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HAPPY END  作者: 多奈部ラヴィル
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11/18

冒険へ

仕方ないので幸運を祈りつつ、あぜ道をただまっすぐ歩くことしかできなかった。もし空気が冷たく、微風が吹いていて、星空が見えるという条件がそろったなら、その匂いを嗅いで、線路を探し当てたかもしれないが、残念ながら今は春の終わりで、夏の初めらしい。風が多少は吹いているが、生ぬるい。こんな日だったら、線路を探すよりもTシャツを着てショーパンを履き、小さな公園のブランコを揺らしながら、棒付きのアイスを食べた方がよほど楽しいのに、なんて思う。そして今、眠気はないが、少し疲れてきたようで、ワードとそのイメージが浮かんでは消え、何もまとまって考えられない。

アイス

幽霊

井戸

ブランコ

お弁当

シーソー

お祭り

ファッション誌

スズメの文鎮

アメリカの国旗

デニム

ワンピ

プール

長電話

スイレン

入院

ヨーグルト

聖書

浮かんでは消えていく。そのワードに伴うイメージ。そのイメージも最後にはフェードアウトしていくみたいだ。でもここで疲れてしゃがみ込んで朝を迎えるわけにはいかなかった。誰かに見られ、どうしてこんなところにいるのかと尋ねられるのはどうしても避けたかった。答えようがないからだ。答えられないでいるわたしを、妙な目で見られたり、妙にいたわられたりしたら、もっと恥ずかしかった。


 今日も六時半に目が覚めた。朝ごはんと洗面を済ませ、新聞にざっと目を通したら、タロウを散歩に連れていくか。


 そんな幸福な一日の始まりに、わたしの存在は違和を与えてしまう。昨日と一昨日と同じ朝を迎えたっていうのに、とその人が思うのがとても嫌だったし、それを嫌だと思わないタロウを連れた男性だったら、それはそれでもっといやだった。長ネギは一本盗んでしまったものの、悪いことはそうはしていない。けれどわたしの存在に気づかれたくなかったし、気づかれたらネギを捨て、走って逃げ、空気のように身体が透明になることを切実に願うだろう。海でおぼれても楽しそうに浮き輪の中で泳いでいる女の子の、浮き輪をつかんで助かろうとは多分思えないのだ。海中から突然腕が出てきて、楽しく波に任せて浮いている浮き輪の真ん中の少女をどうしても驚かせたくない。それによって助かる確率が高くなるとしても。

 なぜか楽しい気分などもうどこにもない。楽しい思いも考えも浮かばないし、なんのイメージも頭をちらつかせない。時には邪魔なそういう頭をちらつくイメージではあるが、それは健康状態が良好であるか、精神の状態が、極度に悪いかどちらかだ。今のわたしはどちらかでもなく、疲れていて寝ていないそれだけだ。健康状態もベストではないし、精神状態もそんなに悪いわけじゃない。

 私はラッキーな予感がしなかった。ただあぜ道を無口に下を向いて歩いてるだけなせいかもしれないが、楽観的になれない。今年こそロッソとLeeのコラボのデニムワンピを買おうかと無理やり考えてみた。すると少し疲れが取れ、シーバイとか、デザイン性の高い服ってかわいいしい、欲しい白のブラウスもあったけど、家に帰って眠ってみたら、そのデザイン性の高さにちょっと飽きるっていうか、きっと飽きるだろうなとか、avieの服ってかわいいけど、あのワンピースはちょっとモードっぽ過ぎて、好きになれないな。やっぱりボーダーとかダンガリーとか、デニムとかそういう服を着て、ちょっとおしゃれなバッグを持てばそれでいいかな、なんて考えていたら、少し元気になれた。

 多くの女子はそんな風に欲しいものを考えていると元気になれる。それはスニーカーかもしれないし、洋服かもしれないし、化粧品かもしれないし、アクセサリーかもしれないし、パンプスであったりバッグであったりするかもしれない。

