Episode 44:霧海の入り口と星うさぎ
朝の光が少しずつ、けれど力強く世界を照らし始める頃、ノワールたち六人と一匹は「星屑の道」の北東端へと到着した。
銀白色に輝いていた見慣れた石畳はここで優しく途切れ、その先には境界線を示すように、淡い紫色の霞がふんわりと立ち込めていた。まるで世界の端そのものが、夢のような雲の海に優しく溶け込んでいるかのような幻想的な光景が広がっている。
ノワールは甲冑のポケットから、淡いピンク色の細い糸を取り出し、ガントレットの指先で優しく弾いた。
「星屑の糸」がチリンと小さく震え、あたたかな光を放つ。すると、それを合図にすぐ近くの紫の雲の間から、ふわふわとした大きなピンクの塊が勢いよく飛び出してきた。
「呼んだ? モコ、来たよ! うん! ここからがいよいよ霧海だね。モコが雲の船のベースを作るから、みんなで好きな形に整えてね!」
モコは宙にぽよぽよと浮かびながら、楽しそうに身体を弾ませる。
その時、石畳の端にある不思議な茂みから、ふわふわとした小さな生き物が、ころころと転がるように姿を現した。
手のひらに収まるほどの愛らしいサイズをした「星うさぎ」だ。
真っ白な毛並みに、淡い紫色の長い耳。そして星型の愛らしい鼻をぴくぴくと動かしている。ただ──その右後ろ足の外側だけ、光の粒子がほんの少しだけ薄くなっていた。まるで、かつて負った怪我の治りかけの傷跡のように。
星うさぎは目の前に現れた一行を見つけると、大きな目を丸くした。
「きゅう……?」
と、鈴を転がしたような可愛らしい声を上げ、真っ先にモコの足元へトコトコとすり寄っていった。
「きゃー! 星うさぎちゃん! 珍しいねー!」
モコは嬉しそうに身体を膨らませて歓迎する。
「霧海の近くに住んでいる、とってもおとなしい子だよ。みんな、優しく撫でてあげてね」
その愛らしさに、ピクシー四姉妹が大興奮で星うさぎの周りを飛び回った。
(赤)「かわいいー! お耳が信じられないくらいふわふわしてる!」
(青)「鼻が本当に星型だよ! ちょっとだけ触ってもいい?」
(黄)「きゅうきゅう鳴いてる! 見ているだけで癒される~!」
(緑)「ねぇねぇ、この子も一緒に雲の船に乗せてあげようよ!」
モコは星うさぎを見て優しく目を細め、「一緒に乗ってく?」と問いかける。星うさぎは嬉しそうに「きゅう!」と短く返事をして、モコの大きな身体にぴたっとくっついた。
それを確認すると、モコを中心に、ピクシー四姉妹が溢れ出た雲の塊に一斉に飛びつき、小さな手で一生懸命に形を整え始めた。モコが「もっと全体を丸くして!」「ここに耳みたいに大きな突起をつけて!」と指示を出し、ピクシーたちは楽しそうに創造的なアレンジを加えていく。
そうして出来上がった雲の船は、なんと大きな「星うさぎ」の形をした見事な大型船だった。
うさぎの耳のような雲の突起が船首の左右に凛と立ち、船尾にあたる尻尾部分がプカプカと優しく揺れている。船体にはピクシーたちがくり抜いた星型の可愛い窓がいくつも開き、船内は座り心地の良そうな柔らかい雲のクッションでいっぱいに満たされていた。
「よし、これで完成! みんな乗って乗って。モコが安全に運んであげるね」モコが満足そうに身体を揺らす。
六人は次々とその暖かな雲の船に乗り込んだ。
すると、星うさぎは「きゅう!」と歓喜の声を上げ、金属音を立てて座ったノワールの膝の上へ迷わずぴょんと飛び乗り、そのふわふわの身体を親密そうにすり寄せてきた。
「えっ……?」
モコが不思議そうに首をかしげる。
「なんだかこの子……ノワールにすっごく懐いてない……?」
(赤)「ほんとだ! すごいすごい! 漆黒の鎧を怖がらないなんて!」
(青)「星うさぎって、元々はこんなに人懐っこい生き物だったっけ……?」
