31
跳ね橋を渡り城門を潜ると、食糧を確保に来た民衆にあっという間に囲まれた同盟軍。
ここに至るまでに寄った町でも目にしたが、武器は放棄され、積み重なっている。
あちこちで歓声が起き、何もしていないにも拘わらず、英雄扱いだ。
空に映し出された映像には、黒の一団は誰一人として映っていない。
映ったのはフレイザーただ一人。
その意味を理解したフレイザーは、してやられたなと実に嬉しそうだ。
民衆は城内の英雄の顔を知らない。
そこへきて、先程映し出された歴戦の英雄フレイザー・アーリッシュが現れたのだ。
顔を知る唯一の者として、そして、彼が黒の一団を指揮したのだと思った民衆はフレイザーを国を解放した英雄であると考えたのだ。
「…つまりこの後のことは全て丸投げと言うわけか…」
老体になんたる仕打ち、と思わなくもないが、戦争の指揮を執るよりも、復興に尽力する方が何倍も良いと思える。
「ほっほっほっ。しかし今回は私の方が一枚上手であったな」
城内に入り、民衆の目が無くなると漸くシュンのお出ましだ。
が、じっとりとシュンはフレイザーではなくアルファード国の兵士を睨みつけている。
当然不審に思ったアルファード国の将軍は怪訝そうに何事かと問う。
「…何やってんのそこの二人」
僅かに低い、たしなめるような声に、頭から足の先まで鎧を纏った騎士が二人、びくりと肩を揺らした。
アルファード国の将軍もその怪しい慌てっぷりに二人に兜を脱げと命じるが、中々脱ごうとしない。
「全く!こんなところにまで来るなんて!何考えてるの!?」
シュンが一つ指を鳴らせば二人の兜は消え失せ、その素顔が露わとなった。
「!!!アスベル王子!!!」
「あ、あははは…」
将軍も顔面蒼白だ。
それもそうだろう。
そうとは気づかず自国の王子を戦場に連れてきてしまったのだ。
「おい、護衛。学校はどうした?たまには護衛らしく止めて見せろ」
「俺には無理っす。学校にはちゃんとお休み届けを出したッスよ」
確実に面白がっているアスベルの護衛クーに、反省の色はない。
「頼む!リューク将軍!この事は父上には黙っておいてほしい!どうしても、歴戦の英雄、フレイザー・アーリッシュ大公殿の戦いぶりを間近で見たかったのだ!」
「バレたら将軍の首が飛ぶッスよ」
「……何という」
「将軍の前にクーの首が物理的に飛ぶけどね」
「えぇ!?」
「分かっててやってんでしょうが!」
大袈裟に驚いてみせるクーに危機感は全くない。
来てしまったものは仕方がない。
二人は後で魔法で送り届けるとして、一先ず一行を国王等を捕らえている広間へと案内することにした。
フレイザー等が到着するや否や、弁明大会が始まった。
これまでの事を反省する、やり直したい、また以前のような国にする、どうか死罪は、と最早王の威厳は皆無であった。
確かに平和な前世を過ごしていたが、この世界で数多の戦を乗り越えてきたフレイザーはいらないものは容赦なく切り捨てる覚悟も培ってきた。
この王族と貴族は明らかに“いらないもの”である。
「貴殿等の処遇は同盟六ヶ国の協議で決定する。それまで牢で大人しくしていろ」