 究極をいってしまえば男性は皆光源氏だ。私たち女子はかわいい服を身にまとい、バッグでそう安い女ではないと主張し、軽々と歩けるよう、ヒールではなくスニーカーを履く。光源氏は私たち女子を舌を出しながら選ぶ。

 法則が見つかった。前を向いて歩いていると絶望が見える。それは死に至る病にとても似ている。けれど下を向いて歩くと、脳裏に何かが浮かんで、それらはしばらくとどまったり、一瞬で消えたり、何かわからないような、一瞬の花火のようなイメージが浮かぶここともある。そしてふと気が付くとあぜ道は終わっていた。

 そして天の僥倖と言いたいが、それはとても深い絶望に一見見える。でもそれだけでは判断できない。つまり、あぜ道の行き止まりにかなり高い土手があり、その上に鉄橋がある。よく上を見ると、それは高架の線路で、わたしが線路に沿って歩けばどこかしらの駅に着くという説を、証明してみろと迫ってくるような、そんな高架の線路だった。とりあえず、まずは土手を昇っていかなければならないだろう。

なぜわたしはミュールなど履いているのだろう。それはそうなることがわからないまま外出したからだ。ではなぜミュールを履いているのに、こんな場所にいるのだろう。そんなことは自分でもわかりはしない。そして突然、パンが食べたいなと思った。確か神戸屋というパン屋があったと昔知っていた気がして、そしてその店で一番安い食パンが、一斤二百十 円で、外側がデニッシュのようになっていてとてもおいしいのだ。何らかの理由で外出してしまったが、その家の近くに神戸屋があったのだろうか。それともそれは子供の頃の記憶で、日曜の朝、神戸屋でパンを買ってきてと、母に頼まれたのかもしれない。そして今、そのパンが猛烈に食べたいと思うのだ。空腹を感じるわけではないが、今そのパンをマーガリンをたっぷり塗って食べることができたなら、この山にも見えるような高い土手を、さて、っていう風に昇り始める勢いがつくと思うのだ。そう、スイッチだ。

土手を再度見上げる。電車も走っていない鉄橋には特に照明を必要とされないらしい。月明かりの土手は、草が密集し、その草はとても長い。光沢のある長い草だ。なにかを始めるとき、その手前でものすごく臆病になり、恐怖を感じるということを知った。

 そういえばわたしにしてはずいぶん長く、タバコを吸っていないことに気が付いた。きっとこのバッグにはタバコとライターが入っているだろう。煙草の銘柄はきっとセブンスターだ。わたしはバッグを開けようとして、不愉快な気持ちになった。そのバッグは私に親切じゃなかったのだ。暗い中様々いじってみて、なんだ、このスナップを開ければいいんだ、と気が付いたときも不愉快さは消えなかった。そのバッグはわたしに親切じゃなく、サービスもないからだ。そしてバッグを開けるとパンパンにつまったバッグの中にセブンスターとライターはやはりあった。ライターは一〇〇円のもので、透明な緑色だった。おそらくコンビニで買ったのだろう。でも私は一瞬で選ぶそのライターに、必ず無意識のチョイスが含まれていると感じる。任意のつもりでも、きっと何かの意味がある。どうして私は緑色を買ったのだろう。そこにあった無意識の意味はなんだったんだろう。

 タバコは窮屈なバッグの中でつぶされていた。わたしは煙草に火をつけて、ゆっくりと煙を吐いた。そしてまたゆっくりとタバコの煙を吸い込み、またゆっくりと吐き出す。わたしは何本タバコを吸ってもいいと思った。ゆっくりと吸い、ゆっくりと吐き出すという行為。それにはきっと何らかの意味を持つ。

