Episode 2:ピンクの背中と、ちょっとだけ近づいた朝
毎夜零時に道が組み替わる不条理な迷宮──『星屑の道』。
その冷酷な仕組みにも、ティアとノワールはこの数日で少しずつ慣れ始めていた。
東の空から差し込む朝陽が石畳を銀色に撫でる頃。道端に腰を下ろしていた漆黒の鎧ノワールは、ゆっくりと兜を上げた。
胸の星槽が淡い金色を帯びると、カチャリと音を立てて面甲が半分ほど上がる。光の粒子が集まり、クリームゴールドの髪を揺らしたティアの顔が優しく浮かび上がった。
「おはよー! ノワール! ……ふう、今日もちゃんと戻ってこれたね。さあ、村に向かおう!」
昨夜の消えゆく瞬間の儚さはどこへやら、朝の光を浴びたティアの魂は弾むような元気に満ちている。
彼女の魂が完全に馴染むと、鎧の表面を走る星屑の亀裂が淡く揺れ、ゴツゴツとした重厚な輪郭が、ゆっくりとスマートに整っていった。
星屑が魂の形を写し取る術式──“星霊融”。
『ティアを守るための術だよ』と、かつて優しく微笑んだおじいちゃんの声が、ノワールの胸の奥で再生される。
「……ああ。おはよう、ティア」
ノワールは低く籠った声で応じ、密かに深い安堵を吐き出した。
「昨夜は大丈夫だったか?」
「うん。暗くてちょっと怖かったけど、もう慣れてきたよ。朝になれば、絶対にノワールのところに戻れるって分かってきたから!」
おじいちゃんが遺した『星魂抱』の術式が、朝陽とともに彼女を必ず還してくれる。その絶対の信頼が、ティアを笑顔にさせていた。
二人が再び歩き出すと、道の真ん中で丸くなっているピンクの背中が目に入った。
昨日出会ったミニドラゴンのミルフィだ。子猫ほどの小さな体を丸め、尻尾の先を淡く光らせながら、昨日と全く同じ場所で寝息を立てている。
「ミルフィちゃーん! また会えたね!」
ティアが駆け寄って声をかけると、ミルフィは眠そうに目をこすり、ティアの魂の匂いを確かめるように鼻をくんくんと鳴らした。そしてふわりと尻尾を振ると、器用にノワールの肩へと飛び乗った。
その瞬間、ミルフィの体がほのかに光を放ち──ノワールは「おや」と足を止めた。
鎧の足取りが、劇的に軽くなったのだ。小さな生き物の温もりが、重い鉄の鎧の重心をふわりと上へと引き上げている。
これが『共鳴』──。
この道は、旅の仲間が増えれば増えるほど、旅人に少しだけ優しくなるのだ。
「近道教えるよー!」
さらに進むと、羽音を響かせて三色の光が舞い踊った。ピクシーの三姉妹だ。
赤が元気に先を指差し、青が慎重に周囲を警戒し、黄が無邪気に笑う。賑やかな先導役を得て、ノワールは渋々といった様子で後を追うが、その足取りは明らかに昨日より滑らかだった。
「ノワール、あそこ! 何か光ってる!」
ティアが指さしたのは、道端に生じた小さな『星の裂け目』。
昨日見つけたものより少し深く、そこには淡い紫色の魔導の欠片がぷかぷかと浮いていた。
ノワールが大きな鉄の指先でそれを拾い上げ、胸の星槽へと嵌め込む。
──その瞬間、ノワールの視界に紫の光が爆発するように広がった。
ガシャン!と足元の石畳がノワールの魔力に反応して激しく輝く。
「……これは、浮遊歩行の力か」
ノワールが軽く踏み出すだけで、巨体がまるで重力を忘れたかのように、石畳の上を滑らかに滑り出した。
「すごーい! 飛んでるみたい!」
ティアは歓声を上げ、ノワールの肩のミルフィと一緒に、風を切って進む感覚を楽しんでいる。ただ足踏みを繰り返すだけだった旅路の中で、それは二人にとって、初めて手にした『小さな自由』の味だった。
宵花の谷は甘い香りに満ち、夕暮れ前の光が花びらを金色に染め上げていく。
行き交う旅人たちと摘みたての実を分け合い、ルミとルナの双子が営む宿屋『星月亭』の看板が見えたとき、ティアの胸は「今日こそ辿り着ける」という期待で膨らんだ。
だが──無情にも夕陽が傾きかける。
道全体が、じわりと不穏な紫色に染まり始めた。『星屑シフト』の予兆だ。
ゴゴゴ……と音を立てて宿屋の看板がゆっくりと左へずれ、昨日とは全く違う、薄暗い森の奥へと道が繋ぎ直されていく。
目的の村は、またしても「あともう少し」の向こう側へと遠ざかってしまった。
夕陽の光に透け、ティアの魂がふわりとノワールから浮き上がり始める。
けれど、今日の彼女の顔に絶望はなかった。
「えへへ……でも今日は、ちょっとだけ近づいた気がするよ」
ティアは精一杯の明るい笑顔をノワールに向ける。
「ミルフィちゃんも一緒にいてくれたし、ピクシーちゃんたちと飛んだのもすっごく楽しかった! だから、明日こそ……絶対、がんばろうね、ノワール」
「……ああ」
引き止める術のない夜闇が訪れ、ティアの魂は夜空に溶けるように消えていく。
面甲が閉じるカチャンという音が響く。ノワールは立ち尽くしていたが、鉄の拳の握りは、昨夜よりも少しだけ緩んでいた。
胸の奥に、彼女が残していった笑顔の残滓が、確かな温もりとして残っているからだ。
『少しずつだが、距離は縮まっている。明日も、彼女の笑顔を守る』
そう独白し、静かに夜を明かそうとしたノワールだったが──その胸の奥で、小さな、しかし無視できない『違和感』が疼いていた。
先ほど、紫の結晶を胸に嵌めた一瞬。
ノワールの視界に、妙な光景がフラッシュバックしたのだ。それは、おじいちゃんのいた星屑塔の実験室ではない。
見たこともない、薄暗く果てしなく続く廊下。その遥か先で、ゆらゆらと妖しく揺れる『白い光』の幻影──。
(……今のは、何の記憶だ? 私は、試作型の鎧のはずでは……)
気のせい、と言い切るには、その記憶の残滓はあまりにも冷たく、胸をざわつかせた。
何かが、少しずつ変わり始めている。朝の冷たい空気に、そんな予感が混じっていた。その時、風に流されてきた1枚の小さな古びた紙片が、ノワールの足元でパサリと震えた。
そこに記されていたのは、ティアの声を呼び戻すかのような、古い詩句の一行。
──『砕けた星の巡り合わせは、やがて等しく、始まりの場所へと還る』──
星屑が静かに舞い、道はいつも通りに揺れる。
だが、その残酷な揺らぎの中に、誰も知らない小さな『問い』が、静かに生まれ落とされていた。




