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さまよう鎧は今日も帰れない!──毎夜姿を変える星屑の迷宮を歩く、夜になると消えてしまう少女と漆黒の生ける鎧。  作者: nanananaca
第一幕:星屑の道は今日も遠くて

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Episode 42:「天星界への出発」前夜の決意

星蜜の里の広場は、夜でありながら、まるで昼の木漏れ日のような柔らかな光に満ちていた。


「蜜の泉」の穏やかな水面に浮かぶ星形のランタンが風に揺れ、水面へと金色の美しい波紋を幾重にも描いていく。


通りには、ミロとセラが心を込めて焼いた星蜜パンの、優しく甘い香りが漂い、ひんやりとした宵の空気に心地よく溶け込んでいた。境界を示す古い石の輪の内側では、ルリアが丁寧に編み上げた「宵花よいばなの冠」が、主を待つように静かに揺れている。


集まった人々の声は低く、けれどどこまでも温かい。遠くからは、何も知らない子どもたちの無邪気なはしゃぎ声が時折響いてくる。


永遠の別れになるかもしれないその前夜は、残された者たちの優しさによって、まるで祝祭のように美しく装われていた。


ノワールは、かつてティアが消え去った「蜜の門」のすぐ手前に立ち、自らの胸の星槽せいそうにそっと鋼の手を当てていた。


あの日、絶望のあまり自ら傷つけた星槽は、ジグと研究者たちの手によって見事に修復を終え、今は静かで揺るぎない銀白色の光を宿している。指先でその硬質な表面に触れるたび、胸の奥で過去の引き裂かれるような痛みと、今この手にある絶対の決意が交差するように感じられた。


ユウは彼の肩にそっと留まり、半透明のはねに刻まれた魔導文字の輝きをちらりと確かめる。その隣では、大発明家ジグが、腕に抱えた小さな円筒形の新装置の最終調整に没頭していた。装置の磨き上げられた金属面に、ランタンの金色の光が小さく踊っている。


広場を包む空気は、これからの未知の旅へ思いを馳せる静かな期待と、彼らを見送る人々の溢れんばかりの慈愛で満たされていた。


「ノワールさん、ユウさん……本当に行っちゃうんだね」


最初に静かな口を開いたのはルリアだった。その大きな目にはこらえきれない涙が光っていたが、ノワールたちを心配させまいと、必死に作った笑顔がその声に混じっていた。


セラが、ずっしりと重い大きな籠をノワールの前に差し出した。蓋を開けると、中にはまだ温かい焼きたての星蜜パンが山のように詰まっている。


「これね、ティアちゃんが一番大好きだった味に焼いたのよ。『天星界』がどんな場所かは分からないけれど……きっと、あの子なら食べられるよね? ノワールさん、ティアちゃんに、ちゃんと届けてあげてね」


夫のミロは、少し照れくさそうに白い髭を何度も撫でながら、力強く言った。


「俺たちは、この里でずっと待ってる。どんなに遠くても、どんなに時間がかかっても……ティアちゃんが帰ってきたら、里の全員で盛大に『おかえり』の宴を開くためにな!」


そこへ、長老グランがコツン、コツンと古びた杖を突いて前に歩み出た。彼の声は樹木の年輪のように深く、広がっていた広場の空気を静かに引き締める。


「ジグ殿、そして里の研究者たちが文献と伝承を照らし合わせた結果を、改めてここに伝える。……地上を離れた魂が最初に辿り着く『外縁の霧海がいえんのむかい』。そこは還りの途上にある魂が、現世の記憶をゆっくりと浄化されながら、次の命の形を選ぶ中間領域だ」


「そこからさらに天の深淵へと進めば、魂の結晶が息づく『星晶のせいしょうのもり』、過去の全てを映す『記憶の回廊きおくのかいろう』、星の光が湧き出る『核の光庭かくのこうてい』と続き、その最深部が、真の『天星界』へと繋がっているとされている」


