミリアはおずおずと顔を半分だけ出した。
「サシャ様に迷惑をかけてしまったわ」
瞼をパンパンに腫らしたミリアだが、ナタリーはそんなミリアも可愛いなぁーと思っていた。
氷の魔石が入った桶に布を浸し絞るとミリアの瞼の上にそっと乗せた。
「サシャ様は泣き疲れ眠るミリア様を、それはそれは大切そうに、愛しそうに眺めていらっしゃいました。母子のような光景に、私は泣いてしまいました」
ミリアからの返事はないけれど、ナタリーは話を続ける。
「伯爵様も奥様もミリア様を大切に思っていらっしゃいます。ですが、それはあちらの気持ちであって気持ちに応えられなくとも、ミリア様が申し訳なく思う事ではありません。
いつか、ミリア様の心に変化があった時には、きちんと向かい合えばよろしいかと。無理にミリア様のお気持ちを曲げる必要はありませんから。
使用人の私が言ってはならない事なのは、承知しています。
ですが、ずっとミリア様と一緒に過ごして来たのです。私にとっては、可愛いお嬢様であり娘のようであり、妹なのです」
ナタリーがミリアの布を冷やし直そうと布に手をかけると、ミリアが布を両手で押さえナタリーの手を止めさせた。
嗚咽を堪えるミリアの髪をナタリーは優しく撫でた。
ようやく泣き止み、布をナタリーに渡した。
「ナタリーが泣かせるから、冷やした意味がないわ」
真っ赤な目をしたミリアは兎のように可愛いらしい。
「ミリア様、今日は久々にツインテールにしましょうね」
ナタリーは兎のミリアを見たくて、ミリアの身支度を急ぎ終わらせた。
柔らかな桃色の髪をツインテールにすると、兎の耳のようにフワフワしている。
泣き腫らした瞳は桃色が濃く本当に兎の目になっていた。
ナタリーは満足し、ミリアの衣装の色を白で纏めた。
ダイニングに向かうとサシャ様が先に待っていた。
「おはようございます。サシャ様」
サシャはミリアを見るなり椅子から立ち上がった。
「まぁまぁまぁ!なんて可愛らしいの」
サシャはミリアの髪や衣装を眺め始めた。
「今日はサリーリアには渡しません。ミリアは今日は私に付き合ってもらいます」
サシャの命ならば断る事は出来ない。
それに、早く食べるようにサシャにせっつかれ、食後の紅茶も却下されあれよあれよで馬車に押し込められた。
行き先もわからないまま、暫くミリアは馬車に揺られる事になった。