 私は助走をつけながら待っていた。同じ地点で助走ばかりを繰り返せば体力は消耗し、もしかしたらモチベーションが下がっていくかもしれない。けれどわたしはそのタイミングをまだか、まだかと待っていた。そしてそのタイミングが訪れた。タバコを三本吸い終わり、ミュールで踏みつぶした時だ。タバコをゆっくりと吸っていた時に思ったことだ。局面局面で計画を立てること。丁寧にゆっくりとその計画に従い、計画を変えるべき時にはその判断をし、その局面の計画を立てること。そう決めたとき、その時にタバコを踏みつけたのだ。

 わたしはまず土手の草を片手に一束つかんだ。そして片足を土手にかけた。やはりミュールでは滑ってしまうっていうことがわかった。わたしは履いていたミュールもストッキングも脱いだ。それを片手で持ちながら、背伸びをして土手の草を両手でつかんだ。そしてミュールもストッキングも履いていない足で、土手に両足をかける。今度はうまくいった。ミュールとストッキングを脱いだのは正解だった。そうして右左順番に、手を伸ばし、昇っていく。この局面において、わたしは成功している。そう思いながらだいぶ上の方まで行ったとき、脚を滑らせ、そのまま勢いよく下まで滑り落ちてしまった。そしてまた同じことを繰り返し、その局面まで来た時に、その局面においては成功しているけれど、本来の成功は土手の頂上に立つことだ、と改めて自分に言い聞かせる。そして今、さっきとは違う局面にいると感じる。そうだ、この局面の作戦を練らなければならない。かなり上の方まで登ってわたしは足を滑らせた。そうならない方法は? 今度はくさびを打つように、つま先を草や土に突き立てるように刺し、滑らないよう昇っていけばいい。特に最後の土手の上にあがるときには気をつけなければならない。

 そしてその作戦通り、昇っていき、頂上に着きそうになった時、今度は手が土手の上から滑り、またそのまま勢いをつけて、一番下まで落ちていった。そしてまた考える。また違う局面に来た。次はどんな作戦を立てよう。さっきは一番上に到達できそうだったが、両手のひらで土手の上を押さえても身体を支えることはできないと知った。では土手の一番上まで来た時、上半身を何とか土手の上に肘と両腕の力を振り絞ってあげて、そしてそのまま上半身を倒せば、何とかなるかもしれない。そう、さっきとは違う作戦をわたしは練っている。それは違う局面だからだ。

 わたしは慎重に土手を昇っていく。右手で草をつかむと右足をその幅と同じく、上に昇り、つま先を地面に直角にさすようにする。次は左だ。とても丁寧に、正確に。いい感じだ。うまく一番上まで来れた。さっきはここで失敗した。今回は失敗などしない。土手の上に何とか両肘をつく、軽く足を離し、両腕のみで身体を支え持ち上げる。そして上半身が上まで来た時、身体を半分に折った。つまり上半身を土手の上に投げ出すような格好だ。しばらくそうして息を整える。成功の予感に興奮が止まららない。あがっている息は、それは土手を必死で上ったせいもあるが、興奮に脈拍が早くなっているせいもある。現在の視界はとても狭い。土手のうえ、草と土。それしか見えない。クローバーらしきものもある。土手に昇って四葉のクローバーを見つけられたら、幸先もいいなとは思うが、照明らしきものもない、この漆黒の世界で、クローバーの中から四葉を探すのは苦労するだろう。

 そして息を整えると、上半身だけで匍匐前進をし、下半身も土手の上にあがった。しばらく成功の余韻に浸る。そのままじっとしていたかった。案の定、四葉なんて見つかりそうにない。そして一人でゲラゲラ笑った。うれしいことがあったり、欲しいものを手に入れるとわたしは笑い上戸になるのかもしれない。それとも一般的に言えることなのだろうか。笑いながら立ち上がり、風をそのまま受ける。土手の上は土手の下より、かなり風が強かった。つるつるしたワンピースの生地が身体のフォルムに沿って張り付く。そしてそこで見たものは、ただの黒だった。

