Episode 32:浮遊遺跡の小さな暴走
星屑の道が再び、あの風化しかけた大理石が漂う浮遊遺跡のすぐ近くを通った日のこと。
ジグが工具やネジを全開で詰め込んだトレードマークのコートを激しくはためかせ、いつにも増して興奮気味に遺跡の奥から飛び出してきた。
「おおおっ! ティアちゃん! ノワール君! ユウちゃん! ちょうどいいところに!」
ジグは両手を大きく振り回しながら、勢いよく三人を出迎えた。
「ついに、ついにやったぞ! 天星界観測装置の『新型試作機』を完成させたんだ! 前回のハート型浮遊アームのデータを基に大幅な改良を加えてさ、魂の構造安定率を極限まで高めた僕の自信作だぞ! これさえあれば、ティアちゃんの魂をいつもよりもう少しだけ長く、この世界に留めておけるはずなんだ!」
「ジグさん! また新しいのを作ってくれたの!?」ティアは大きな瞳をキラキラと輝かせ、嬉しそうにジグの元へ飛び跳ねるように近づいた。
「わー、早く見たい! それがあれば……夜になっても、みんなと一緒にいられるようになるの?」
ジグは遺跡の中央広場に古めかしい大きな木箱をドンと置き、その中から金属と星屑の結晶を複雑に組み合わせた、奇妙で、どこか愛らしい形状の装置を取り出した。
中心には淡い虹色の球体がカチカチと音を立てながらゆっくりと回転しており、その周囲から細い真鍮製のアームが何本も傘のように伸びている。アームの先端には、ユウが落とす詩片を極薄に引き伸ばして加工したという半透明の膜がピンと張られていた。球体の表面には淡い金色の魔導回路が脈打つように走り、時折、星の欠片のような細かな光が瞬いている。
「これでティアちゃんの魂の霧散を防いで安定させたり、ひょっとすると天星界への道をほんの少しだけこじ開ける可能性も見えてきたんだ! さあ、いくぞ、起動!」
ジグが自信満々にレバーを引くと、装置が低く唸りを上げ、中心の球体から柔らかな虹色の光がゆっくりと周囲へ広がり始めた。
最初は、すべてが極めて順調だった。
広がった光の波はティアの半透明な魂を優しく包み込み、彼女の身体の輪郭を、この旅が始まって以来最もはっきりと、まるで生前のように鮮明に浮かび上がらせていく。
「わあ……!」ティアは嬉しそうに自身の両手を見つめ、身体をくねらせた。「身体がすごく軽いよ……。なんだか、お日様みたいにポカポカして……ずっとこのままでいられそうな気がする!」
しかし、その幸福な時間は数秒と持たなかった。
突如として装置の奥から「ぎゅうううっ!」という、耳をつんざくような鋭い金属摩擦音が響き渡り、放たれていた虹色の光が爆発的に膨れ上がったのだ。
何本もの真鍮製アームが磁石に引かれるように勝手に伸長し、ティアの魂を強引に絡め取るように包み込む。同時に、遺跡の壁や天井に埋まっていた古い星屑の残骸が、凄まじい磁場によって雪崩のように装置へと吸い寄せられ始めた。
「わわわっ!? 暴走してる!?」
ジグが派手に顔色を変えて飛びのいた。
「嘘だろ、回路が……制御不能! 安定回路が計算と逆回転して、周囲の星屑の記憶を過剰に吸引し始めてるぞ!?」
光の渦は瞬く間に巨大な竜巻と化し、その中心へとティアの魂を強引に引きずり込もうとする。過剰なエネルギーの奔流に晒され、せっかくはっきりとしていたティアの輪郭が逆に激しくブレて透け始め、彼女の声が遠い嵐の向こう側のように風に掻き消されていく。
「ノワール……! なんか、すごく、引っ張られて……! 身体が……どこか遠いところに飛んでいっちゃいそう……!」
ティアは必死に光の渦から手を伸ばした。
「ティア――!! 離れるな――!!」
ノワールは地響きのような声を上げて吼え、一歩で距離を詰めると、全力でティアの魂をその頑強な鉄の腕で抱き寄せた。しかし、空間そのものを引き裂かんとする光の吸引力は凄まじく、質量のない魂はノワールの重厚な指の間からサラサラとすり抜けてしまいそうになる。遺跡全体が激しく大地震のように震え、天井から大小の石屑が容赦なく降り注いだ。
ノワールの肩から飛び立ったユウが、その大きな翅を最大限に広げ、声を張り上げるようにして詩を紡ぐ。
「……『暴れる光よ、その荒ぶる力を収め、優しくそこに留まれ』……! 『ここに在るべき大切な魂を、現世へ強く繋ぎ止めよ』……!」
ユウが次々と光り輝く詩片を渦へと投じるが、狂った魔導の嵐はさらに勢いを増していく。ジグは顔中を汗だくにしながらスパナを振り回し、火花が散る内部回路を必死に叩いて調整を試みた。
(これ以上……この手を離してなるものか……!)