(黄)「ねぇねぇ、よく見たらやっぱり、右足の光だけちょっと薄いよ?」
(緑)「昔、ここで怪我でもしちゃってたのかな……?」
星うさぎはノワールの膝の上で何度も跳ね、まるで“よく知っている大好きな匂い”を確かめるように、ノワールの胸の星槽のあたりへ一生懸命に顔をすり寄せている。
「……お前……どうして俺にそんなに寄り添うのだ……?」ノワールは驚きに兜の奥の眼を見開いた。
「……きっと、その子がティアさんの残光を感じ取っているからだと思います」
ユウがノワールの肩の上で、星うさぎを静かに観察しながら言った。
「霧海に棲む純粋な生き物は、魂の波形にとても敏感です。ノワールさんの星槽に刻まれた、ティアさんの想いの温度に引き寄せられているのでしょう」
「そっか!」モコがぱっと表情を明るくした。「じゃあこの子、きっと私たちのいいガイドになってくれるよ! 一緒に霧海を旅しようね!」
星うさぎは肯定するように「きゅう!」と元気よく鳴き、再びモコの身体、そしてノワールの足元へとぴたっとくっついた。
モコが船の先頭に立ち、ふわふわした身体を少し膨らませて魔力を込めると、星うさぎ型の雲の船はゆっくりと宙へ浮き上がり、静かに、淡い紫色の霧の中へと進み始めた。
船の上から振り返ると、これまで歩んできた銀白色の「星屑の道」は、すでに霧に遮られて見えなくなっていた。背後にはただ、柔らかい紫の霧海が無限に広がるばかりだ。
ノワールは船の縁に鉄の手をかけたまま、未知の行く手を静かに見つめていた。ユウが肩の上で翅を小さく広げ、霧海の様子を警戒しながら一同に告げる。
「……ここから先は、魂の記憶が特に揺らぎやすい聖域です。旅人の心にある過去の幻が現れやすいし、方向感覚もすぐに狂ってしまう。皆さん、絶対に気を抜かないでください」
大発明家ジグは、胸に抱えた新装置のメーターを注視しながら、興奮を抑えきれない様子で紫の霞を眺めていた。
「これが外縁の霧海……。地上から天へ帰った魂が、現世の記憶を洗うため最初に辿り着く中間領域か。実に出色だ。興味深いな……」
セレンが優しく鈴の音を響かせ、その聖なる響きで仲間たちの心を静かに包み込んだ。
「霧海は優しい場所ですが、それゆえに時として旅人を甘やかに惑わせます。皆さん、互いの手をしっかり繋ぎ合って進みましょう」
雲の船は、淡い紫色の霧海をゆっくりと、しかし確実に奥へと進んでいった。
すると、ユウの警告通り、霧の向こうからふわりと、乗船しているそれぞれが最も心惹かれる「幻」が現れ始めた。
まず、ピクシー四姉妹の目の前に、見たこともないほど色とりどりにきらめく星の飴が無数に浮かび上がった。
(赤)「わー! 星の飴がいっぱい! 食べたい食べたいー!」
(青)「見て! この飴、よく見たら全部天星界への近道の地図になってるよ!? これなら迷わず行けちゃう!」
(黄)「きゃー! 私の形をした特別な飴もある! 私だけのものだ!」
(緑)「おいしそうだね、みんなで仲良く分けっこしようよー!」
四姉妹は目を輝かせ、我を忘れて幻の飴へ手を伸ばしかけた。だが、ユウが素早く翅を光らせて詩を一節詠むと、飴の幻は朝露のように優しく溶けて消え去った。
「……幻です。霧海は心の隙間、純粋な欲求に入り込んできます。気をつけて」
次に、ミルフィの目の前に、見るからに寝心地の良そうなふわふわの巨大な雲のベッドと、温かそうなオーロラの毛布が現れた。
「……にゅう……すごく気持ちよさそう……あったかい。ここで、ずっとずっと眠っていたいな……」
ミルフィがうとうとと目を細め、幻のベッドへと身体を傾けかけた瞬間、ノワールが大きな鋼の手で、彼女の頭を優しく撫でた。
「……ミルフィ。気持ちは分かるが、もう少しの我慢だ」
「……はっ!」
ミルフィは我に返り、ぶんぶんと首を振った。