 遠くを見ようとするとまるで加速をつけるように、その黒は更に濃い黒になる。足元はようやく見えるっていう感じだ。

 あまりの黒さに心がくじけそうになる。朝までここにしゃがみ、朝日が出たら四葉のクローバーを探す。それでいいじゃないか、そう思ったのだ。そしてそれはリアルに、それでも確かにいいはずだと納得するように改めて思う。けれどわたしの中の生理がそうさせない。わたしの生理はわたしを急かし、早く早くと促している。どうすればいいのかと、生理に従うべきなのだろうかとしばらく考えていたら、そのわたしの生理は、朝になり始発が動き出したら、やっと土手を昇ったというのに、鉄橋を渡れなくなってしまうぞと言っているのだと気が付いた。そしてそれを、その通りだ、と思い、私は土手の上から、さらにその上の鉄橋を昇ろうと思った。けれど始発までにはまだ、時間があるだろうとタバコを吸おうと思った。そしてその始発であるとか時間であるとかそういう、心の内の言葉を私はウソだと知っている。さて、ここで一服とタバコを吸いたくなるのは、本当かも知れないが、時間ならあるのだ。始発はまだ先だ。鉄橋の向こう岸はここから見えない。ただの暗闇だ。川の音が聞こえる。轟々と鳴っている。川の幅もとても大きそうだ。でもここからだと、大きな谷に、風がたまって音をたててうごめいているようにも見える。とても深い谷。落ちたら絶対に助からない。絶対に助からない? そんな所にわたしは立っているのか。助からないかもしれないなんて思うような状況に、わたしが立っているのがただ不思議だった。なにか納得しかねるような、そんな気分になる。何かしっくりこない。なにか釈然としない。

わたしの中の生理が何を言いたいのかは少しはわかっている。早く戻ろうよ。早く元いたところに帰ろうよ。きっとあなたが話しかければ、きっと答えてくれる人がいる、そんな場所に帰ろうよ。懐かしいあの場所に帰ろうよ。

 けれどわたしには戻るべき場所がわからないし、わたしが話しかけるときっと答えてくれる誰かを想像できないし、それ故懐かしいなんていう感情も湧かない。思い出せるのはついさっきまでと、神戸屋の食パンだけだ。ただ今思っていることは、恐怖が身体のすべてを満たしたとしても、この鉄橋を渡るしかすることはないのだ。そういうことだ。

 幸い土手から鉄橋まで高い梯子のようなものがついていた。案外楽に鉄橋までは上ることができた。そして鉄橋の上に昇り、ものすごい恐怖を感じた。もちろん、あっち側が見えないような鉄橋の距離も怖かった。そして落ちたら助からないという気持ちを新たに味わったってことも怖かった。ここからどのくらい距離があるのか今はわからないその轟々と音をたてる川も怖かった。けれど何より怖かったのは、鉄橋っていのはレールがあって、その間に隙間があるっていうことだ。けれど何ものもわたしに

「やめとけよ」

とは言わないで

「怖くても大丈夫だ。進めるだけのスペースはあるじゃないか。そのまま進むんだ」

と言うものはいる。

 そしてわたしはセブンスターに火をつけた。わたしは何かに直面した時、緊張をほぐそうとタバコを吸う。タバコを吸わないで生きていられる人を羨ましいと思う。もちろん惰性で吸い続けるようなときもある。ドトールの喫煙所で本を読んでいるときなどがそうだ。そしてタバコを必ず吸うのは、電話をしている時だ。それは惰性なのか、電話というツールがわたしに緊張を強いてくるのかわからない。

 多分私のDNAがついているタバコを捨て、そう、ミュールを履いていなかったから、タバコを踏みつぶすことができなかったのだ。そして深呼吸をする。タバコは吸った。バッグはショルダーだが、斜め掛けにして、ミュールとストッキングは左手に持っている。はじめよう。