ノワールは胸の星槽の出力を限界まで開放。漆黒の鎧の表面に、封印されていた純金色の光の魔導紋様がバキバキと眩しく浮かび上がった。鉄の腕に爆発的な質量が宿り、ティアの魂を現世へと強引に繋ぎ止める。
ノワールとユウの決死の抵抗、そしてジグの命懸けのレバー操作が重なり――刹那、爆発的な閃光と共に、ようやく装置の光が急速に収束していった。
虹色の球体はパチパチと小さな火花を散らしながら静かに停止し、あとに残されたのは、遺跡の微かな震えと、ツンとする焦げた金属の匂いだけだった。
「……あ、危なかった……。死ぬかと思った……」
ジグは床にへたり込み、肩で荒く息をしながら両手で頭を抱えた。
「本当に怖い思いをさせてしまったね、ごめんよティアちゃん。やっぱり、まだ僕の技術じゃ不安定すぎるんだ……。天星界への正しい道を開くには、もっと圧倒的に強い安定の触媒が必要だ。」
「……この装置は、あくまで理論上だけど、ティアちゃんの魂を『この世界に長く留める』素晴らしい力を持っている。でも同時に、一度暴走すればその魂を木端微塵に引き裂く危険もある……。旅の救いになる反面、一歩間違えれば破滅を招く、まさに『二重の刃』だ……」
まだ少しだけ驚きで息を整えながらも、ティアはすぐにいつもの無邪気な笑顔を取り戻し、へたり込むジグの手を優しく握る仕草をした。
「えへへ……ちょっとびっくりして暴走しちゃったけど、ジグさんの作った装置だもん。次はきっと、ちゃんと動いてくれるようになるよ! 私、ジグさんの発明のこと、すっごく信じてるから! ね、ノワール、ユウ、みんなで応援してあげよう?」
ノワールは鉄の腕を組み、黒煙を上げる装置を無言で見つめていた。その漆黒の面甲の奥で、胸の星槽が微かに警告を告げるように冷たく光る。
(……この危うい装置は、いつかティアを過酷な呪縛から救う大いなる『鍵』となってくれるのだろうか。それとも、あの子の魂を永遠に連れ去ってしまう『引き金』となるのだろうか……)
◇
やがて一日の終わりを告げる夕陽が山脈の向こうへとゆっくり沈み、いつもの『星屑シフト』の地鳴りが静かに遺跡を揺らした。空間が冷酷にスライドし、目指す故郷の村はまたしても遥か遠くの地平へと引き離されていく。
約束の時間が訪れ、ティアの魂がふわりと夜空へ向けて浮き上がっていった。
今日はいつもより少しだけ長く、あの暴走の残滓である、淡い虹色の美しい残光をその身にまとったまま。
「えへへ……今日も、おじいちゃんの村には帰れなかったね」
ティアは穏やかで、しかし少しも挫けない前向きな声を夜空に響かせた。
「でもね、みんなで力を合わせてあの凄い装置を止められたし……なんだか、明日への大切な一歩が、また少しだけ近づいた気がしたよ。だから、明日も絶対にがんばろー!」
明日への純粋な希望を疑わない無垢な笑顔を残し、彼女の魂は夜空の星々へと溶けるように消え去っていった。
ユウは装置の残骸が放つ、消え入りそうな虹色の光を寂しげに見つめながら、静かに新しい詩を翅に紡いだ。
ノワールはその夜光を胸の星槽に感じながら、先日出会った「記憶を運ぶ子」の残した古い儀式の詩句を不意に思い浮かべ、低く、鋼の決意を込めて呟いた。
「……『最後の花は、自ら還る道を選ぶ』。ジグのこの装置が、将来その道を開く鍵になるのだとしても……俺は、ティアを失うような結末など、絶対に選ばせはしない」
星屑の粒子が夜風に静かに舞い、浮遊遺跡の幻想的な灯りが、静まり返った夜の闇の中に優しく、どこまでも優しく揺れていた。




