14話 ミリアの心の揺らぎ
王太子殿下とのお茶会から数日経ったある日、アドルフがミリアの部屋へとやって来た。
「久し振りだね、ミリア」
ミリアは羽ペンを置き、アドルフへと視線を向けた。
席を立ち軽く礼をとる。
(私の立場を知ってしまったようだ)
アドルフはいつもの可愛らしい笑みを浮かべた出迎えではない事に全てを察した。
ナタリーにはミリア以上に距離を取られてしまった。
アドルフは唯一の癒しの場所が消えた事を残念に思うが、受け入れる訳がない。
「ミリア、話をしよう」
ソファーにミリアを座らせ、対面にアドルフが腰掛ける。
ナタリーが淹れてくれた紅茶を口にすると、最高級の茶葉を用意された事が解る。
「いつ私の立場に気が付いたのだ?」
「なんとなく、そうではないかと思う事はありました。大公様であるかは別にして、かなり高位の方だとは思っていました。
大公様の存在は意図的に隠されていますし、大公様のお名前が違うので、同一人物とはなりませんでした」
「殿下達を連れてきた時に結びついたのかな?」
「そうですね……」
(レンに攻略対象だと聞いて、王太子殿下相手にあれだけ不躾な態度が出来るのは大公くらいだと考えたからだけれど……)
「そうか……彼奴等を放って置けば良かったな。癒しのミリアが消えるくらいなら、彼奴等が消えれば良かったよ」
「「えっ?」」
ミリアと壁際に控えるナタリーから驚きの声があがる。
「「申し訳ございません」」
と、謝罪も同時にされた。
「君達は姉妹みたいだね。息の合い方はまるで双子のようだ」
クスクス笑うアドルフに、ナタリーは畏れ多いと恐縮していた。
「ありがとうございます。ナタリーと姉妹だと言われとても嬉しく思います」
ミリアの機嫌は良くなり、ニコニコ笑顔。
アドルフが来た事でほんの少しミリアが不機嫌になった事には気が付いていた。
「ミリア、私は幼い頃にミリアを見て君を守りたいと思った。生まれを不憫に思ったからだけではない。幼い君が貪欲に知識と向き合い大人びた姿で強く、誇らしく、堂々と生きるその魂に惹かれたのだ。
知識を与えれば与えた分、いや、それ以上に吸収していくミリアの成長を楽しみにしていた。私はそんなミリアの未来を側で見たくなった。美しく咲き誇る姿を。
ミリアは何があろうと腐る事はない。そう信じれるからだ」
ミリアは自分の知識が役に立つから、翻訳や外交の書面の添削を仕事として与えられていると思っていた。
自分自身の価値に目を向けてくれているとは、露ほどに思っていなかった。
「それほどの価値はないかと………」
ミリアはなぜそこまでアドルフが褒めるのか理解出来ない。
「教会の教師にサシャと言う教師がいるだろう?あの人は私の妻だ」
ミリアは口を開いたままポカーンとしている。
(サシャ先生がアドルフ様の奥様?)
「驚いたかい?」
驚くミリアを見て、アドルフは楽しそうに笑っている。
「ミリアを先に見初めたのはサシャなんだ。教会に新しく学びに来た少女の話をずっと私はサシャから聞いていた。自分の考えをしっかりと持つ幼い少女の話に私も夢中になって聞いていた。そして私にカルロスがミリアを紹介してくれた。私はミリアを見て、初めてサシャの気持ちがきちんと理解出来た。
未来ある少女を側で見守り育てる事が楽しいのだとね」
ミリアは転生者であり、前世は仕事をして大人として生きた。
前世は辛い事ばかりだったけれど、それでも翻訳の仕事は大好きだったし学ぶ事は苦ではなかった。
転生者したものの、前世の思考とミリアとしての幼い考えに上手く感情を操れなかった。
ここ数年は前世と今世の自分が上手く混ざり合い馴染んだ為、気持ちが楽になった。
それは全てナタリーのおかげ。
大人のミリアも、幼いミリアも全て受け止めてくれるナタリーの存在のおかげだからだ。
ミリアはアドルフが自分を評価してくれるのは正直嬉しくはある。
でも、それはナタリーがいたからこそ。
「サシャと私が気に入っている子供がミリアだと知った時に驚きはしたが、納得したのだよ。私達は似た者夫婦だとよく言われるからね」
「そうですか……」
(惚気?)
