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ひとりぼっちの神様へ その3

 翌日。

 その日はすっきりとした空で、久しぶりに外はからっとしている。その中でいつものように琴子は鍋底神社へと向かっている中。


「すみません、神社の巫女さんですか?」

「はい?」


 私服で声をかけられて、思わず振り返る。振り返った先にいたのは、少し顔がくぼんでしまっている小早川だった。手に持っているのは地酒メーカーの箱である。


「お供えに行きたいんですが、よろしいですか?」

「あ、はい……どうぞ」


 緩やかな坂を上りながら、琴子はちらちらと小早川を見た。彼女の子供は手術だと聞いていたが、大丈夫だったんだろうか。琴子は怖々と彼女の頭を見る。彼女の頭から伸びている縁で、乾いて枯れかけていたものがひとつ、まだ大事にしがみついているのが見えた。

 聞いても大丈夫なんだろうか。琴子は聞けずに口をつぐんでいたら、小早川が口を開いた。


「手術なんですが、成功したんですよ。奇跡だと、そう言われました」

「あれ? 今日が手術だったのでは」

「それが、手術の順番が繰り上がりまして、昨晩手術することになったんです」

「まあ……」


 さんざん琴子に脅しをかけていたのに。

 琴子は穏やかな顔に見えてよくわからない敷島のことを思う。

 あの人は本当にただ、人の願いを叶えたいんだ。

 縁を切るという方法でしか叶えられないとはいえど、縁を切ることで叶えられることもある。

 小早川は何度も何度も頭を下げる。


「本当に、ありがとうございます……うちの子が安静にしている間に、お礼参りに伺いました」


 彼女がそうぺこりと下げる。それに琴子はぶんぶんと首を振った。


「お礼は私ではなくて、敷島さ……宮司にお伝えください! 私は、大したことはしていませんから!」

「いいえ、宮司さんにはもちろお伝えします。ただ、巫女さんには感謝しております。私の話を聞いてくれて」


 小早川は何度もぺこぺこと頭を下げた。

 子供の病気にかこつけて、執拗に新興宗教の団体が本を持ってきたこと。話を聞いて欲しくっても不幸自慢みたいで言いづらいこと。六人部屋だったものの、ひとりまたひとりといなくなる部屋が不安で仕方なく、倍率の高い個室にどうにかして移動したこと……。

 話を聞いてあげる。それだけでここまで感謝されると思っておらず、琴子は何度も何度も頭を下げる小早川にどうにか顔を上げさせた。


「私は、ほんっとうに大したことはしてませんから! 宮司に伝えましたら、お子さんのほうにお話に行ってくださいね!」

「はい……はい……」


 その調子でしゃべっていたら、ざっざと竹箒を動かす音が耳に入り、拝殿前の掃除をしている敷島が目に入った。敷島はいつもの穏やかそうに見える顔を上げると、小早川と琴子を目にする。


「おはようございます……おや、あなたは」

「昨日は、本当にありがとうございました……!」


 そう言って頭を下げる小早川に、敷島はきょとんとした顔をしてみせるのに、琴子はくすりと笑った。

 彼女が着替えに行っている間に、小早川は白い大きな包みを大事に受け取って、敷島に再び頭を下げているのが見えた。彼女に渡したのはお供えのお下がり。塩や米が入った袋だろう。彼女が最後に賽銭箱にお金を入れて、パンパンと手を叩いてお礼をしてから、軽やかな足取りで立ち去っていった。

 その姿を見て、琴子は敷島の傍に寄っていった。


「あの……敷島さん。昨日のこと。私、あれからいろいろ考えました」

「なんですか?」

「……敷島さんのこと。布山さんのこと。稲穂さんから全部伺いました」


 その言葉に、敷島はぴくんと眉を跳ねさせるので、琴子は「稲穂さんを怒らないでください!」と慌てて声をかける。

 敷島は「はあ……」と深く息を吐く。


「別に怒ってはいませんよ。ただお節介だと思っただけです」

「それ、怒ってるじゃないですか。で、私も考えたんです。縁じゃなくって、人を見るってどういうことなんだろうって」


 琴子はちらりと敷島の頭を見た。

 彼には相変わらず、がっちりとした縁が鍋底神社と結ばれているのがわかる。でもそれはここにいるとされている神のものであって、敷島本人のものではないとしたら。

 もう一度目を凝らして彼の縁を見ると、か細く、風でも吹けば吹き飛んでしまいそうなほどに儚い糸が何本も伸びているのに気付いた。きっとこれは、彼と氏子のもの。彼と稲穂のものであろう。