「……うん。ごめんなさい……。わたし、ティアお姉ちゃんに会うまで、絶対に眠らないって決めたんだもん。がんばる!」
セレンの前には、夜空いっぱいに広がる美しい星の鈴の群れが現れ、天上の楽園のような優しい音色を奏で始めた。
「……確かに美しい音。ですが、これは本物の響きではありませんね」
セレンは穏やかに微笑みながら、自らの腰にある本物の鈴をチリンと小さく鳴らし、優しく幻の音波を打ち消した。
ジグの前には、完成したばかりの巨大で複雑な超魔導装置の幻が浮かび、「これで完璧だ! 魂を永遠に固定できるぞ!」という、若き日の自分自身の誇らしげな声が響いた。
「ほう……これは俺の男心を的確に突いてくるな……」
ジグは一瞬目を細めたが、すぐに胸の本物の装置をポンと叩いて笑い飛ばした。
「だがな、過去の栄光の幻影よ。本物の俺の技術は、もうその先を行っているんだ。まだ改良の余地がある幻なんぞに用はない!」
そして、ノワールの前に現れたのは──。
かつてのように元気いっぱいに笑い、こちらに向かって両手を大きく差し伸べる、愛しいティアの姿だった。
『ノワール! 早くこっちに来て! ここ、すっごく暖かくて楽しい場所だよ!』
ノワールは一瞬、息を詰めた。しかし、修復された胸の星槽にそっと手を当て、低く、力強く息を吐き出した。
(……否。本物のティアは、今も霧の向こうで、寂しさを堪えて俺たちを待っているはずだ。あの子はこんな幻の中で、俺を一人で誘うようなことはしない)
ノワールが強い意志で前を見据えると、ティアの幻は光の粒子となって、優しく霧の彼方へと溶けて消えていった。
ユウが翅を小さく震わせ、全員を見守るように静かに告げた。
「……霧海は、心の中にある最も大切で、最も触れられたい思い出を映して旅人を誘います。でも、それに囚われてはいけません。本物のティアさんは、この先にいるのですから」
モコが船を優しく揺らしながら、場を和ませるように明るい声を上げる。
「みんな、よく幻に打ち勝ったね! すごいすごい! 実はモコも、さっきの幻の特大雲ベッドにちょっと釣られそうになっちゃってたよ……!」
その告白に、船内の一瞬の緊張は解け、くすくすと温かい笑い声が広がっていった。
膝の上の星うさぎも「きゅう!」と同意するように可愛らしく鳴く。
うさぎの形をした雲の船は、みんなの絆を乗せて、淡い紫色の美しい霧海をゆっくりと、けれど確かに、天星界の深淵に向かって進んでいった。
【モコの霧海の詳細解説】
モコ(船の先頭で、皆に聞こえるように明るく)
「霧海のこと、ちゃんと説明するね!
この霧が紫色なのは、
大星災のときに落ちてきた夜空の記憶が、
まだ地上に落ち続けている残り香なんだよ。
夜空の『想い』が紫色の光になって、
ふわふわと漂ってるから、
全体が優しい紫色に見えるの。
起源は大星災そのもの。
夜空が大地に落ちて砕けたとき、
一番最初に溜まった『記憶の層』が
ここにできたんだって。
地上から来た魂が最初に辿り着く、
中間領域で……
ここで過去の記憶を少しずつ浄化しながら、
次の形を選ぶ場所なんだよ。
生態系は本当に優しいよ!
危険な魔物はいないし、ふわふわ星うさぎが
ぴょんぴょん跳ねて道案内をしてくれたり、
光の粒を運ぶ『きらきら蝶』が
群れで飛んで夜空を彩ったり、
雲を少しずつ食べて形を変える
『ふわふわ雲魚』がゆったり泳いでたり……
それに、記憶が形になった
精霊たちもたくさん住んでるの。
星の欠片の群れもふわふわ泳いでて、
道しるべみたいな役割をしてくれるよ。
モコみたいな浮遊系の生き物もいっぱい!
ただ、懐かしい記憶に囚われすぎると
出口を見失っちゃうから、
みんなでしっかり繋がっててね!」
モコは最後に「にこっ」と笑って、
雲の船を優しく進め続けた。