その目にいつもの好々爺然とした色は無かった。
兵士たちに地下牢へと連れていかれた王族と貴族は最後まで何かを訴えていたが、誰も聞く耳を持たない。
「さて、私達のお仕事は終わったので帰るかな」
「では新たな依頼を」
「え?」
「国の復興の手伝いを頼む」
「…え?」
ぴらりと出された一枚の書類。
ギルドが発行した正真正銘、フレイザー・アーリッシュから黒の一団へ名指しの依頼である。
シグアナ国の新たな王が即位し元に戻るまで無期限の依頼であった。
「ほっほっほっ」
「ちっ!失敗したか!」
後のことは全て丸投げ作戦であったが、今回は先手を打たれてしまっていた。
断る事も出来るがこの国を見てしまった以上、無碍にもできない。
「ちょっとみんなと相談させて」
苦虫を噛み潰した様な表情のシュンに、やってやったぞとご機嫌に笑うフレイザー。
そんな二人のやり取りを、何とも言い難い表情で眺める各国の将軍達。
シュンが仲間の元へと向かったのを見計らい、リューク将軍が声をかける。
「あの者と随分と親しげですな」
「ほっほっほっ。お互い煮え湯を飲み飲まされの関係でな。まだ子供であるが実にキレがいい。仕事もこちらが思った以上の成果を上げてくれる。今回の様にな」
「うむ!シュンは凄いぞ!」
「アスベル王子!」
「シュンは魔法も凄いし接近戦も強い!その場のトラブルも臨機応変に対応し実に頼りなる!」
「王子、未だにシュンに一回も勝ってないっスもんね」
「くっ!それを言うな!」
聞き捨てならない会話が聞こえてきたが、リュークは己の判断で聞かなかったことにし、「そうですか」とだけ返した。
「復興の手伝い?」
早速フレイザーの要らない依頼を説明すると、明らかに全員の表情が曇り、シュンは首を傾げた。
「うん。そうなると暫くは廃城とシグアナ国の往復になると思う。場合によっては廃城にはあまりいられないかもね」
そう付け加えれば、シンからは恨みがましい視線が飛んできた。
なんで?と思っているうちにニノが口を開いた。
「…俺たちに何か手伝える事ある?」
戦闘ともなれば頼り甲斐のある一団であるが、復興となれば話は変わってくる。
田畑や水場、道の舗装。
魔法でチョチョイのチョイであるが、それが国規模となれば時間も魔力もかかる。
魔力のある者でそう言った魔法が使えるのはシュンのみだ。
「多分無いかな。田畑分野になると、この中で分かるの私だけだし。みんなは今まで通り過ごしてよ」
「……」
「……」
「……」
「……」
「……」
「……」
「…………沈黙が重い!何!?どうしたの!?なんで誰も返事しないの!?依頼を受けるの私だけだし、みんなは」
「それが嫌なんです」
「え?」
珍しくエクシャが反論した。
マールもそれを止める気配はない。
「私達は、またお留守番なのですか?」
「…エクシャ」
確かにシュンの様にはできないだろう。
シュンの考えや知識は明らかに逸脱しており、それを推し量るのは一番付き合いの長いシンやレイルでも無理だ。
戦闘や情報収集では十分に役に立てる。
しかし、それ以外は?