「伯爵家を出たいならば、私達の養子にとも考えた。私達には子供はいない。理由があって作らないと決めている」
ミリアはアドルフの夫婦の事情を聞き青褪めた。
大公家の裏の事情なんて知りたくもない。
「ミリアは伯爵が嫌いで家を出たい訳ではない。ミリアは自分の存在を認める事が出来ていない。ならば、ミリアは私達が国ですら認める人間として育てようと話し合ったのだ」
ミリアは青褪めたまま、次にはギョッとした顔をする。
百面相をし、コロコロと表情の変わるミリアを見るのは初めてだ。
ミリアを眺めていると、レンと名付けられている黒猫がミリアの膝から起き上がった。様子を探るかのようにじっとアドルフの瞳を覗いている。
アドルフはなぜかその瞳から視線を逸らす事が出来なかった。
その直後、アドルフの脳裏に声が響いた。
【【お主の魂に嘘は見えぬ ミリアを大切にせよ】】
レンと呼ばれる猫の口元があがり長い尻尾が満足気に揺れる。
ミリアに視線を向け不思議な猫のレンの話をしようとするが、言葉が出ない。
見えない何かに声を消される感覚が喉の奥から感じる。
レンの何かを問おうとすると、喉が凍り付くように痛みが走る。
(ミリアは上位の存在に護られし者なのだな)
アドルフはレンに視線を戻し、小さく頷いた。
レンはそれを受け入れたのか、再びミリアの膝の上で丸くなった。
「ところで、ラインハルトの執事から話を聞いたのだが、ミリアはラインハルト相手に説教をしたらしいな。執事が楽しそうに話を聞かせてくれた。執事もミリアの意見に同意すると伝えたらしい。あの後、ラインハルトは席から立てずに夕刻まで席にいたらしいぞ」
ラインハルトとは王太子殿下の事だが、アドルフはクスクス笑いながらミリアとキャサリーヌが参加したお茶会の話を続ける。
「正論過ぎて反論する間もなかったらしいな。ミリアのおかげでラインハルトは自分の今の立ち位置を理解したらしい。ただ王太子として危ういだけでなく、長く支えてくれた婚約者からは好かれていないと気付かされたのだからな」
アドルフは出された紅茶を口にするが、この部屋にはやはり合わない……。
「ナタリー、いつもの紅茶にしてくれ」
アドルフの言葉にナタリーが驚いた。
カルロスから頂いた高級な茶葉が気に入らなかったのだ。
慌てて淹れなおすナタリーを見てアドルフが声をかける。
「ミリアの部屋で飲む紅茶は、いつもの方が落ち着くのだ。ミリアがいつも飲む紅茶を飲みたいだけだ」
(もしかして……ロリコン?では…ないわよね……)
怪しげな視線を向けるミリアに気が付いたアドルフは、小さな溜め息を吐いた。
「ミリア、その視線は駄目だ。私は変態ではない。高級な茶葉は飲み飽きている。スッキリとした素朴な紅茶の方が私は好きなのだ。だが、立場上そんな事は口に出来ない。この部屋でようやく自分の好みの紅茶が飲める喜びを奪われたくはない」
ミリアは不躾な視線を無意識に向けていた事に気が付いた。
そっと視線をレンへと向けた。
「変態とは思ってませんよ?」
レンを撫でながらミリアが小さく囁いた。
ナタリーがいつもの紅茶を出すと、アドルフは香りを堪能しゆっくりと喉を潤す。
ミリアも口にすると、確かに高級な茶葉よりいつもの茶葉の方が美味しく感じた。
和んだ表情をミリアが見せた為、アドルフがミリアへ聞きたかった事を問いかけた。
「ミリアの髪飾りは手作りだな?」
「はい。エアハルト様から贈られました」
アドルフはあのエアハルトが?と、驚いた。
ミリアがエアハルトの症状を見て魔力過多だと判断し、その治療法さえ伝えていた事はアドルフにも、そして国にも報告されている。
ミリアが言ったように他国では治癒が可能な病気であるとも調べ上げた。
エアハルトがミリアに好意がある事は関係者の殆どが知っている。
婚約者となるのは確定であろう事も。
だが、アドルフとサシャは反対していた。ミリアは伯爵家を出たい。自分で自分の居場所を作りたいと願っているのだと。
そう思っていた。
だから、エアハルトの片思いだと勝手に結論づけていた。
だが、髪飾りを嬉しそうに触れるミリアを見て考えが変わった。
何が何でも、エアハルトとミリアを添い遂げさせると今この時に誓いを立てた。
「エアハルトと仲良くしているのなら良かった」
アドルフの言葉に一瞬ミリアの表情に影が出来た。
「エアハルト様の病はどうなのでしょうか。お手紙には大丈夫だと、待ってて欲しいと書かれていました。ですが、お手紙の返事も届かなくなり体調がまだ悪いのか心配なのです……私の手紙も負担になるのではと……」
(エアハルトのやつ……。これは良くないな……)
「あいつは少しずつ社交界に出ている。ミリアも気が付いているとは思うが貴族だからな。体調が悪くない日は社交界に顔を出しているし、学園にも入っているから慣れない毎日で忙しいのだろう。ちゃんと元気にはしているから安心してくれ」
ミリアを気遣っての話だったのだが、真逆に作用してしまった。
「社交界や学園に行かれるほどに体調は良くなったのですね……」
ミリアの瞳は安堵と不安で揺れている。
「お元気になられたなら良かったです」
少し苦しそうには笑顔を向けるミリアに、アドルフは胸が痛む。
(アイツは絶対に殴る!)