隣に立つ老研究者が、誇らしげに古びた羊皮紙の地図を広げた。細かく描かれた図と文字を指でなぞるその仕草は、里に伝わるおとぎ話のような伝承に、確かな学術的裏付けを与え、ここにいる全員の胸にずしりと重い現実味を持たせていく。


長老は、ノワールの兜の奥にある銀白色の眼をじっと見つめ、厳かに言葉を続けた。


「だが、忘れてはならん。天星界への『還りの儀式』を解くには、何よりも本人の言葉が必要だ。私たちの『戻ってきてほしい』という願いは強い。しかし、彼女自身の意志を尊重することこそが、最も大切なことなのだ」


「……あぁ、分かっている。そのために、俺は行く」ノワールは低く、けれど固い声で応じた。


ジグが装置の最後のネジを締め終え、少し息を切らしながらも満足げに胸を張った。


「よし、できたぞ! これで半日以上、ティアちゃんの魂の安定を完全に保てるはずだ。旅の途中で、夜空のエネルギーをうまく補充して調整していけば、その時間はさらに伸ばせる。この装置の完全版の設計は里の研究者たちに全て引き継いだ。俺たちが旅立っても、彼らが必ず何度でも使えるように複製してみせるさ!」


その頼もしい言葉に、広場の緊張がふっと和らいだ。ジグの誇る「技術の温かさ」が、見送る人々の心にある不安を、一瞬だけ優しく押し戻したのだ。


ノワールは、自分たちのために集まってくれた里の人々の顔をゆっくりと見渡し、静かに提案した。


「この道の先、天星界への境界線を超えた先は、何が起こるか全く予測がつかない。どんな危険や試練が待っているかは分からない。だが……決して恐ろしいことばかりではないはずだ。誰がこの旅に同行するか、今ここで、皆で決めよう」


その声を合図に、広場にいた仲間たちが、待ってましたとばかりに次々と手を挙げ、賑やかに言葉を紡ぎ始めた。


まず、ピクシー四姉妹が羽音を揃えて小さく宙を舞い、手作りの「近道の地図」をひらひらとノワールの前に掲げて見せた。言葉よりも先に、その身体全体で「一緒に行きたい」という気持ちを示していた。


「私たち、絶対に行くよ! 天星界への近道だって教えてあげられるし、何よりティアちゃんを一番近くで応援したいもん!」


ミルフィも負けじと、大きな尻尾をふわふわと激しく振り、その青い瞳を潤ませながらノワールの足元にすり寄った。


「にゅう……!」


そこへ、月の精霊セレンが夜空からふわりと光の粉を散らしながら降り立ち、その美しい鈴のような音色で言葉を添える。


「私も、私の歌で皆さんの行く道を照らします。愛しいティアさんのために……喜んでお供いたしましょう」


モコはぽよぽよと柔らかい身体をいつもの倍ほどに大きく膨らませ、得意げに宣言した。


「モコはね、みんなが『外縁の霧海』を越えるときだけ、みんなを乗せるおっきな雲の船を作ってあげるの! 霧海を無事に越えたら、モコは里に戻ってみんなの帰りを待ってるね!」


その頼もしい言葉の数々に、ルリアは少し寂しげに笑ったが、すぐに里の娘としての明るさを取り戻した。


「私……本当は一緒に行きたいけれど、里の受け入れ準備も大切だもんね。ティアちゃんがノワールさんたちと一緒に帰ってきたとき、びっくりするくらい最高の『おかえりなさい』の宴を用意しておかなくっちゃ!」