それ以外は全てシュン頼りなのだ。
シュンの居ないこの数日間、身に染みて思い知った。
そして何より、彼女のいない生活がちっとも楽しくなかったのだ。
「…そっか…。うん。みんなの話は分かった…」
純粋に嬉しかった。
自分が居ないと寂しいと言われている様で。
ただの都合の良い変換かもしれないけれど…。
「うむうむ、ではレイルとシンには私の田畑分野の魔法を叩き込みます。各地で田畑の復興を行っている間、マールとエクシャは道や水場の整備をお願いしようかな。力仕事だけど大丈夫だよね?グレンとニノはここの兵士たちと荒れた町の整備をお願いね」
「この一瞬での手のひら返しが凄い」
「なぁに、シン?手伝うの?手伝わないの?」
「…手伝う」
「よろしい。ふふふっ」
いつもの空気に戻った気がして、誰かがホッと息を吐いた。
「話は纏まったかな?」
タイミングを見計らってフレイザーが近づいて来た。
その後ろにはアスベルとクーも居り、シンは目を丸くする。
「みんなで受けるよ」
「そうか、それは有り難い。では早速城内の調度品や奴らが持ち出そうとした物を換金し、それを元手に整備に取り掛かろう」
「換金するにも商人を呼ぶのに時間かかるよ?一旦立て替えておこうか?」
「立て替えて?」
フレイザーは首をかしげた。
それは滅多に見られる仕草ではない。
本当に意味が分からずきょとんとしているのだ。
そもそも一国を立て直す資金を立て替えるなど不可能だ。
しかし、シュンが指を鳴らすと現れた巨大な金庫。
中には数年かけて貯め込んだ、国家予算並みの金が押し込まれていた。
「……白昼夢かな?」
「耄碌するにはまだ早い」
使い道無いしパーっといこうー、などと無責任な発言をするシュンの後ろでは、黒の一団以外が石と化していたのは言うまでもない。
「…シン、シュンは実はどこかの国の姫なのか?」
シュンとフレイザーが打ち合わせに入ったのを見計らい、恐る恐る尋ねるアスベルを見ると、その横でクーが噴き出すのを耐えているのが視界に入った。
「あれが姫ならその国はとんでもない事になってるな」
シンに同意するように口元を押さえたクーが何度か頷いた。
「心配するな。真っ当に働いた金だ。なんならギルドの証明書もある。散財する奴が居ないから貯まりに貯まっただけだ」
「そ、そうか」
そんな事は心配していないが、兎に角驚きにいつものおしゃべりが上手くできないアスベルであった。
「ところでクー」
「え?はい?なんスか?」
突然シンに話を振られ、なんとか笑いを耐えたクーはシンを見た。
「なんでここにアスベル王子が居るんだ?」
「おっと」
下手をすれば戦争だ。
そんな場所に王子がいるのは明らかにおかしい。
護衛のお前が一緒にいてなんで止めないんだと、明らかに激オコのシンにクーは返した。
「俺には無理っス」
と。
「止める気がないの間違いだろ?」
じっとりと睨みつけるシンに、苦笑いのクー。
刹那、鋭い殺気がクーを突き刺し咄嗟に剣の柄に手をかけ辺りを注視する。
アスベルが何事かとクーを見ると、クーは殺気の相手等を確認していた。
そう、“等”である。
殺気の正体はマールとエクシャであった。
「えっと?マールとエクシャはなんでそんなに怒ってるのか聞いても?」
「パーティーでシュンを傷つけたな」
「あれだけ注意を促していたのに、あなたが魔法薬を飲むなどどう言う了見でしょうか?」
「えー…今ここでそれ?」
あのパーティーのあと、シュンがクーと戦い倒れたと知った二人は急いで廃城に戻った。
既に傷も魔法で癒されシンが寝かしつけた後で、苦しそうなそぶりもなく安心していた。
そしてその後やってきたのは、クーに対する怒りであった。
あれから会っていなかった為、今度会ったら叩きのめすと誓っていた二人には絶好の機会であった。
「殺すとシュンが悲しむから半殺しで勘弁してやる」
