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名前

 コンビニを出ると、俺たちは目的のピッツァ山という店に向かった。



「……ここですか?」

「そのはずなんだけど……」



 外装は普通だな。

 というか、イタリアンのレストランに見えない。

 町に遊びに行く時にいつも通る道にあったのだが、ここが飲食店なんてわからなかった。

 それくらい、ピッツァ山という店は隠れるように平凡だった。



「とりあえず入ってみるか」

「はい」



 中に入ると、あまりにも外の気配と切り離されていた光景が目に入った。

 窓には分厚いカーテンがしてあり、天井からつるされ布に包まれたランプだけがその空間を柔らかく照らしていた。

 木製のテーブルに敷かれているテーブルクロスからは、このお店がお客への無駄のない丁寧な配慮をしていることが垣間見えた。



 おいどういうことだよ!

 滅茶苦茶高そうなお店じゃんか!



『いいえ調べてみたところ、一つ一つのメニューは1000から2000円台と良心的な値段です。本場イタリアンの味を楽しめるという(ぞく)にいう隠れた名店というやつです』



 ホントかよ?



「綺麗……」



 古江は感心したように口を半開きにしながら天井や壁を見つめていた。



「いらっしゃいませ」



 若いウェイターがこちらにやってくると、綺麗な会釈をした。



「あの、予約してないんですけど……」



 こういう店は経験が皆無なので店の人以上に縮こまってしまうな。

 ウェイターはニコッと笑うと「こちらへどうぞ」と暖かく迎え入れてくれた。



 良かった、とりあえず入れるみたいだ。

 空いている席はたくさんあったしテーブルの上に予約席のプレートもなかったので大丈夫だろうと思ってはいたが、こういうところは予約無しじゃ入れないイメージがあったからな。



「2階に上がります」



 ウェイターに導かれるまま階段を上がる。

 案内されたのは、まさかの個室だった。

 しかもパーティー用なのか、長いテーブルに椅子が12脚も並べられていた。



「本日空いている席がこちらしかなく。よろしいでしょうか?」

「え、あ、はい。だ、大丈夫、です」



 そうかぁ、そうだよな。

 席が空いてても予約無しとは限らないよな。

 でも個室を用意してくれるのは予想外すぎたな。

 個室こそ予約有りじゃないと入れないイメージがあるのに。



「流狩流君、どっちに座りますか?」

「あ、じゃあ……左で」



 長テーブルの中央の席に古江と向かい合うように座った。

 別にどっちでもよかったのだが、なんとなく左を選んでしまった。



「こちらメニューです」



 個室にあらかじめ置いてあったメニューをウェイターがわざわざ手渡ししてくれた。

 開いてみると聞いたことのないような料理名ばかり、なのにアイの言う通り値段が1000円台のものばかり。

 かろうじてマルゲリータなどのピザやパスタ類の単語はわかったが、それ以外はさっぱりだ。



『ピザはアメリカ英語の発音なので、こういうイタリアンのお店ではピッツァと言う方が正しいのですよ』



 そうなのか、知らなかった。



「あの、流狩流君って、こういうお店によく来るんですか?」



 古江にかしこまられながら聞かれた。

 いきなりこんな店に連れてこられて、お金持ちのボンボンとでも思われたか。



「いや全然。古江は?」

「えっと、ここに入った時に思い出したんですけど……このお店、前に一回だけ来たことがあるんです。ピアノのコンクールのご褒美に」

「へえ、それは凄いな」

「いいえ、結果は下から数えた方が早かったですし、そのあとすぐにピアノはやめちゃいましたから」



 苦い記憶、というわけではないらしい。

 古江の懐かしむような顔がそれを証明していた。



「ピアノ、好きだったのか?」

「どちらでもない、と言った方がいいかも、しれません。お母さんがなんでも経験してみようってタイプで、私にいろいろなことをやらせてくれたんです。ピアノもその1つで、コンクールをやって満足したから自分からやめたんです」



