Episode 11:星蜜里のみんなと灯り
星屑の道は、毎夜零時を境に『星屑シフト』を起こす。夜空の星座が微かにその位置を変えるのと同じように、空間に浮遊する銀白色の石畳も、まるで息をするかのように姿を変えるのだ。
昨日まで通れたはずの橋が少しだけずれ、代わりに見たこともない新しい小道がひょっこりと姿を現す。そんな儚くも優しいこの道を、誰もが「今日こそは」と願いながら歩き続けている。
その道の終着点近くにひっそりと佇む、温かな集落
──それが『星蜜の里』だ。
村人たちは「星蜜の花」の伝説を古くから信じ、宵花を育て、香ばしい星蜜パンを焼きながら穏やかに暮らしている。
魂だけの不安定な存在であるティアがこの道に現れたとき、最初は彼女を「亡霊」と呼んで恐れる者も多かった。しかし今、彼女が絶やさずにいる向日葵のような明るさと底抜けの優しさは、里の人々の頑なな心を少しずつ、けれど確かに溶かし始めていた。
◇
里の外れにある自宅の小さな浮遊庭園で、少女ルリアは宵花の水やりをしていた。
そこへ、母親のミアが焼きたての星蜜パンを籠いっぱいに詰めながら、優しい声をかけてくる。
「ルリア、またティアちゃんのところに行くの? 今日はお父さんが、特別に星蜜を多めにして焼き上げてくれたわ。冷めないうちに持っていってあげなさい」
すると、そばで星葉樹の葉を摘んでいた弟のミルが、悪戯っぽく笑った。
「お姉ちゃん、ティアお姉ちゃんに会う約束がある日は、いつもニコニコだね! 僕も今度、一緒に行っていい?」
ルリアは少し照れくさそうに頬を染めながら、元気に頷いた。
「うん! ミルも一緒なら、ティアちゃんきっと大喜びしてくれるよ」
ルリアの家は里の最も外れにあり、庭には星葉樹と宵花が数え切れないほど植えられている。
朝は家族みんなで星蜜の泉から澄んだ宵露を汲み、昼はパン工房の手伝いをして、夕方は広場で子どもたちと星言の練習をする──それが、ルリアにとっての当たり前の日常だった。
けれど、そんな変わらない風景の中で、ティアという少女と出会ったあの日から、ルリアの心は大きく変わり始めていた。
(……初めてティアちゃんを見たとき、私は本当に怖かったな)
あの日、里のみんなは「魔導の欠片を帯びた、魂だけの化身が近づいてくる!」と大騒ぎしていた。怯えたルリアは母親の背中に隠れるようにしながら、様子を見るために里の外れまで出てしまったのだ。
そこに静かに立っていたのは、禍々しい漆黒の鎧をまとった巨躯のノワールと、その傍らで淡い金色の光を放っている、ちっぽけな少女の魂だった。
『こんにちは! 私はティア。魂だけになっちゃったけれど、全然怖くないよ!』
当時のティアは、今と変わらない突き抜けるような明るい声で、里のみんなに呼びかけた。
『里のみんなと、たくさんお話がしたいな。おじいちゃんが生きていた頃ね、よくこの里の素敵な話をたくさん聞かせてくれたの。星蜜パンをお裾分けし合ったり、綺麗な宵花を一緒に植えたり……。いつか、私も里のみんなと一緒に暮らしたいなって、ずっと夢見ていたんだ』
その言葉を聞いた瞬間、ルリアの胸の奥に、じわりと熱いものが込み上げてきた。
肉体を失って魂だけになってもなお、こんなにまっすぐに里を愛し、誰かのために笑顔を咲かせられる子がいる。ルリアは恐怖を忘れ、勇気を出して一歩を踏み出し、彼女に声をかけたのだ。 『……私、ルリア。ティアちゃんのそのお話、里のみんなに私から伝えてみるね……!』 それからのルリアの毎日は、完全にティアを中心に回り始めた。
朝、母親と工房で星蜜パンを丸めながら「ティアちゃんは今日も来てくれるかな」と話し合い、昼に弟のミルと宵花の世話をしながら「次はもっと大きな宵花の冠を編んであげよう」と計画を立てる。そして夕方には広場に子どもたちを集め、「ティアお姉ちゃんはね、世界一優しくて強いお友達なんだよ」と何度も話して聞かせた。
ルリアの熱意に応じるように、村人たちの頑なだった反応も少しずつ変わっていった。
ベテラン職人のミロとセラ夫婦は「ティアちゃんが一番喜びそうな特盛りの蜜の量」を夜通し研究するようになり、子どもたちは「ティアお姉ちゃんみたいに綺麗な光を浮かべたい」と、必死に星言の練習を頑張るようになった。母親のミアにいたっては、「あんなに健気で良い子は、魂だけだとしても家族みたいに温かく迎え入れてあげたいね」と涙ぐんでくれたほどだ。
(……ティアちゃん。あなたはもう、この里にとってただの『特別な旅人』なんかじゃないんだよ。みんなの心を照らす希望であり、とっくに大切な、私たちの家族なんだから)
◇
「──ティアちゃん!」 現実の夕暮れ、星屑の道へと歩を進めたルリアは、いつもの場所に佇む漆黒の鎧と金色の魂を見つけ、大きく手を振った。
「ルリアちゃん! 会いたかった!」
現在のティアが、弾んだ声で嬉しそうに駆け寄ってくる。ルリアは愛おしそうに目を細め、彼女の透き通る顔に向かって微笑みかけた。
「ティアちゃん、今日も来てくれてありがとう。里のみんなね、ティアちゃんの話をするだけで、みんなすごく元気になるの。あなたはもう、里の人たちにとって……大好きな、大切な家族みたいな存在なんだよ」
「えへへ……ありがとう、ルリアちゃん」
ティアは本当に嬉しそうに、胸の星綴の飾りに手を当てながら目を細めた。
しかし、無情にも夕陽が地平線へと没し、夜の帳とともに『星屑シフト』が訪れる。
ズズズ……と空間が不気味に歪み、すぐ目の前にあった里の灯りは、無慈悲にいつもの遠い距離へと戻されてしまった。
同時に、ティアの魂がふわりと浮き上がり始める。
「今日も、門の前でダメだったね。でも、ルリアちゃんに会えてすっごく嬉しかった……。明日も、絶対にがんばろー!」
幸せそうな笑顔を残し、彼女の魂は夜空の星々へと溶けるように消え去っていった。カチャン、とノワールの面甲が静かに下りる。
ルリアは遠ざかってしまった道の先をまっすぐに見つめ、優しく灯る里の明かりを背に、静かに、けれど強く呟いた。
「……おやすみ、ティアちゃん。里のみんなで、あなたの帰りをずっと待っているからね」