「手足がもげたらごめんなさい」
「全然謝ってないッスよね?寧ろもぐ気満々ッスよね!?」
ジリジリと詰め寄ってくるマールとエクシャに、ジリジリと逃げるクー。
正直勝てない訳ではないが、二人相手は骨が折れるし面倒だからと、相手にしたくはない。
面白がるシン達は、止める様子がない。
「はいはい、何やってんの?」
そんな三人の間に割って入ってきたシュンに動きが止まる。
シュンを傷付けたのが許せないと憤慨するマールとエクシャに、苦笑いのシュン。
怒ってくれることは嬉しいがクーもシュンにとっては友人だ。
口には決してできないが、ある意味なんでも話せる同郷のだ。
「二人とも怒ってくれてありがとう。でも失敗や油断は誰にでもあるんだよ。私も気にしてないし、二人も許して?」
お願い、と小首を傾げればいともあっさりと二人は頷いた。
「ありがとう」
そう言って二人の手を握れば、殺気はホワッとした柔らかい空気に戻った。
「…なにあれ?」
「シュン過激派」
マールとエクシャから離れ、コソコソとシンの後ろに隠れようとするが、クーの方が背丈も幅もあるので全く隠れていない。
「寧ろ過激派しかいなくないッスか?」
「否定はしない」
チラリとクーを見るシン。
「?」
肩幅、胸板、腕回り、脚、全てにおいて逞しい。
魔法は一切使えず、自力で鍛えているのだから当然である。
「どうしたんスか?」
「…別に」
ドカッ!と力を込めた拳をクーの腹に打ち込むがぴくりともしない。
「シン?」
肉体改造の魔法なしで本当に自分の力のみであった。
それがぴくりともしなかったことに、衝撃を受けシンは今度は魔法を込め、もう一度殴りつける。
「ぐぅっ!?な、なんスか!?」
「お前がムカついた」
「ええぇ…」
「何じゃれあってるの?」
じゃれあってない、と反論するシンであるが、はたから見れば仲良しだ。
まぁいいかと、今日のところは何もしていない各国の方々に任せて、帰ることにした。
明日からまた仕事の開始だ。
一先ずシュンはアスベルとクーを送り届けてから廃城に戻る旨を伝え、二人を連れて消えた。
シン等もならばここに用はないと、廃城へと帰っていった。
「魔法陣なしでの移動魔法とは…」
「世界最大国家、リュキッド国の将でも見たことはないだろう?」
「成る程、フレイザー殿が興味を持たれるわけだ。私が口説いてみても?」
「構わんよ。落とせた時は是非コツを伺いたい」
「ふふ、フレイザー殿が手こずる相手ですからね。私も砕けてしまうやもしれません」
そう言いながら、リュキッド国の女将、ミラルダ・キーカスは面白そうに鼻を鳴らした。
「シン、さっきのアレはなんだったんだ?」
「何がだ?」
「クーの事を殴ってただろ?」
「…あぁ」
一部始終を見ていたグレンは、当たり前であるが普段いきなり人を殴る事など無いシンが、比較的仲のいい者を突如理由もなく殴った。
それが気になったのだが、シンは苦虫を噛み潰したように表情を歪めていた。
するとそのすぐ側で「ぶふっ!」と笑いをもらすレイルの声が玄関ホールに響いた。
「レイル?」
話に耳を傾けていた全員がレイルを見る。
更に表情が険しくなったシンの眉間は大変な事になっている。
「くくっ…アレだろ?」
アレとは?と正確な答えを求める一同。
「シュンにもやしって言われたのを気にしてんだろ?」
「うるさい。別に気にしてない」
レイルの回答に一同の視線がシンに集まった。
背は高いが薄っぺらく、ひょろりとしている。
その姿をもやしに被せた瞬間、一斉に吹き出した。
「ぶはっ!もやし!シンくん確かにひょろひょろだもんね!」
「も、もやし…ふ、ふふ」
「シュンも…っ酷な事を言う…な…。くくく」
「ニノ、エクシャ、マール、笑いすぎだ…」
「グレン、お前も顔が完全ににやけてるけどな。全員あとで覚えてろよ」
