第3話:一年の狂気
第2話をお読みいただきありがとうございます!
家族を守るため、怒りを胸に暗殺者の道を選んだ茜。ここから地獄のような一年の訓練が始まります。主婦のスキルがどう狂気的に昇華されるのか、ぜひご覧ください!
暗殺者ギルド『カナリア』の訓練は、人間の限界を遥かに超越していた。
朝の冷え切った空気の中での走り込み、数日間の絶食を伴うサバイバル、毒物への耐性をつけるための過酷な投薬、そして死と隣り合わせの殺陣の稽古。
若い肉体を持っていようとも、元はただの三十六歳の主婦である茜にとって、そのすべてが生きて地獄を味わうような苦行だった。
初めて人を模した木偶を刃物で突き刺した日、茜は自分の手のひらにこびりついた血の幻影に怯え、夜中に何度も嘔吐した。
「私はいったい、何をしているんだろう……」
暗く冷たい監房のベッドで、毛布をかぶり、夫の温もりや健太の笑い声を思い出しては涙を流した。ここで折れてしまえば、二度とあの日常には帰れない。家族の元へは戻れない。
恐怖と孤独が、毎夜のように彼女の心を押しつぶそうとした。
しかし、折れそうになる茜の心を支えたのは、奇妙なことに「主婦としての意地」だった。
(なめられたものじゃないわ)
ある日の訓練中、冷徹な教官が茜を床に押さえつけ、冷笑を浮かべた。
「お前のような素人が、いくら若返ったところで本物の暗殺者には勝てん。諦めて雑用でもしていろ」
その言葉に、茜の中で何かがカチリと音を立てて切り替わった。
包丁さばき一つとってもそうだ。毎日の夕食作りでは、限られた食材で家族全員の栄養と好みを満たし、無駄な時間も無駄な金も一切出さずに手際よく仕上げてきた。家計のやり繰りだって、底なしの泥沼のような苦しい月を幾度も知恵で乗り切ってきた。
「効率よく、最小限の労力で、確実に結果を出す」――それは主婦が長年培ってきた、生き抜くための最強の技術ではないのか。
そこからの茜の変貌は、教官たちを恐怖させるほどだった。
彼女は華麗な体術や、無駄に大げさな殺人技など一切学ばなかった。
敵の急所を最小限の動きで抉り出す包丁さばきの応用。気配を完全に消し、家事の合間のように淡々と罠を仕掛ける手際の良さ。そして、何日も寝食を忘れて獲物を追い詰める、底知れぬ主婦の執念。
それは優雅な暗殺者の技とは似ても似つかない、泥臭く、執念深く、そして絶対的な確実性を誇る「生活の知恵から生まれた暴力」だった。
一年の月日が流れた。
かつて怯えていた主婦の面影は、その黒髪の瞳の奥深くに冷たい光を宿す「死神」のような気配へと変わっていた。
ギルド内の暗殺実習において、茜の成績は常にトップを叩き出すようになる。訓練生たちは恐れを込めて、彼女をこう呼ぶようになった。
――「無表情の殺戮人形」と。
だが、当の本人は周囲の恐怖の視線などどこ吹く風といった様子で、心の中で淡々と呟いていた。
(ふう、今月のノルマもこれで終わりね。……早くあのガキを始末して、元の世界に帰るんだから)
一年に及ぶ地獄の訓練を耐え抜き、茜は暗殺者として異例の速さで頭角を現した。
刃は研ぎ澄まされ、母の執念は完全に牙を剥く。
舞台はいよいよ、ターゲットの待つ王城へと移り変わる――。
第3話「一年の狂気」をお読みいただきありがとうございました!
主婦のスキル(家事や家計やり繰りの執念)がサバイバルと暗殺術に昇華していく過程を描いてみました。いよいよ暗殺者として頭角を現した茜ですが、次はいよいよ王城への潜入編へ突入します!
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