アドルフはエアハルトに説教する事に決めた。
「良かったらエアハルトに手紙を渡すが、どうする?」
アドルフからの提案に少し悩みながらも手紙を書くと決めたようだ。
この手紙にミリアが賭けていた事をアドルフもエアハルトも気が付けるはずがなかった。
ミリアはアドルフへと手紙を渡すと再び仕事へ取り掛かった。
この手紙を最後に、ミリアからエアハルトへ手紙が出される事はなかった。
あれから何度かアドルフが訪れるが、ミリアは何となくだが素っ気ない。
伯爵家とナタリー、カルロス、キャサリーヌ以外とは心を開かなくなっていた。
教会で教師をするサシャもミリアの変化に気が付いた。
ミリアはいつもと変わらずサシャから学ぶ。
声のトーンも表情も変わらないが、見えない深い溝が出来た事に気が付いた。
その日の夜、サシャはアドルフと離婚寸前までとなる夫婦喧嘩をしていた。
サシャが激怒し、大公家を出て隣国に帰ってしまったのだ。
そんな事をミリアは知る事はない。
急に教師がいなくなったが、サシャの代わりに来ていた夫人が教鞭をとってくれた。
夫人は国内情勢に詳しく、ミリアに王族から騎士爵に至るまで細かく教えてくれる。
「ミリアさんはまだ社交界デビューしていませんね。各家門の情報はお教えしますが、貴族達の顔を知らない方が良いでしょう。デビューして顔を合わせてからで良いと思いますので」
素直に頷くミリアに、夫人は満足そうに微笑んだ。
なぜ?と聞き返さず、ただ知識を欲するミリアに好意を持った。
それからミリアは聞きたくない乙女ゲームに出てくる家門についても学ぶ事になった。
ナタリーはミリアの変化に気が付いた。
夫人も勿論気が付いたが、学ぶ姿勢を続けるミリアを遮る事はせずにいた。
教会を出た後の馬車の中でナタリーがミリアに大丈夫かと声をかけた。
「今日の家門は関わり合いたくない人ばかりだったから疲れたかな……」
「ミリア様、一つお聞きしても宜しいでしょうか……」
ミリアがナタリーに視線を向け頷いた。
「ミリア様はどうしてそこまで知識を得ようとなさるのでしょうか。学ぶ事が大好きなのは見ていて解りますが、各国の深い部分まで知る必要があるのかと疑問に思ったのです」
ナタリーの質問にミリアは首を傾げて答えを考える。
レンはミリアの膝に乗り丸くなって心が安らぐように甘えている。
「そうね……私は転生者に与えられる神様からのギフト?かな……特別な力があるとしたら、知識や文字に関わる事のような気がするの。前世も確かに勉強が好きだったけれど、こんなに物覚えが良かった訳では無いの。物語のミリアも至って普通なの」
ミリアはレンから視線を外してナタリーを真っ直ぐ見つめる。
「知識はいつか何かの役に立つと思うの。伯爵家を出た後や、物語から逃げたい時にきっと役に立つわ」
「国を出る可能性もあるから。ですか?」
ナタリーの言葉にミリアは言葉は使わず頷くだけだった。
「ミリア様が国から出る時は、必ず私も付いてまいります。置いていったりしたら一生呪いますからね?必ず私に教えて下さいね」
ナタリーからの圧に、コクコクと頷き了承した。
(レンとナタリーがいれば、国を出ようと生きていける……)
ミリアはレンを撫でながら、ナタリーの優しさに泣くのを堪えていた。
キャサリーヌは何度かミリアに会いに商会に来てくれた。
キャサリーヌも最初の頃は王太子殿下を嫌っていた。嫌うと言うより、興味が無かったのだ。
必死に今までの愚行を謝罪し、キャサリーヌと気持ちを通わせようと必死になっている殿下に、少しだけ前を向こうと態度を軟化させていた。
まだ恋や愛にはなっていないけれど、政略結婚する者としてお互いを信頼出来るようにしたいそうだ。
少しだけ嬉しそうにするキャサリーヌを見て、良かったと安堵する気持ちと、羨ましいと妬む気持ちがミリアに芽生えてしまった。
勉強や翻訳に支障が出るほどに、ミリアの気持ちが揺らぐ。
ナタリーは以前のように倒れられては困ると、カルロスに相談をする。
カルロスも教会からミリアの異変を聞かされていた。
暫く休んだ方が良いと話が来ていた。
「明日から私はカルス帝国に商談で向かうのだが、ミリアも連れて行こう。勿論、ナタリーとレンもだ。
伯爵には今から私が伝えに行く。必死な物は全て商会で購入しそのまま荷造りしてもらおう。ミリアの物だけでなくナタリー、貴女も必要な物を買うように。
二人へのご褒美だから、好きに購入してくれて構わない」
カルロスはナタリーに告げると、そのまま伯爵家へと説明に向かった。
ナタリーはミリアの待つ部屋に戻り、カルロスからの提案を伝えた。
「そうね……今の私は皆に迷惑しかかけないから、隣国へ行くのもありかもしれない」
「ミリア様、少し休息致しましょう。そして、気持ちが決まりましたらそれを実行すれば良いのです」
ミリアが何に悩み苦しんでいるのかをナタリーは解っている。
ミリアもナタリーが何を言いたいのかも理解している。
今の自分を捨てて考える時間が必要だと、ミリアは決心したのだった。




