Episode 43:いざ「外縁の霧海」へ
【第一幕・これまでのあらすじ(まとめ)】
かつて大星災によって夜空の記憶が地上に落ちてできた「星屑の道」。呪いによって漆黒の全身鎧と化した戦士ノワールは、余命わずかな少女ティア、その魂の温度を映す妖精ユウと共に、ティアの故郷である「星蜜の里」を目指して長い旅を続けてきた。
しかし、里に近づくほどにティアの魂の輝きは薄れていく。そしてついに里の「蜜の門」をくぐった瞬間、ティアは「今までありがとう」という言葉を残し、金色の光となって夜空の彼方──魂が還る場所「天星界」へと溶けて消えてしまった。
最愛の存在を失い、絶望のあまり自らの鎧(器)を殴りつけてひび割れさせたノワール。だが、その傷ついた胸の「星槽」から、天星界へと繋がる微かな共鳴が生まれる。大発明家ジグや里の仲間たちの全面協力を得て、ティアの魂の消耗を一時的に抑える新装置が完成。
ノワールたちは、ティアの本当の願いを彼女自身の言葉で確かめるため、未知なる天の領域へと旅立つことを決意する。
ここから、天星界の最外縁を目指す「第一章:外縁の霧海編」が幕を開ける──。
──第一章:外縁の霧海──
朝霧がまだ薄く残る星屑の道は、いつもより少しだけ冷たく感じられた。
銀白色の石畳が足元で淡く輝き、一歩足を踏み入れるたびに、きらきらとした細かな星屑が歓迎するように舞い上がる。見送ってくれた「星蜜の里」の金色の灯りは、もうはるか背後の谷間に小さく沈み、静かに見守るように明滅していた。
ノワールは重厚な鉄の兜をわずかに上げ、これから進むべき北東の空をじっと見つめた。
そこには、まだ見ぬ魂の中間領域──『外縁の霧海』が、淡い紫色の霞となって、まるで巨大な生き物のように静かに横たわっているはずだった。
(……出発前、里の外れでモコを呼び出したのは、ほんの少し前のことだったな)
ノワールはガントレットで覆われた手で、装甲のポケットから一本の淡いピンク色の細い糸を取り出した。
里の不思議な生き物・モコの体毛で作られ、ユウの詩片の欠片が緻密に織り込まれた特製の「星屑の糸」だ。指先で軽くその糸を弾くと、糸はチリンと小さく震え、生きているかのように淡い光を放ち始めた。
すると、里の近くに浮かんでいた雲の隙間から、ぽよぽよとしたピンク色の毛玉のような塊が、嬉しそうに飛び出してきた。
「呼んだ? モコ、来たよ!」
モコは宙にぽよぽよと浮かびながら、短い手足を振る。
月の精霊セレンが優しく鈴の音を響かせながら、モコの目の前へとふわりと近づいた。その声はいつも通り穏やかで、慈愛に満ちている。
「モコ、ここからの険しい霧海まで、私たちとご一緒してくれるかしら?」
「うん!」
モコは元気よく弾んだ。
「霧海を越えるときだけ、みんなを乗せるおっきな雲の船を作ってあげるね! そこを越えたら、モコは里に戻ってみんなの無事を待ってる! もし何かあったら、その星屑の糸を震わせてすぐにモコに教えてね!」
ノワールはその温かい糸を、壊れ物を扱うように大切にポケットへと戻しながら、地を這うような低い声でぽつりと呟いた。
「……もし、この糸をティアの魂にも繋ぐことができれば……あの子の『どうしたい?』という答えが、たとえ『みんなと一緒にいたい』でなかったとしても……これからもずっと、そばに感じていられるのだろうか」
その呟きには、まだ見ぬ未来の選択に対する、不器用なノワールなりの静かな祈りと願いが込められていた。彼は軽く息を吐き、思考を切り替えるように、視線を再び不穏な紫色の北東の空へと戻した。
ノワールの肩の上で、ユウが半透明の翅を小さく広げる。
「……ジグの装置の反応、まだ弱いけれど、でも確かに芯があるよ。この霧海の方向に、ティアの気配が……本当に少しずつだけど、近づいているんだ」
ジグは胸にしっかりと抱えた円筒形の新装置をポンと軽く叩き、徹夜明けの興奮と緊張が入り混じった声で言った。
「ノワール君の星槽の共鳴値が、里にいた時よりも明らかに上がってきているぞ。これは……あの子の魂がすぐ近くにいる証拠だ。期待できるかもな!」
