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第46章 水槽の中に

 水槽、というんだったか。


 思い出した。ベンファト夫妻が道で魔物に教われているのを助け、お礼に料理と寝る場所を提供してもらった時、あの豪邸で見たな。こういう硝子の容れ物に、色鮮やかな魚が泳いでいるのを。


 生きているものが閉じ込められ、食物連鎖のなかで消費されるわけでもなく、見世物として一生を終える。


 それによって、幸せを得るのは誰なんだろう?


 あの水槽の中にいるのが、もし自分だったら……俺はそんなことを考えていたな。クロノに話していたかも知れない。




 今、俺達の眼前に並んでいるのは、天井いっぱいまで伸びた大きな硝子の管に、溺れるように保存されている、人の形をしたものが数十体。


「耳や鼻が尖ってて、彫りの深い顔立ちをしてるのは、全てエルフ族ですか?」

「そうじゃ。美しい造形をしておるじゃろう」

「確かに。まあクロノ様は今、見てないと思いますけど」

「だって怖いもん、むうう」


 クロノはほぼ真下を向いて、俺の首筋に顔を伏せている。くぐもった声が俺の耳に届いていた。おでこの辺りを、俺の僧帽筋に埋もれさせているようだ。


 大部屋に並んだ水槽、その並び順からして比較的新しく置かれたと思われる、手前左側のいくつか。


 それを視野に入れた瞬間、俺の意識は自然と、その特定の水槽の中に向いていた。


「あれは……あの姿は、人間!?」


 マッドは表情のない顔のまま、その水槽の前へ歩いていった。


「うん、人間だね。そして多分、間違いはないだろう。僕とパーティを組んでた奴らだ。


……ジャメイ、カイム、それにキーヴァイン」


 マッドは水槽のひとつひとつを、その間近で確認していった。


 そして、少しの間だけ眼を閉じて、祈るように頭を傾けた。


「クロノちゃん、まだ生きてる人間はいるかな?」

「その『生きている』が何を指すかによる。その水の棺にあるうち、まだ体が活動しているのは誰か、といえば、マッドの言っていた通りじゃよ。


勇者、キーヴァイン・リローネ。その一人だけ」




「えー!じゃあ、その人間、蘇生できそうですか!?」


 突然、ずらりと並んだ水槽のほうから、若い女性らしき声がした。思わず、俺とマッドは同時にそちらを見る。


 その声の主が、引きずるような足取りで水槽の向こうから歩いてきた。


 それが見えた瞬間、俺は身構えた。


 何者なのか?


「あ!あなた達、人族ですねっ!まったくもう、何度来るんですか?懲りないんですね」




 背中の辺りまで伸びた白金の長い髪、大きな眼鏡。白い衣を羽織るその姿が、神々しいまでの美しさを放っている女性。


 しかし身長は俺達よりさらに高く、髪の間から少し飛び出している耳と、高い鼻、異様なほど白い肌。それら全ての特徴は、彼女がエルフ族であることを示していた。




「あなたは?」

「私ですか?私は、エリーゼ・ピサイニーといいます。ここで、蘇生術の研究をしてるんです!」

「研究っていうのは?」

「説明いたしましょう!まず、ご存知でしょうか!?エルフ族は、体が生きているのに魂だけが死を迎えてしまう、というケースが多いのです。


 たしか、これは人族にはみられない症状でしたね?エルフが人族より長寿命であることの、弊害なのかも知れません。


私はそういう体を、ここみたいな人目の少ないところへ集めて、実験を進めてるんですよ。


えーとね、例えば、魂を本体からこちらの体に移動させてみたり、魔力で創った魂を入れてみたり、まあ色々やってみてますので!」


「じゃ、このキーヴァインは?どうして動いてるのかな?」マッドが尋ねた。強い口調だった。


 その手が抱いているネコは眼を閉じているが、呼吸が荒くなり、小さな胸郭が忙しく動いていた。


「その人族に対しては、とりあえず全ての被験体に私の魔力を注いでみてます。言わば、人工の魂ってとこです!


そちらの試験管の中にいる男性、キーヴァインさんといいましたか?その方と、横に並んでいる2人の体も同じようにやってみております。


何しろ人族の魂が死んで、その体だけが残るというのは初のケースでしたからね!失敗したとしても遺体の腐敗が進まないように気をつけてるんですよっ」


 このエリーゼというエルフ族の美女は、少しぼそぼそとした声だが、楽器を演奏しているかのような美しい喋り方をする。声は高く、はっきりした口調とは裏腹な甘さを備えていた。


「あ、すみません!私、話を聞いてくださる相手に出会えたのが久し振りでして、少々はしゃいでしまっております!」


 ……ということらしい。悪いエルフではなさそうだ、と思うのは、その姿と声の美しさのせいだろうか?


「エリーゼちゃん、悪いけどあまり時間がなさそうなんだ。その実験、成功例はあるのかな?」

「ふわぁ!?わ私をちゃ、ちゃ、ちゃん付けですかっ」


 俺達が見上げるほどの高さにある、美しい顔の色は、マッドの一言で夕陽の如く真っ赤な色に染まった。


「あ、ちゃん付けは気に入らなかった?ごめんね」

「いえ、そうではないのですが、ちょっと心の準備ができておりませぬでした、ものでして、ドキドキしてしまっておりますっ!


私のようなモテない女には、少々刺激が……」


「マッド、イリスの容態は?」

「うん、あまり良くなさそうだ。じゃあエリーゼ、手短に説明するよ。聞いてほしい。


僕が抱いてるこのネコなんだけど、実体は人族の女性で、老衰が進行してる。だから魔力だけを形にして外へ出てきている。名前はイリス・キーレ。


このイリスお婆ちゃんが、ここにある肉体のどれかに『引っ越し』を試してみて、成功する見込みはあると思うかい?」


「ぐふぅぅ、呼び捨てもなかなか……心にグッとくること言ってくれるような人族ちゃんですねぇ!耳が、耳がぁ……


あ、お急ぎでしたね。すみません!


私の意見ですが、その条件であれば、あなた様の仰る『引っ越し』が成功する可能性はありますよ!」

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