「ははは、魔法は使いすぎると体力を消費するからな。普段から研究に魔法を使いすぎるお前は、太りにくい体質になってるんだよ。暫く研究は程々にして、飯を食え」
「…」
ムッスリと不貞腐れたシンはドカドカと荒々しい足音を立てながら、自室へと消えていった。
完全に拗ねたな、と顔を見合わせているところに、シュンが帰ってきた。
微妙な顔をしている一同に何かあったのか聞けば、もやしの件だと言う。
それだけでシンがヘソでも曲げたかと直ぐに感づいたシュンは苦笑いであった。
「そうだシュン」
「なに?」
レイルはシュンの頭をポンポンと撫でたあと
「お帰り」
と抱き上げた。
「わっ!っと…ただいま、レイル」
半月程度であったが、何ヶ月もあっていなかったような、そんな感覚に浸っていれば、目を輝かせたエクシャとマールの姿が映った。
シュンを下ろすや否や、すかさずエクシャの抱擁と共に「お帰りなさい!」と言葉が降ってきた。
「た、ただいまっエクシャ」
相変わらずのエクシャの胸元の弾力がシュンを締め付け、苦しいやら嬉しいやらである。
そこから続くマールのハグは、弾力など無いがふわりと優しいものだ。
「お帰り」
「ただいま、マール」
マールから離れると両手を拡げたニノが準備万端で待ち構えていたが、その背後からグレンに後頭部を叩かれていた。
「痛い!え!?そういうやつじゃ無いの!?漏れ無くハグがもらえるやつじゃ無いの!?」
「それは身内限定だろうが。俺たちは居候だぞ。そもそも変態は論外だ」
「ええぇ…」
あからさまにがっくりと肩を落とすニノに、両手を広げて「さぁ来い!」と言うと周囲はギョッとしていたが、ニノは目を輝かせ飛びついてきた。
「うわっ!ちょっ!倒れる!倒れる!!」
勢いがあまって仰け反る形になってしまったが、弾んだ声で「シュンちゃんお帰り!」と言われれば悪い気はしない。
「ただいま、二、二、ニノォ!倒れるから体重かけないでよぉ!!!」
「あっはははっ!」
小さなシュンがニノの体重を支えられるわけもなく、転倒直前にグレンに支えられてなんとか持ち直した。
「何やってんだ、全く」
「いやぁ、押し倒そうかヘブラッ!!」
言い終わらないうちに、ニノはマールとエクシャによりシュンからひっぺがされ、床に転がされた。
「何が?」
「なんですって?」
「あ、いや、冗談ていうか…」
メキメキと竜の腕を現すマールに、魔物召喚の魔法陣を浮かび上がらせるエクシャ。
二人に容赦という文字は無かった…。
「え!?ちょ!待って!待っ…あああぁぁぁ!!」
「本当にバカだな…」
「あはははっ!うん、でも帰ってきたって感じがする」
いつものやり取りに思わず笑みがこぼれるシュンを、遠慮がちに抱擁するグレン。
「こういうやつなんだろ?」
「どうだろう?」
違うのか?と体を離すと今度はシュンから両腕が伸びてきて再び体はくっついた。
「…お帰り」
「ふふ、ただいまグレン」
ポンポンと、自分より遥か下にあるシュンの頭を撫でているとフと、なぜみんながシュンを抱擁するのか何となく分かった。
「…成る程」
「?どうしたの?」
一人納得していると、微かに出た独り言にシュンが反応する。
「いや、なんでもない」
と誤魔化し、体を離すと上を指す。
「それより、シンのご機嫌取り、頼んだぞ」
「あー…はいはい。元は私が悪いんだしね…。行ってくる」
屍と化したニノを横目にシンの部屋を目指すシュン。
それを見送ったあと、ジッと自分を見るレイルに気がついた。
「…何か?」
「…癒されたろ?」
「…あぁ、まぁ…」
散々ニノの事を変態扱いしておいて、シュンとハグして癒されたなど、声を大にして言えるわけがなく、レイルにのみ聞こえる声で返したはずが、ジロリとマールとエクシャもグレンを睨みつけていた。
(そうだった…あの二人は耳がいいんだった…)
お前もこうなりたいのか、と床に突っ伏したニノに視線を向けるマールに勢いよく首を振り
