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73.勢い余って

 すべての準備を終えて、ひと息つく。

 曲のアレンジと、その収録さえ終わってしまえば、あとは驚くほど滞りなく準備が進んだ。

 時刻は午後七時四〇分。和花ちゃんがSNSでフォロワーに宣告していた配信開始の時間は午後八時。だから、時間の余裕はそこまでない。それでも一服するぐらいの時間はあった(もちろん未成年なので、煙草を吸うという意味ではない)。


 紅茶を水筒に入れてスタジオに持ってきていた。床に腰かけてそれをひと口飲む。トクベツな配信の準備をしたスタジオ内は、いつもより狭く感じる。普段は滅多に使わない機材を置いているせいだ。テーブルにカメラにマイクに、まるで記者会見みたいだ。


「私も飲みたい」

「ああ、うん」


 持っていた水筒を和花ちゃんに渡す。和花ちゃんはそれを傾け、中身を口のなかに注ぎ込む。艶のある唇が、いやに目につく。


「まるで記者会見みたいだね」

「考えることがシンクロしてる……」


 そう口に出すも、『そりゃシンクロするだろ』と内心つっこみを入れる。

 私たちがこれからしようとしていることは、わざわざそのような形容をすることはなかったけれど、『記者会見』そのものだった。視聴者に今回起こった出来事のあらましを説明するのだから、この形が一番都合よかった。


 ここまで『記者会見』という言葉を口に出さなかったのはどうしてだろう。

 口にするのも憚っていた原因は、私が芸能人だからということは間違いない。

 メディア関係者は、ことあるごとに私を執拗に追いかけ回してくる。ウィッグを着けるだけで彼らは私を見つけられなくなるから大きな問題は起こっていない。だが、当然苦手意識は生まれる。


 和花ちゃんも少なからず彼らの鬱陶しさは理解しているだろう。彼女は器が大きいから、『記者会見』という言葉自体を忌避するなんて器の小さいことはしない。だからなんというか、私の器の小ささだけが際立ったような気がして、思わず遠い目をしてしまった。


「どったの」


 喉を潤した和花ちゃんが話しかけてくる。

 どうしたものか、と思いつつも妙案が思いつけず、考えたことをありのまま彼女に話す。すると和花ちゃんは可笑しかったのか、口元を押さえて堪えるように笑った。


「んふふ、なるほどね。ひなぎちゃんの気持ち、理解できるよ。ひなぎちゃんらしいね」

「らしいとはなんだ、らしいとは」

「べつに、そんな卑屈になる必要はないよん。私もね、ひなぎちゃんが思うほど強い人間じゃないし、間違いも多いし」


 たしかに私は、卑屈になっていた。私の曲を聴いているだけの人は知らないだろうが、本当の私は根暗なのだ。

 和花ちゃんと自分を勝手に比較して、勝手に自分が劣っていると思ってしまったのだ。それこそ器が低い考え方ともとれるが、今は考えないようにする。


「私、和花ちゃんの弱いところとか間違いとか、見たことがないかも。家事炊事が壊滅的なのも、和花ちゃんの魅力だし」

「褒めないでよぅ、えへへ」

「……褒めてない」


 屈託のない笑みを返され、すぐに白状する。

 柏木和花という天才のウィークポイントは、間違いなくそこだ。様々な才能を持つ代わりに、自立して生きるための生活力がまったくない。

 実際のところ精神的な部分においても、和花ちゃんはあまり図太くない。だから、母親を喪って真っ先に潰れたのは和花ちゃんだったし、曲作りのスランプも長引いた。

 弱点と言えるほど脆くはないが、人並みの弱さも持っている。


「私はね、夢を見せる仕事をしているから」

 ふと、彼女は呟く。


「現実がね、そう甘くないことは、頭が悪くなきゃ理解できる。ずっと楽観的ではいられない。……ああ、そう変な解釈しないでね。現実が甘くないことを理解できるなら、自分は頭がいいんだって思ってよ」

「そんなこと、思わないよ」

「ああ、うん。ならいい」


 視線を落として、和花ちゃんは静かに笑った。


「私は、別にみんなの不幸を低減しようとなんて、高尚なことは考えてないよ。都合のいい夢を見せれば金になる。売れるために、現実的な手段を講じているだけ。それが『夢を見せること』なんて、皮肉もいいことだけど」


 その言葉に、思わず笑ってしまった。それを満足そうに見ると、さらに話を続ける。


「ただ、ずっと夢を見せ続けるのは、そのうち舌が慣れちゃうの。だから、定期的に苦々しい現実も混ぜる。プリンにバニラエッセンスが入っていないと物足りないでしょ」

「それがわかるなら、どうして料理ができない……」

「うーん、理想を追い求めるからかなぁ。無難に作れても、物足りないんだよね。どうしても、兄さんや榛名が作ったものには追い付けなくて」

「あー……妥協できない性格だもんね、和花ちゃん」

「そうそ。だから、物足りなくていろいろ足していくうちにゲテモノに……」


 理屈がわかると単純な話だった。

 和花ちゃんは肩を竦めると芝居がかった溜め息を吐く。


「私には家事の才能がないから、兄さんも榛名も、参考にならない手本だったよ。どれだけ努力をしたところで、二人のレベルには追いつけない。だから、中途半端にしかできないなら、いっそやらないことを決めたんだ」