 フットワークの軽い母親なのか。

 昨日の跳び箱での古江の挑戦心の理由が分かった気がする。



「1位を取らなくても満足したのか?」

「その、私誰かと競うのは苦手で、目標のことができるようになったら自己満足しちゃうんです」



 そういうところは、俺もあった。

 小さい頃は不思議と思ったことは満足するまで調べて誰かに語るでもなく納得して次に進んでいた。

 アイが議論相手になってくれたのもあったけど。



「なんだか似てるな、俺たち……」

「え」

「ん? ……あ、いや、変な意味じゃないんだ!」



 思わず口から出てたらしい。



『口説いているんですか?』



 そう聞こえたならお前は病気だ。



『でもどう考えても口説いて——』



 病気です。



「あの、なんでも好きな物頼んでいいですからね」

「あ、ああ」



 とは言っても、メニューに書かれているのが何が何なのか全然わからん。

 とりあえずマルゲリータにしとくか。

 値段も安い方だし、無難だろ。



「私クアトロフォルマッジとオレンジジュースにしますね」



 クアトロ?

 なんだそれ?



 メニューを見ると、1900円で割と高い方のピッツァだった。

 俺が遠慮しないようにするための配慮か?

 でもかといってこれ以上の値段のものは頼みたくないし。



『クアトロとはイタリア語で「4」という意味があります。また、フォルマッジは「チーズ」の複数形を意味します。クアトロフォルマッジはそのまま4種類のチーズを使ったピッツァのことです』



 それでクアトロフォルマッジか。

 日本語だとそのままの意味なピッツァなのに、イタリア語になるだけでこうも綺麗な言葉になるのか。



『この程度の単語もわからなくなるとは……かつての流狩流からは想像できませんね』



 うるせえ。

 料理に関しては昔から素人だったろうが。

 それにノー勉でも中学のテストくらいならできらあ。



『先週の日本史のテストでヒィヒィ言っていたのをもうお忘れですか?』



 ……さてと、俺も何頼むか決めなきゃな。



「じゃあ、俺はマルゲリータ。あとブドウジュース」

「それだけで足りますか? もっと頼んでもいいんですよ」

「え?」



 まるで母親のようなことを言う古江に一瞬たじろんでしまった。



「い、いや大丈夫。俺胃袋小さいから」



 自分でもわかるわけないことを言ってしまった。

 なんでそんな心配をするのだろうか?

 俺普段から大食いキャラとかやってないよな?



『ピッツァの具を考慮してのものですね。本場のピッツァは具ではなく生地を楽しむ物ですから』



 そうなのか。

 頭の中で本場のピッツァを想像してみようとしても全然浮かんでこない。

 アメリカンな具材たっぷりのものなら出てくるのだが。



 ウェイターを呼び注文したあと、先に来たドリンクを口に入れる。



 おいしい……。



 緊張して喉が渇いてたからというのもあるが、市販のものにはないブドウ本来の味が貧乏舌な俺でもわかるぐらい強い。

 値段は240円と高いが、それを払う価値がある。

 これはピッツァの方も期待できそうだ。



「ふふ……流狩流君って、かわいらしいところがあるんですね。顔においしいって書いてあります」

「え、そうか?」



 顔を触ってみるが、別にニヤけていたわけではなかった。

 赤くなってたか?



