Episode 9:ルリアの小さな願い
午後遅く、星屑の道は穏やかな銀色の光に包まれていた。ノワールは兜をわずかに上げ、前方を見つめる。
星蜜の里の金色の灯りは、昨日よりもさらに近づいていた。門のアーチがはっきりと肉眼で見える距離まで来ている。
ティアの魂は今日も朝から元気いっぱいだった。輪郭もはっきりしており、声もいつもの明るさを取り戻している。ただ、ノワールは胸の奥に小さな懸念を置きながらも、今はそれを強引に押し隠していた。
「ノワール! 里の門、昨日よりずっと近いよ! 今日もルリアちゃんに会えるかな……!」
言葉に応じるように、ちょうどルリアが里の外れから息を切らして駆け寄ってきた。金髪を少し乱しながらも、その瞳は輝いている。
「ティアちゃん! ノワールさん! また来てくれたのね! 昨日のお話、里のみんなに伝えたら、子どもたちがすごく楽しみにしてるよ!」
「ルリアちゃん! 私も会いたかった!」
喜び合う二人だったが、ふとルリアは少し困った顔をして、ティアの魂の近くに座り込んだ。いつも明るい彼女が、今日は少しだけ肩を落としている。
「……実はね、少し相談があるの。里の子どもたち、最近『星言』が上手くできないって落ち込んでるんだ」
星言とは、この里に古くから伝わる小さな魔法だ。大切な思い出や温かい想いを胸に込めて「照らせ!」と唱えると、その想いを糧にして淡い光を浮かび上がらせることができる。
「私も教えてあげてるんだけど……どうしても上手に光が浮かばなくて。みんな、ティアちゃんみたいに明るく笑いたいのに……」
ルリアの言葉に、ティアはすぐに目を輝かせた。
「それなら、私たちでみんなと一緒に練習しよう! おじいちゃんが昔、私に教えてくれたコツがあるんだよ!」
ノワールが静かに頷くと、三人は里の外れにある広場へと向かった。そこにはすでに数人の子どもたちが集まり、星言の練習を繰り返していたが、その光はどれも弱々しく、すぐに消えてしまう。
一人の男の子がティアの魂を見上げ、恥ずかしそうに俯いた。
「ティアお姉ちゃん……僕、星言が苦手で……『照らせ!』って言っても、光がすぐ消えちゃうんだ……」
ティアは優しく微笑み、隣に立つノワールに目配せをした。ノワールは無言で応じ、胸の星槽から昨日手に入れた小さな青の欠片をひとつ取り出すと、子どもたちの輪の中心へとそっと置いた。
欠片が周囲の魔力を安定させるように淡く光り始めると、ティアが優しく語りかけ始める。
「いい? 星言は力で言うんじゃないんだよ。自分の『一番大切な思い出』をぎゅっと思い込めて言うの。私ね、おじいちゃんと一緒に星蜜パンを作ったときのことを思い浮かべて言うと、いつも上手に光が浮かんだよ。みんなも、好きな思い出を教えて?」
「ルリアちゃんの思い出は?」とティアに促され、ルリアが最初に一歩前に出た。
「……ティアちゃんに初めて会ったときの、あの温かい気持ち!」
ルリアがまっすぐに前を向き、「照らせ!」と強く唱える。青の欠片の力が優しく重なり、彼女の手のひらから淡い金色の光がふわりと浮かび上がった。
子どもたちから「わあぁっ!」と歓声が上がる。ルリアの成功に勇気をもらい、子どもたちも次々と自分の大切な思い出を語りながら、星言を唱え始めた。
「僕、お母さんが作ってくれた星蜜パンを食べたときの幸せ……!」
「ティアお姉ちゃんが笑ってくれたときの、あったかさ……!」
ひとつ、またひとつと、優しく愛おしい光が夜の手前の空に浮かび上がっていく。気づけば広場全体が、まるで星の海のように温かい金色の光で満たされていた。子どもたちは大喜びで手を叩き、ルリアも目を潤ませながらティアをそっと抱きしめた。
「ティアちゃん……ありがとう。みんな、笑顔になったよ……」
やがて夕暮れが近づいた頃、今日の『星屑シフト』もいつもより穏やかに訪れた。里の灯りは遠ざからず、ただ少しだけ位置をずらしたにとどまる。
けれど、時間だった。ティアの魂がふわりと浮き上がり始める。
「えへへ……今日は、ルリアちゃんや子どもたちと一緒に星言ができて……本当に楽しかったよ。明日も、絶対に……」
魂は夜空に溶けるように消えていった。消える直前のその瞬間まで、彼女は満面の笑みを浮かべていた。
夜が深く静まり返った後も、ノワールは里の外れに腰を下ろしたまま、微動だにしなかった。胸の星槽は静まり返り、ティアの魂はもうどこにも見当たらない。
ノワールはふと、星が瞬く夜の闇を見つめながら、静かに思考を巡らせていた。
(……ティア。お前は夜になると、一体“どこへ”行くのだろう)
星の記憶の中に深く溶け込んで、昔のおじいちゃんの家を思い出しているのだろうか。それとも、一面に咲き誇る星蜜の花の夢でも見ているのだろうか。
朝が来るまでの長い夜の間、お前は何を思い、何を感じているのだろう──。
主を失った鎧は、ただ静かに、兜を少しだけ伏せて待った。
明日、朝陽の光とともに、ティアがまた元気に自分の前へと現れてくれることを、強く信じて。