 そこまで言い終えて「ああ、これは榛名がこの家に来る前の出来事だからね」と、和花ちゃんは注釈を入れた。要するに彼女の挫折は、飾くんによってもたらされたものらしい。


「その挫折があったから、わかったよ。『手が届かないから理想』なんだってね。使い古された表現だけど」

「私はっ、」食い気味に答えかけて、ぐっと堪える。「……理想に手が届いたこと、あるよ」

「すべてが噛み合えば、手が届くことももちろんある。逆を言えば、すべてが噛み合わなきゃ届かない。だから、どこかでみんな妥協して、今ある暮らしが、生活が、仕事が、自分に最適だって思い込みながら生きている。心を守るためには大事な考えだけど、なんだかそれってさびしいじゃない」


 物憂げな視線は、年下とは思えないほど大人びていた。


「だからね、作品に組み込む苦味は、バニラエッセンス程度なんだよ。現実の苦さを感じることで、夢や理想の甘さ、素晴らしさ、儚さが際立つ。それが、クリエイターとしての私のやり方なの」


 言われて、胸を打たれたように感じた。

 今彼女が口にしたことも、私が理解できる程度に簡略化された言葉だったろう。本当はもっと複雑なものを、緻密な計算を重ねて、作品という形にしているはずだ。

 感覚派に見えて、実のところ理論派なのだ。


「夢を見せる仕事をしているから、どうしても理想を押しつけられる。現実を……というか、才能の底を見せたときには、すぐに幻滅される。シビアな世界だよ、ほんと」


 その言葉に何度も頷く。

 経緯は少し違うが、私も似た思いをしていた。

 白髪で顔立ちも整っているせいで、初見の人からは過度な期待をされるのだ。今でこそ容姿と釣り合う程度の技術は身につけたけれど、デビュー当初はダメダメだった。心ないことも言われた。


「だから、怖い」


 それは、和花ちゃんが滅多にしない弱音だった。


「これでも私はね、根っこは普通に子供で、普通の女の子で、傷つくときにはちゃんと傷つくんだ。ひなぎちゃんは、理解してくれるでしょ?」


 曇りのない双眸が私を射抜く。

 頷き返すと、和花ちゃんはやさしく笑った。


「……最近みんな忘れているけどね、画面の向こう側の人も、みんな意志を持った人間なのにね。それは芸能人に限った話ではなく、SNSでも同じこと。たとえどんな不祥事を働いたとしても、石を投げつけていい理由にはならないというのに」


 そこで『のに』と切ったのは、現実ではそれが横行しているからだ。

 むしろ、SNSが発展した近年は、少し前の時代より悪化しているかもしれない。


 誰かの悪口は当人まで届きやすくなり、悪意を持った人が実際に行動を起こすハードルも下がった。

 言葉による加害は、暴力と違って傷が目に見えない。だから、自分が人を傷つけている意識が生まれづらい。顔も声もわからないから、SNSは余計に。


 さらには、間違った正義感が人々の心を支配している。

 誰かを批判し、非難していいのは被害を受けた当事者であるべきなのに、外野の人間が自分の信じる正しさを振りかざしてでしゃばってくるのだ。それが余計に事態を拗らせている。


「みんなはたぶん、他人事だと思っているだろうね。有名人じゃないから関係ない、なんてそんなわけない。自分の投げた石が、いつか自分の頭上から大量に降り注いでくることも珍しくない。……だから、いつも世間になにか発表するときは……怖いよ」


 和花ちゃんは不意に私の手を取った。その手が震えている。

 浮花川に来て、何度も……そう、何度も気付かされたことだ。


 自分も、飾くんも、和花ちゃんも、他人は天才と云うけれど、実際は見栄を張って姿を大きく見せている。

 二人が天才であることに変わりないが、盲目的に、彼らは自分とは根本から違うのだと思い込むことで、私は私の心を守ろうとしていた。


 だから、自分は器が小さい。

 それをもう、言い訳にするつもりはない。

 これまで十分頑張ってきた、という榛名ちゃんの言葉はその通りだ。

 でもまだ、私は褒められ足りない。

 もっと頑張って、みんなから認められたい。


「わ、ひなぎちゃん?」


 和花ちゃんの手を握り返す。驚いて目を丸くするその姿がかわいくて、手を引っ張って彼女を抱き寄せた。腕の中からさらに驚いたような声がする。


 このまま、キスでもしちゃいたいぐらいだった。


 和花ちゃんは私のお腹を押して拘束から逃れると「もーっ、シリアスな雰囲気が台無しだよっ」と頬を膨らませた。

 急に抱きしめられたことへの文句を聞きながら、時計を見る。生配信を始める予定時刻に、かなり迫っていた。


「私も隣にいるから大丈夫だよ」まだぷりぷりと怒る和花ちゃんの頭を撫でながら言う。「私が話せることはなにもないけど、この見た目は嫌でも目立つからね。厳しい視線はだいぶ分散されると思う」

「そんな甘言で釣られると思わないでよ」


 そうは言いつつも、撫でる私の手に頭を寄せてくる。


「……言われなくとも、ひなぎちゃんにはずっと私の隣にいてもらうもん」

「それは……どういう意味?」

「今ひなぎちゃんが考えてること、全部」


 言われて、失敗したな、と思う。

 甘やかしすぎた。これでは、いつか私が結婚とかしても、ずっと付きまとわれてしまいかねない。うれしいけれど、これでは私も和花ちゃんも自立できないのではないか。


 そうは思うけれど、「……ま、今はいいか」と呟いて、考えるのをやめた。

 集中すべきは、これからの配信だ。

 先のことは、問題が片付いてからにしよう。



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