 風が強かったから、立って歩くのは少し危険なような気がした。わたしは腹這いになり、匍匐前進を始めた。聞こえてくる音は轟々という川の唸り声と、轟々という風がたまって出口が見えないとでもいうような音だった。怖い。とても怖い。けれどその一方でその「怖い」という感情は、ニセモノじゃないかという気もするのだ。誰かの模倣のような気もする。けれどわたしは模倣を否定しない。人は案外簡単に「オリジナル」と言いやすいが、模倣だとしたって、出来上がったそれはオリジナルだ。どうしてかというと意識も無意識も違う人の模倣をしたら、意識と無意識が違う誰かの模倣はそれはオリジナルになるはずだ。なんにせよ、模倣から始めればいい。そう、今のわたしだって模倣をしているに違いないのだ。誰かの恐怖を模倣してわたしのオリジナルの恐怖を感じている。鉄橋にあいたスペースをなるべく見ないようにしている。つまりただ目の前の一〇センチ程度の先しか見ない。少しだけ進んだこの距離を怯えて元に戻るのが嫌だったからだ。けれどもう十分に、わたしは恐怖で縮こまり、身体が固くなって節々が痛い。

 鉄橋を渡るっていうのはわたし自身初めての経験だし、多くの人たちが、それを経験しないで人生をやり過ごしていくのだろう。だからなのか鉄橋や大きな川に対する恐怖は本物なのに、その鉄橋や川の大きさは一方でとても現実的でわたしが立っている場所なのに、どうしてか嘘くささがあった。非現実的で、わたしが何をしているのか、何をしようといしているのかよくわからなくなる。けれどここでタバコを吸いたくはない。鉄橋の間を垣間見るとそこに見えるのは深くて大きな川で、それは谷にも見えて、行き場のない風たちがやるせないと音をたてていて、そこにあるのはただの絶望だ。せめて向こう岸が見えたらなと思う。そこにあるのはきっと、今のわたしが持っていない、「未来」とか「希望」とか「健康的な光」とか、「ホッとするということ」、「懐かしい」。そういうものが待っているはずなのだ。

 川に架かる鉄橋の何分の一を進んだんだろう。そうは進んでいないだろう。けれど五分の一は進んだんだろうか。それとも一〇分の一程度だろうか。

 わたしの底からこみあげてきて全身を隅々まで満たすような、この恐怖は、多分デジャヴだ。そして誰かの真似をしている。考えるということよりも、感じることが多すぎる。川に架かる鉄橋、深い大きな川、鉄橋にある空間、向こう岸の予感、強い風。行き場がないともだえている強い風。

 それらを感じずに済むまま、あっちに着きたい。何かを考えよう。なにかを。このものすごくリアルなのに、ものすごく非現実的なこの状況を、怖いと感じるのはなにか既視感を感じる。その大元はなんなんだろう。ずっと考えて前方一〇センチだけを見つめてゆっくり匍匐前進を止めない。どのくらい進んだのだだろうか。怖いが前方を見る。何も見えにない。ただの黒だ。そしてその黒は見る人を必ず不安にさせるように、ざわざわと揺れているような気がする。なにか黒いものが揺れ続けている。今のわたしにはそれが見えないし、わからない。恐怖の既視感はどこから来るのだろうか。思春期だろうか? それとそれとももっと大人になってからのことなのだろうか? それとも幼児期にすりこまれたのだろうか? 母の胎内にいるときに知ったのだろうか? 分かった。それは前世だ。

 

