74.独白
見慣れた生配信の待機画面。
これは兄の飾に、特別に書いてもらったものだ。
兄は、私が配信活動をすることには、内心反対していただろう。父も母も衆目に晒され続けた人生だった。その恐ろしさは、私よりも兄の方が見せられている。だから私も、世界中から評価され続ける人生に身を投じるのは、できれば控えてほしかったはずだ。
ただ、そんな内心は、一切表には出さなかった。
引き留めようと思えば引き留められたはずだ。兄ほどではなかったにしろ、私だってヒトという生き物の恐ろしさは理解していた。
なにより、私の本命は『曲作り』だった。
あくまで配信をするのは趣味の一環でしかなく、だから、引き留められれば身を引くことはできた。
だが、兄は一切否定しなかった。
それどころか、私の背中を押し、ずっと支えてくれた。
こんな、わがままばかりな自分を。
「……ああ、ほんと、クソだな」
「え?」
「あ、ごめん。なんでもない」
思わず声が漏れてしまっていたようだ。
隣にいる歌姫が少し驚いていた。頭を横に振って誤魔化す。
「そいじゃ、始めるね」
返事も待たず、待機画面から切り替える。切り替わった画面には、隣あって座る私たちの姿が映った。
「……あー、あー。てすてす。聞こえてますか。ボリュームとか、音ズレとかだいじょうぶかな?」
そのまま、画面の向こうにいる視聴者たちに問いかける。
いつもやっていることだ。
普段と違うのは、画角とか、私が顔出ししていることとか、隣に『藍沢ひなぎ』がいることとか。
これだけで特別な配信だということが彼らにも通じただろう。
流れるコメントからも戸惑いの様子が見えた。
その中から、どうにか視聴者から見える生配信の状態を確認し、微調整する。
音ズレはなし。音量バランスも概ね問題なし。……ああ、少し髪が跳ねてるか。配信画面を見ながら、それを直す。
「よし。だいじょうぶそうだね」
一度、ひなぎちゃんの顔を見た。彼女は肩を竦める。声を発する予定は今のところないらしい。
「珍しい画角に戸惑っている人も多いみたいだね。……でも、その理由は察せるでしょ。うん、そうそ。今話題になってる、あの話」
一度言葉を切った。
コメントを眺めていて、様々な言葉が目に入ってくる。
驚きの言葉、両親のファンからの悲しみの言葉、私への応援や慰めの言葉。
隣にいるひなぎちゃんへの言葉も見つけて、彼女についての説明をしていなかったことを思い出す。
「前の配信ですぐに気づいた人もいたけれど、実は今うちに藍沢ひなぎが泊まっているんだ。今回は、私ひとりだけ顔出しさせるわけにもいかないからって隣にいてくれるみたい。やさしいでしょ」
言葉は発さないものの、少し俯いて照れるひなぎちゃんの脇腹を小突く。
「知り合ったのは二年ちょっと前かな。ひなぎちゃんのマネージャーに紹介されたからなんだよね。『この子に一曲書いてみないか』って打診されたの」
隣でひなぎちゃんが、椅子をがたっと鳴らして動揺しているのがわかった。気にしないことにして続ける。
「写真もらって、キレイな子だなって思ったよ。あまりに髪が真っ白すぎたから脱色してるのかなって思ったんだけど、地毛だって言われてびっくりしちゃって。今私、浮花川からあまり出ないんだけど、初めてひとりで新幹線のチケット買って東京行っちゃったぐらい。そのぐらい、逸材だなって思ったの」
あのときの気持ちは、今でも色鮮やかに思い出せる。
幼い子供が、とてもかわいくて綺麗な人形を見つけたときの気持ちと、ほとんど一生だろう。
年甲斐もなく目をきらきらさせて、兄に相談することもなく旅程を立てた。
「そして、初めて会って思ったの。この子は『まだ何色にも染まっていない』ってね。だから、いっぱい肩入れしちゃった。来栖音葉の大ファンだって知ったのは、知り合ってしばらく経ってからだったよ」
ようやく本題に入る流れにさせられた、と思う。
カメラをまっすぐと見据える。かくかく震える指を抑えようと、肩に力が入る。
自分の発言に責任を持つのが、ただ怖かった。
だからやはり、私は独りでは生きていけない。
隣にひなぎちゃんがいてくれて、本当によかったと思う。
本当にどうしようもないときに寄りかかれる相手がそばにいてくれることは、こんなにも幸せなことなのだと実感する。
「今、私の家族のことでお騒がせしています」
話し始めたとき、震えはなくなっていた。
「『お騒がせして、申し訳ございません』とは言わないよ。秘密を暴露されて迷惑被ってるの私たちなんだから、ここで頭を下げる謂れはないと思う」