 縁はどんなに結ばれていても、育てなければいずれは枯れてしまう。構い過ぎれば腐ってしまう。縁を育てることは、植物を育てることによく似ている。


「……私、敷島さんのやり方に全部は、賛成はできません。あまりにも無理矢理ですから。もちろん、私もあの会社との縁をすぐに切られなかったら、再就職するまでに大分時間がかかったでしょうし、最悪地元に帰らないと駄目でしたが」

「そうですか」

「そこは違いますと言ってくださいよ。でも布山さんのやり方では、敷島さんのお姉様は助かりませんでした」


 そこで眼鏡越しの敷島の目が、すっと細くなることに、琴子は足を踏ん張った。

 彼の冷たい眼差しは、今後何度も受け止めることになるだろう。慣れなければいけないと思ったのだ。

 琴子は言葉を吐き出す。


「敷島さんは縁が切れますが、縁は見られません。私は縁が見えますが、縁は切れません。敷島さんが願いを叶えるための最短距離として縁を切ろうとするんでしたら、私はそれで取りこぼされるものを拾います……私は、そのために呼ばれたんですよね?」


 稲穂は敷島が現人神になった際、人間性を失ってしまったと言っていた。なるほど、彼は口調こそ穏やかなものの、あまりに冷淡になれたり、いろんなことに情を抜いて結論を出してしまうのは、感情論で振り回されないからだろう。

 だが。縁が見える以外はなんのメリットもないはずの琴子を助けた。それは、彼に残されたわずかな人間性のかけら、もしくは布山の真似をして人間のふりをしている彼の演技が、自分が取りこぼすものを拾い集めるものを捕まえようとしたのだったら?

 それはさすがに考えすぎだろうか。

 敷島は、琴子を目を細めてみると、呆れ混じりの声でいなす。


「それは、自意識過剰というものですよ。たしかに、あなたの目は素晴らしい。人を助けることができる目ですが、あなたは縁を気にしすぎるあまりに人を見ていません」


 こんな風にしゃべる彼は、稲穂の話を聞いていなかったら、本当に勘違いしそうになる。彼の今の言動はあくまで演技だということを。でも彼は、琴子と日名子の一件をきっちりと覚えていた。


「そのことで、一度取りこぼしかけましたから反省しています。だからこそ、人の話を最後まで聞くことを覚えようと思います」


 よかれと思ったことが、必ず誰かを救える訳ではない。

 最初は縁切りなんてとんでもないと思っていたが、今の琴子はそんなこと思っていない。

 世の中には、良縁以外にも縁がある。悪縁、腐れ縁、合縁、奇縁……。縁にいいも悪いも存在しない。ただ巡り合わせが悪いと、不幸しか招かないという事実だけが存在するのだ。

 琴子もそんな当たり前なことには、ここの祈祷客と交流したり、稲穂や布山、そして敷島と話をしなかったら気付かなかったし、理解しようとすら思わなかっただろう。

 自分の縁は見えない。人間以外と結びついている縁は、その場に行かなかったらわからない。制限はたくさんある力でも。

 叶えられるものがある。できることがある。

 自分は誰かを助けられる優れた人間だなんて思いはしないけれど、この神社に頼ってくる人に寄り添える巫女には、なれるんじゃないか。


「ですから、私に人の話の聞き方を、これからも教えてください」


 最後に琴子はそう締めくくる。

 敷島は呆れたような顔をして、深く深く溜息をついた。

 これが演技なのか、それともこれは素なのかは、琴子にはよくわからないが。ただ彼は淡々と言ってのけた。


「自分たちにできることはお客様が来られたら、その方々の願いを聞く。頼まれたら祈祷する。その程度のことですよ。くれぐれも、自分は誰かを助けられる。そう思ったりはしないでくださいね」

「あ……はい……!」


 敷島は「掃除をしましょう。いつ参拝客が来られるかわかりませんから」と言うのに、琴子は頷いて掃除道具を取りに行った。


 良縁、悪縁、合縁、奇縁。

 人にはいろんな縁が巡ってくる。

 それについて根を詰めて考えたことなんてなかったけれど、人の世は常にややこしい。そのややこしさを解きほぐす手伝いができるなら、それはきっと素敵なことだろう。


<了>

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