セレンが宙にしなやかに舞い上がり、美しい鈴のような音色を朝の冷たい空気に優しく溶け込ませた。
「外縁の霧海は魂に対して優しい場所ですが、それゆえに時に生者の心を惑わせ、引きずり込むとも言われています。皆さん、決してはぐれないよう、気をつけていきましょうね」
その言葉を追いかけるように、先頭を飛ぶピクシー四姉妹が四方向からノワールの周りをくるくると激しく回りながら、元気いっぱいに声を揃えた。
(赤)「わーい! ついに本当の、誰も行ったことがない大冒険だよー!」
(青)「霧海ってどんなところかなー? 本当に雲みたいにふわふわしてるの?」
(黄)「私たち、ちゃんと道案内できるよね……? もし迷子になっちゃったらどうしよう!」
(緑)「大丈夫だよ! みんなで手を繋いでがんばれば、絶対にティアちゃんのところに新着するよー!」
その時、ノワールのもう片方の肩に乗っていたミルフィが、これまでのような「にゅう」という鳴き声ではなく、驚くほどはっきりとした愛らしい少女の声で言葉を紡いだ。
「……にゅう、じゃないよ。みんな……本当はちょっと怖いけれど、でも、ティアお姉ちゃんにどうしても会いたい……。わたしも、足手まといにならないようにがんばるね」
「なっ……!?」
ノワールが驚愕して鉄の兜を見下ろすと、ミルフィは急に恥ずかしくなったのか、長い尻尾で身を包むように丸まりながら、もじもじと続けた。
「あのね、ジグさんが装置を調整してくれたときから……ティアお姉ちゃんの残した光と、装置の波長が混ざり合って、わたしの『想い』がみんなにちゃんと届くようになったみたい。……だから今は、みんなと普通にお話ができるの」
ジグが額のゴーグルを得意げに押し上げ、満足そうにガハハと笑った。
「装置の共鳴回路が、ミルフィの化身としての『想いの周波数』を上手く拾い上げられるようになったんだ。ティアちゃんの残光と完全に同期したおかげさまだな。さあ、第二幕からはこのミルフィちゃんも立派な会話の相棒だぞ!」
ミルフィは照れくさそうに、けれど嬉しそうにふわふわの尻尾をパタパタと振った。
「……ふふ、よろしくね、みんな」
ノワールは兜の奥で、旅を始めてから初めて、心からの優しい微笑みを浮かべた。
「……ああ。改めてよろしくな、ミルフィ。心強いよ」
セレンが祝福するように優しく鈴の音を響かせ、ピクシー四姉妹が「ミルフィがお喋りしたー! かわいいー!」と大歓声を上げて周囲を飛び回る。
ノワールは活気に満ちた仲間たちの顔をゆっくりと見渡し、引き締まった声で言った。
「……これからは、守られた里の中にいた時とは違う。何が起こるか分からない未知の領域だ。だが、俺たちはもう、ただ立ち尽くしてあの子を失うだけの『彷徨う鎧』ではない」
ガシャン、と重厚な鉄の音が響く。ノワールは力強く一歩を踏み出した。
星屑の道は、どこまでも北東へと続いている。これまで旅してきた地上とは全く異なる、神話の領域へ。道の先は、美しくも妖しい淡い紫色の霞に包まれ始めていた。
『外縁の霧海』──。
地上の魂が最初に辿り着き、記憶を洗う中間領域。
最愛のティアの魂が、今、その霧の向こうで何を思い、何を願っているのか。
まだその姿を見ることはできない。
しかし、ジグが造り上げた希望の装置は、微かながらも、確かに彼女の愛しい気配を捉え、星槽の奥で銀白色に瞬き続けていた。
六人と一匹は、新しき世界の朝の風を全身に受けながら、静かに、しかし決して揺らぐことのない確かな足取りで歩き始めた。
ピクシー四姉妹が前方を案内しながら賑やかに歌い、セレンが後方から優しい鈴の音で一行を包み込む。ミルフィは時折、癖で「にゅう……」と小さく鳴きながらノワールの肩に掴まり、ユウは翅の魔導文字をこれまでになく気高く光らせて、道を遮る霧を払っていった。
ノワールは兜の奥で、静かに、心の中でその名を呼んだ。
(……ティア。もしもお前が、今も『みんなと一緒にいたい』と思ってくれているなら、俺はどんなに幸せだろうか。待っていてくれ、今行く)
星屑の道は、彼らの不屈の意志を乗せて、これまでで最も遠く、最も美しい場所へと、六人を静かに導いていった。