父方のおばあちゃんは一人で山形に住んでいたけれど今のわたしにとってその像はリアルではない。庭には池と、何流なのか知らないが、赤い欄干などもあって、一応立派な庭と言えば言えた。そして裏にはハスが咲いていて、ブドウ畑があった。ブドウ畑はただ単に放置されているだけのもので、一つ食べてみたらあまりの酸っぱさと刺激にびっくりした。風景に透明感があるのに、そのせいか妙に白けている。庭の池にはただ一匹の大きく育った金魚しかいなくて、正月やお盆に集まるわたしたちいとこ連中の格好の遊び相手になっていた。遊ぶと言ってもただ単に順番に網を持ち、金魚を捕まえ、そしてリリースする。それだけの遊びだった。池にはアメンボが浮いていて、金魚を捕まえるのは簡単なのに、アメンボを捕まえるのは多分いとこ連中の誰も成功したことがなかったと思う。

 夕食は大人用のお酒なども置いてあるテーブルと、子供たち用のテーブルが別々に置かれ、わたしたちは食事をしながら、たまに中座し、アイドルの物まねや振付、ダンスなどを披露して遊んでいた。食事も遊びの一つだったし、おばあちゃんが来て、

「怖い話をしてやろうか」

と言ったのも遊びの中のものだと思っていた。

「幽霊の話して!」

とわたしと同じ年のユリが言った。

「幽霊の話じゃないんだよ。もっと怖い話なんだ」

聞かせて聞かせてと座は盛り上がる。皆箸も止め、アイドルの物まねやダンスも止めて、おばあちゃんの周りに集まった。


 おばあちゃんがな、若い時、学生だった時分だよ、みんなでミカン狩りに行ったんだ。今だって貧乏だけれどね、その時はおばあちゃんはもっと貧乏だったんだ。学校の遠足でな、ミカン狩りに行ったんだ。おばあちゃんは一番上で、兄弟は他に五人いた。昔ってのはそういうものだったんだよ。ミカンをな、兄弟たちにたらふく食べさせたい、そう思ったんだ。だから秋なのに妙に暑い日だったけれど、夢中で大きいミカンばかりを狙って、背中にしょった、かごの中に次々にミカンを入れていった。おばあちゃんはね、もう夢中だった。お前たちもおばあちゃんが、何も聞こえないみたいにして縫物をしているところをみたことがあるだろう? おばあちゃんにはそういうところがあったんだ。それは、目の前にある何かを他のことなんてどうでもいいみたいに、熱中するっていうね。

 そしてね、おばあちゃんは他のお友達よりも誰よりもたくさんのミカンをとった。それを背中にそれほど重いと感じなかったんだ。そしたら汗が一気に噴き出した。おばあちゃんはね、赤いアーチ状の橋の欄干に腰掛けて手拭いを出して汗を拭いていた。隣にお友達も座っていた。わたしたち二人は、言葉を交わすこともなく座っていた。お友達は汗を拭くというより、手拭いで赤くなった顔を、あおいでいた。随分そばかすが多い子だった。普段それほど仲良くしている友達っていうわけでもなかった。遅れたセミの声しか聞こえなかった。するとな、ステテコに下着を着て、首に手拭いを巻き、麦わら帽子をかぶったおじさんが現れたんだ。おばあちゃんとそばかすの多い友達は、別になんということもなく、変わらぬ動作を続けていた。おじさんは鍬を担いでいて、わたしたちを見ると瞬時に、「死ぬぞ!」

と言ったんだ。その意味がその時、わたしにもそばかすの多い友達にも分からなかった。さらにステテコのおじさんは言う。

「降りろ!」

わたしたちは妙な気分になりながら、欄干を降りてその下を流れる川を見た。とても流れが速く、大きな岩がごつごつとあって、欄干から川は遠かった。つまりおじさんが言いたかったのは、そんなミカンが満載の、かごを背負って欄干に腰掛けていたら、落ちて死んでしまうぞ。そういうことだった。

でもな、おばあちゃんが怖いと思ったのは、もちろん川も怖かったけれど、そのステテコのおじさんだった。そのおじさんはなぜか怖かった。そしてな、今も思い出すんだ。あの隣に座っていた友達。今どうしているだろうと。そばかすは消えたのだろうかと。孫はいるのだろうかと。

