逃亡劇の始まり
放った踵落としは女が一歩下がって回避される。そんなことは折り合い済み。こんな雑な攻撃が避けられるのは当たり前だからな。むしろ避けられなかったら拍子抜けだぜ。
「誰? 一日中付けまわしてたみたいだけど」
「驚いた。気付かれるつもりは無かったんだけど」
対峙した女の第一印象は鉄仮面ってところだな。ミリアさんも無表情なタイプだが雰囲気が違う。
ミリアさんの無表情はただただ不器用な人のそれだ。あの人は感情と表情の回路がギクシャクしているせいで上手く表情が作れないだけで、感情は割とハッキリしている。
それに対して、目の前の女は感情が読めない無表情だ。無機質、何を考えているのかが本当にわからない。分からせない。そのために管理された無表情。
冷酷さとか残忍さまで伺える、ってところかな。
濃紺の髪と灰紫色の目が更にそれを引き立てている。路地裏の暗がりに怪しく光る灰紫色。そして、そこから零れる黒鉄の輝き。
コイツは恐らく……。
「魔眼……!!」
「よく知ってる。一般人じゃないね?」
「そんなことも知らないのに私達を追いかけ回していたんですか?」
魔眼。主に視覚を通して発動するスキルの総称だ。種類は様々で見ただけで発火する能力。遠くを見る能力。見ただけで物の価値が分かったりとか本当に色々だ。
共通する特徴はスキル発動中は暗闇で目が光ること。その色とか光り方も千差万別だが、この女の黒鉄色の輝きは典型的な魔眼の特徴だった。
「貴女が何者かは後で知れば良い。異端者のことなんて尚更、ね」
「あなた、まさか……」
「ご明察。『天律聖教』・異端審問庁所属。イリス・クロウベル。貴女を異端者として捕らえます」
イリス・クロウベルと名乗った女がどこの誰なのかを悟った瞬間、俺達の周囲をジャラジャラと音を立てて鎖とそれに繋がれた楔のような突起物に囲まれる。
そして間髪入れずにその楔の先端がこちらを向き、俺達に向けて放たれた。
「出力20%……っ!!」
流石にこの状況で四の五の言っていられない。俺は『ディバインシフター』を発動。出力こそは制限するが、女神の力を行使することでこの状況に対応する。
何せ、片手にはカイを抱えたままだ。無茶をしなきゃここを切り抜けることは無理だ。
「『ディバインシフト・アテナ』!!」
右手に現れた剣の柄を握り、向かって来た楔を弾く。続いて鎖も襲い掛かって来るけど、それはまともに相手にせず、剣の腹をこちらから押し当てて受け流してから、関係のない方向へと押し飛ばした。
その間に一気に距離を取る。この手のタイプは拘束を主軸に戦う。まともに射程圏内で戦っていたらやられたい放題だぜ。
「神秘の力が増した。やっぱり異端なスキルだね」
「勝手に決めつけないでくれます? 特にあなた方に不都合なことはしていないはずですけど」
「それを決めるのは貴女じゃない。そして私でも」
抱えているカイを背中に背負い直して、エスメラルダの時みたいにベルトでギュッと縛る。作っておいて良かったぜワンタッチ式の背負いベルト。
流石は俺だな、なんて内心でふざけながらもう一度飛んできた楔を弾く。
異端審問庁。アストレア王国の国教『天律聖教』の中にある異教排除部門で主な仕事は大陸の外からやって来た他国や他宗教の宣教師なんかの排除だ。
政治と宗教ってのはいつの時代も仲良しこよし。アストレア王国と『天律聖教』はまさに蜜月の仲ってヤツだ。
アストレア王国に政治に『天律聖教』は必須で、『天律聖教』の存続にアストレア王国は無くてはならない。
つまるところ、他の大陸から持ち込まれる宗教や考え方は少なければ少ないほど良い。多少の文化はともかくとして、宗教そのものを持ち込まれるとアストレア王国にとっても『天律聖教』にとっても都合が悪いわけだ。
だから、排除する。乱暴なやり方だが、セントラリア大陸全土を手中に収め、統治するアストレア王国にとっては必要な措置ってワケだ。
そもそもわざわざよその大陸から自分達の宗教を持ち込んで来る時点で、そういう連中は色々と腹黒いことを考えているって相場が決まっているからな。
実際に来た宣教師は100%善意でやって来ても、その背後にいる連中がどう考えているかで全てが変わる。
目の前にいるイリス・クロウベルという女はその異端審問庁に所属している。そして彼女が持つ魔眼が、俺の『ディバインシフター』を『天律聖教』とは別の神の気配を察知した、ってところか。