「そうよ! 腕によりをかけて、見たこともないご馳走を準備するわ!」


セラが元気よく応じ、ミロは「宵花の冠」を編み込む手を休めることなく、優しく微笑んだ。


大人たちの会話を聞いていた里の子どもたちも、「じゃあ僕は花をたくさん集める!」「私は歌の練習をしておく!」と、次々に小さな可愛い約束を口にする。


いつの間にか、重苦しかった別れの場は、未来の「帰還の宴」の準備を話し合う、希望に満ちた賑やかな作戦会議へと変わっていった。


ノワールは、その愛おしい光景をただ静かに見つめ、黒鉄の胸の奥で、優しく言葉を紡いだ。


(──見えるか、ティア。お前がその純粋な笑顔で救い、笑顔にした人たちは……今度は、お前をもう一度笑顔にするために、こうしてまた、こんなにも温かく笑っているぞ)


その声は外には出さず、ただ心の中で、あの子に届くように確かめるだけだった。


長老グランが、再び一同に向けて口を開く。その老いた目には、長年この世界と人々を見守ってきた者だけが持つ、深い慈愛と覚悟が宿っていた。


「行く者たちよ、ただ一つのことを決して忘れてはならない。ティアの声を、彼女自身の本当の言葉で確かめること。私たちの願いがどれほど強くとも、最後の答えは、彼女の口から出るべきなのだ」


その言葉に、広場は静かな、しかし固い頷きで満たされた。誰もが痛いほど理解していた。どれほど強く「ここにいてほしい」と願っても、最後の答えは、彼女自身の自由な意志に委ねられるべきだということを。


やがて、長い夜が明けた。


東の空から、朝の柔らかな陽光が星蜜の里を優しく包み込み始める。


ノワール、ユウ、ジグ、セレン、ピクシー四姉妹、そしてミルフィの六人は、里の人々の割れんばかりの声援と拍手に送られながら、再びあの「星屑の道」へと力強く歩き出した。


長老と研究者たちが示した古代の地図によれば、『外縁の霧海』への入り口は、ここから北東へ三日の行程にある、未知の古い浮遊遺跡の奥深くにあるという。


道は果てしなく長く、これから立ち向かう霧は優しくも、時に彼らの絆を試すように冷たく立ちはだかるだろう。


ノワールは、溢れる朝陽をその黒い鎧に浴びながら、低く、しかし世界の果てまで届くような確かな声で告げた。


「行こう。ティアが、自分の言葉で答えるその時まで」


六人の影が、まっすぐに伸びる朝の光の中に長く引かれ、銀白色の星屑の道は、彼らの新たな一歩を静かに、祝福するように受け入れた。


里の人々は門の前でちぎれるほどに手を振り続け、子どもたちは旅の安全を祈る小さな歌を口ずさむ。ミロとセラは最後にもう一度、星蜜パンの籠の蓋をしっかりと閉め、ルリアは「宵花の冠」を傷つかないよう丁寧に布で包んだ。


ユウは希望に翅を小さく震わせ、ジグは胸の装置のスイッチが正常に稼働しているかを何度も確かめる。


ノワールは、もう決して振り返らなかった。ただ、あの子の待つ遥かなる天の先を見据えていた。


その広い背中に、里の人々が歌う温かい歌声が、風に乗ってどこまでも追いかけていく。


星蜜の甘い香りがまだ名残惜しそうに空気に残り、ランタンの灯火が朝露に反射してキラキラときらめいていた。


別れは、決して悲しみだけではない。そこには、再び巡り合うための確かな希望と、約束が混じり合っている。


誰かが自分に笑顔をくれたなら、今度は、自分たちがその人を全力で笑顔にする番なのだと、里のみんなは心の中で静かに誓い合っていた。


星屑の道は、彼らの不屈の足跡を一つずつ愛おしそうに受け止めながら、雲海の彼方、天星界へと向かって遠く、遠くへと続いていく。


朝の光がどこまでも道を照らし、

六人は小さな、希望の歌を口ずさみながら、

光の中へ歩き出した。


愛しいティアの声を、

彼女自身の言葉で、もう一度確かめるために。

7/15より、【第二幕:「みんなと一緒にいたい」の答え 】を公開予定です。

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