「表情に出てなくてもわかります」

「え、それは無理じゃね?」

「わかりますよ。それが、女、ってものですから」



 ……なんか、言い方がすごく色っぽい。

 古江ってこういう一面もあったんだな。



『ロマン値が99%に達しました』



 あぶないあぶない。こういう時は素数を数えろ。

 えっと……2——



「あの、1つお願いしてもいいですか?」



 素数を数えようとした瞬間、顔を赤くした古江に言われた。



「え、なに?」



 古江の顔から汗が出てきてテーブルクロスを濡らした。

 相当緊張しているらしい。



「私のこと、兎って、呼んでくれませんか?」

「え……」



『ロマン値が100%に達しました! 完全な好き判定です!』



 突然のことに硬直してしまう。



「私だけ名前で呼ぶのって、なんだか変な感じがして……。ごめんなさい、私が勝手に呼び始めたのに」

「いや、その……」



 名前で呼ぶことは大した問題ではない。

 むしろウェルカムなくらいだ。

 ただ、改まって恥ずかしそうに兎と呼んでほしいと()うその姿と気持ちに、俺の独身派としての信念は曲げられてしまった。



「うん、別にいいぞ。う、兎」

「よ、よかった……」



 ほっと胸をなでおろす兎。

 だが、俺はまだ負けていない。

 たとえロマン値が100%になろうとも、告白さえされなければいいだけ。

 それに、好きになったとしてもロマン値は常時100%になるわけじゃない。

 愛情に波があるように、ロマン値にも波がある。



『ロマン値が99%に減少しました』



 まだ瞬間的に100%になっただけ。

 なら、逃げ切ってみせる。

 卒業まで。



「お待たせしました」



 出てきたマルゲリータは、アイの言う通り本当に具が少なかった。

 目でわかるのはトマトソースと溶けたチーズだけ。



「いただきます」



 八等分されたマルゲリータを一切れ手に取って口に入れる。



「……」



 うめえ。

 具が少ないから生地の味がしっかり舌に伝わってきた。

 トマトソースもチーズも生地の引き立て役ではなくそれぞれが絶妙に強調しあい、バランスの良い味を作り出している。

 これが本場のピッツァか。



「流狩流君、シェアしませんか?」

「え、いいのか?」



 実は兎のクアトロフォルマッジも気になっていた。

 生地にのせられているのはチーズだけでトマトソースがない。

 そのかわりに蜂蜜をかけるというデザートみたいなピッツァ。



 デリバリーでは決まったピザしか頼まない俺には新鮮だった。

 気にならない方がおかしい。

 兎は一切れ掴むと俺の方に差し出してきた。



「はい、あーん」

「んん⁉」



 あまりにも予想外な行動に俺はバカな声を出してしまった。



『ロマン値が110%を超えました』



 110%⁉

 そんな数値があるのか⁉



『ロマン値に上限はありませんよ』



 初耳なんだけど‼



 ロマン値の驚きを隠しつつ、目の前にピッツァを差し出す兎をどうにかしなければ。



「いや、ダメだろそんなの。つ、付き合ってもいないのに」

「あ、す、すみません。馴れ馴れしすぎましたよね……」

「え、あ、いや、別に嫌なわけじゃないんだが……」



 悲しい顔をする兎につい甘い対応をしてしまった。



 ヤバいぞ。

 常時100%にならなければいいなんて甘い考えだった。

 上限がないってことは、あーん以上のことをされたらさらに高くなるってことじゃないか。

 早くなんとかしないと、逃げ場がなくなる。

 ていうかこんなことしてくるってことは、兎も俺のことが好きなのか?



「じゃ、じゃあ、あーん……」



 くそ、まだ来ようとするか。



「あ、あーん」



 そしてなんで俺も口を開けちゃうかなあ!



「おいしいですか?」

「う、うん。すごくおいしい」



 蜂蜜の甘みがチーズと絡み合ってすごい上品な味だあ。

 生きててよかったと思えるぐらいうまい。



「ほら、兎にも俺のあげるよ」



 兎の皿に置こうとピッツァを手に取った。



「は、はい。あーん」

「へ?」



 まさか俺もやらないといけないのか⁉

 頑張って口を大きく開けて待ってる兎がひな鳥のようでかわいらしい……っていやいや、そうじゃないそうじゃない!

 俺は周りをキョロキョロと見渡した。



 よし、誰も見ていないな。



『個室だから当たり前です』



 俺はゆっくりと兎の口にマルゲリータを近づけた。



「はむ……ん、おいしいですね」



 食べてる姿もかわいいなコイツはあ!



『あの、なんのコントをしてるんですか? あとロマン値が120%を超えましたよ』



 い、いや、ちょっと反応しちゃっただけだから! 気にしないで!



 そのあともドキドキしながらピッツァを食べ進め、平らげる頃には精神的に全部兎に持ってかれてしまった。



「ありがとうございました。またのお越しをお待ちしております」



 店を出ると春のちょっと冷たい風が顔に当たり、火照った体を冷やし始めた。

 冷えると落ち着きを取り戻し、これからの兎への対応に思考が戻った。



「おいしかったですね」

「そ、そうだな」



 時刻は13時40分。

 これで兎のお礼は終わったと思うが、どう来る?

 ここで解散か?



「あの、これから映画見ませんか? 私奢りますから」



 そうだよなあ。

 終わるわけないよなあ。



『このあとの予定はありません。映画の誘いを受けてください。さもないと恋愛積極法違反で——』



 わかってるよもう!



「そうだな。面白い映画があるかもしれないし行くか」


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