「俺はそいつとは違う」
とあっさり友人を見放すのであった…。
「シーンーくーん」
声をかけて軽いノックをするが返事はない。
そんなことは日常茶飯事なので気にせず部屋へ入れば、広げていた本からジロリと視線が向けられた。
「ただいま」
「…」
「おぉ…怒ってる」
無言で再び本へと視線を移す。
もやしが余程嫌だったと見える。
「ごめんね。私が変な事言ったからみんなにからかわれたね」
一言謝罪すれば、苛立った視線は直ぐに消え失せた。
「…お前は」
「うん?」
本とシュンに視線を行ったり来たりと繰り返して、もごもごと話しづらそうに口籠り、中々次の言葉が出てこない。
焦らずそれをじっと待つ。
「…筋肉があったほうがいいのか?」
「んー…太り過ぎや痩せすぎより、ほどよく付いてた方が健康的だからあった方が良いとは思うよ?私も魔法いっぱい使うから、沢山食べてるし。だからシンよりは肉ついてる」
あまり痩せている時、魔力よりも先に体力が無くなってしまう。
シンに限って無いとは思うが、いざという時に疲れ果てて動けないなど笑えない。
「ただ太れって言ってるわけじゃなくて、そう言う理由もあるんだよ」
「…そうか」
既に読むのをやめていた本を、脇に置くとシュンに手を伸ばす。
意図が読めず、シュンがその手を取った瞬間勢い良く引っ張られその勢いのままシンの膝へと座り込んでしまった。
「…お帰り」
シュンの背に両腕を回し肩に顔を埋め、ぽそりと呟いた声はしっかりと届いた。
「ただいま、シン」
子供をあやす様に頭を撫でると、巻きついた腕の力が少し強くなったのは、気のせいでは無い。
「ところで、その本魔道書じゃ無いよね?」
「…あぁ、レイルがそれを読めと…」
脇にやられた一冊の本。
作者名はMs.ドイル。
タイトルは『愛と運命のはざまに』。
恋愛小説だ。
「あれだけ私が魔道書以外も読めと言っていたのを無視し続けてきたくせに、レイルの言うことは聞いたんだね」
「…いや、これには色々と事情があって」
「ほほぅ?どんな事情かな?」
「それは…」
「それは?」
「……言えない」
「なんで!?」
ここに来て膝に乗っている事が災いした。
近距離であった為、シンはあっさりとシュンに胸ぐらを掴まれ、半端拷問の様に頭を前後に揺さぶられたが、それもすぐにピタリと止まった。
「はっ!恋愛小説という事は、もしや!!」
今度はその瞳をキラキラと輝かせ、グイッとシンの両目を覗き込む。
「もしかして好きな子でもできたの!?」
「!!?」
うっかり表情に出してしまったシンの負けである。
ふいっと視線を逸らすのもまずかった。
シンに思い人が出来たのだと確信したシュンは、聞かずにはいられない。
「誰!?私も知ってる人!?どこで知り合ったの!?」
再び拷問の様に頭を揺さぶられ、吐き気マックスな所に、ノックと共にエクシャが姿を見せた。
シンの膝に乗るシュンを見てギョッとしたが、顔色の悪いシンを見て、甘い空気とは皆無な状態だと瞬時に察した。
「あ、あの…食事はどうされますか?」
扉の隙間から遠慮がちに問えば、シュンの瞳に更なる輝きが宿った。
「もしかしてエクシャ!!?」
待ちに待った推しカプ降臨か!?と満面の笑みを向けるが
「…違う…」
とあっさり否定されてしまった。
「えぇーなんで?じゃぁ誰?あ、エクシャはシンの好きな人知ってる?」
「え!?」
「聞くな。知らないに決まってるだろ」
「ちぇっ」
この話は終わりだと、シュンを引き剥がすと扉へと向かう。
「食事だろ」
「!うん、そうだね。呼びに来てくれてありがとうエクシャ」
「いいえ」
あとで一人一人に聞いて回ろうと決めたシュンであるが、結局シンの思い人の手がかりは見つからなかった。
ただ一人、レイルは何かを知っている様子であったが「俺が話す事じゃ無い」と最後まで口を割ることは無かった。