いとこたちは口ぐちにステテコのおじさんより、川の方がこわーい、などと思い思いに行って、レモンティーを飲んだり、数の子を食べ始めたけれど、わたしは本当に、おばあちゃんの言うステテコのおじさんが怖かった。


 人はそう言う風に感情を学んでいくのではないだろうか。既視感やデジャヴ、模倣も当たり前のことかもしれない。その感情は過去に学んだものであっても、今確かにこの状況にいる、先が見えない鉄橋と、鉄橋の隙間、大きくそこが分からない轟々と音をたてる川。これらを怖いと思う。それは怖さを知っていたからだ。おばあちゃんの話を聞いたときに、怖いと感じたのだから、そのもっと前に怖さをわたしは知っていたはずだ。

 その話は、おばあちゃんが死んでからも何回か思い出したと思う。けれどその怖さの意味と感情はすり切れていない。今思い出してみてもまた怖いという感情が湧くし、意味もわかる。じゃあ、わたしはいつその「怖い」という感情を知ったのだろうか?

 わたしは鉄橋の上で震えるしかなかった。けれど一〇センチだけ先を見て前へ進む。匍匐前進で進む。震えながらでも進む。半分くらいまでは進んだのだろうか。けれど顔を上げ前方を見、絶望を味わうのは別のタイミングでだと思う。今じゃない。おばあちゃんの話を思い出して怖さに怖さがミルフィーユのように、重なって重なり続けている今じゃない。

 そしてわたしは考える。わたしはどこかでミスを犯したのだろうか?長ネギ畑から出てあぜ道を歩き、線路を探したら、線路があった。ミスは犯していない。間違ってはいない。ただ不運だったのだ。幸運にもそこには線路があったが、スタンドバイミーっていう気分で歩ける呑気な線路ではなく、それが高架で、その上、大きく暗く深い川を渡らなければならなかったからだ。

 きっと半分くらいは進んだ。確信ではないが、そう思って、わたしはミュールの片方 を川に落とし、耳を澄ませた。他に音など風と川の唸る音くらいで、それは更に静寂を際立たせるのに、なんの音も聞こえなかった。

 時間の感覚は今一歩つかめないが、一〇分くらいは匍匐前進を続けた。途中で邪魔になって、もう片方のミュールも、脱いだストッキングも川に捨てた。そしてまた何の音もしなかった。勇気を出して前方を見た。黒い塊にしか見えなかったものが、今、さっきの土手のような背の高い草が密集している場所が見える。わたしは心底ほっとした。まだ暗いが光が射したような気がした。とりあえずそこに着けばわたしが得たいとずっと思っていて、それなのに得られなかったものが、そこにはあるのだと思った。わたしは立ち上がった。めまいがした。そしてまたしゃがみ匍匐前進に戻った。そして恐怖感は少しだけ薄らぎ、匍匐前進のスピードが最初よりだいぶ早くなった。

 そして土手に差しかかり、わたしは高架から降りた。行きと同じように、やはり梯子のようなものがあったが、その下の草は刈り取られた跡もなかった。

 そしてやっとたどり着いてみたけれどそこには「未来」も「希望」もなく、あったのは私固有の喫煙所だった。身体がかちこちに固まっていた。まるで冷凍庫から出したばかりの鮭のようだった。

 わたし固有の喫煙所で体育座りをしながらタバコを吸う。夜のアスファルトは暖かいのに、真夜中の土手っていうのは冷たかった。けれど空気がそう冷たいわけでもなく、タバコを二本吸う間に、だいぶわたしは溶けていった。いっそ溶けるままに泥になってしまえたら、と一瞬思った。

 それからは高架の線路に沿った道を歩いていくつもりだった。大きな恐怖を乗り越えることができた今、なにか自信のようなものがあった。けれどその自信はすぐに打ち砕かれた。高架に沿って、家々やビル、マンションなどが建っていて、高架に沿って歩くのが困難なのだ。


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