普段通りの口調に戻して、淡々と話していく。
「ただ、このまま噂として憶測が真実のように語られていくのは困る。だから、話さざるを得なかっただけなの。それは、理解してほしい」
あくまで、自発的な告白でないことを明確にする。
いつかは真実を明かすつもりだった。
ただ、それはまだまだ先の予定だった。
「今噂になっている『柏木和花の母親が来栖音葉』というのは、その通りだよ。私の母さんは来栖音葉……といっても来栖は旧姓だから、結婚して苗字は柏木になっているけどね」
両親の出会いのエピソードは全く知らない。私が物心ついてまもなく父は病死したし、その頃から母も仕事バカになった。
「噂が流れた後、私にいくらか羨望の目が向けられていたことは知ってる。父だけでなく母も、美人で名家の生まれで仕事も成功しているのなら、恵まれていると思われることに異論はないよ」
視聴者の気持ちに寄り添うように言う。
理解はできるのだ。
お金に困ったことはない。暮らしが充実していなかったこともない。
家に色んなものが置いてあるから、小さな頃から十分以上の教養を身につけられた。
だから恵まれていた、とは思う。
「でも、それは上辺だけしか見ていない。恵まれていたのは事実だけど、私たちの負った苦労のことは度外視しているでしょ」
早々に父が死に、母が仕事に生きる人間になってしまった。月に片手で数えられるほどしか家に帰ってこないから、まだ小学生になったかどうかといった時期から自立することを強いられた。
愛情をもらえなかったわけじゃない。
ただ、親としては、父も母も落第だっただろう。
「仮に、我が家に生まれたとして、みんなは耐えられるのかってことなんだ。家に帰っても両親がいない生活。周りからは天才の子だと期待され努力し続けることを強いられるけれど、その努力は『できて当然』と判断され、誰からも褒められない」
思い返すだけで気分が沈んでいく。
どれだけ頑張っても、父が偉大すぎてその努力が霞んでしまった。
「画家というハイカルチャーが活躍の場だった父ですら、私たちへの期待を大きくさせた。まして、一般層にも広く名前の知られる母との関係を知られていれば、向けられる期待は更に大きくなっていたと思う」
芸能人同士のサラブレッドは、活躍するたびに『親の七光り』と揶揄されるけど、裏を返せばそれも期待の証明だろう。
とはいえ、期待が大きくなることがメリットに繋がるとは限らない。むしろ、デメリットへ繋がる可能性も大きく高まる。
もっとも最初は、母が……来栖音葉が、歌手として活動するなかで父との婚姻を隠すのが目的だった。
アイドル売りをしていたわけではないが、配偶者がいることは歌手として活躍するうえで足枷になる。そして、父の評価が高すぎたこともあって、それが母の評価に大きく影響を与えることは自明の理だった。
父は、母を支えてはいたけれど、同時に来栖音葉にとっては荷が重い存在でもあったのだ。
それはひとつ代を経ても変わらない。
母の活躍で悪化したとも言える。
だから、母が来栖音葉だと隠し続けたのは、自然な流れだった。
結果的には、わりと頑丈な防波堤ではあったと思う。
その秘密は父の死後、母を守るものから子供を守るものに切り替わり、母の死後は私を守るものに切り替わった。
私が高校生になるまでの一五年か、或いは両親が出会ってから二〇年か、とにかく長い間私たちを守った防波堤だ。
秘密を知る知人たちの善意を信じるという、一見すると脆い防波堤だったと思う。口の軽い人や、悪意を持った人が知人の中にいれば、容易く瓦解する。
それが、父と母の交友関係がすばらしかったことの証明でもあった。
思い返すと、目元が熱くなってくる。
胸の内から、いろいろなものが溢れそうになってくる。
どうして死んでしまったのだろう。
こんなにもはやく。
父の縁が、母の縁が、私たちを守り、支え続けていた。
親としては正直だめだめだったけれど、それはそれで私たちがここまで育ってしまえば笑い話だ。「もっとやりようはなかったのか」って文句を言って喧嘩したかった。ごくごく稀に訪れる家族全員揃う日を、全力で楽しみたかった。
もらったものがたくさんあるのに、そのお返しができないまま遠くに行かれては、どうしようもない。
「……こんな、家族団欒とは無縁の家に生まれた人間が『羨ましい』だなんて、笑えるよ」
冗談で言っているならともかく、本気で羨ましがっているのなら正気を疑う。
わざわざこんな波瀾万丈な人生に身を投じたいなんて、どうかしている。




