第十三話:みんな大好きお風呂回
ああ、本当に脱いじゃってるよ。僕。
僕は扉一枚を隔てた向こう側に、お風呂に入っている女の子がいるにもかかわらず、無神経にも服を脱いでいる自分の行動にものすごい違和感を覚えて思わず力なく笑ってしまった。
そして鏡を確認。うん、気持ちいいくらいに素っ裸だ。
扉の前に立って一つ大きく深呼吸。
「愛奈さーん? 今からそっち行きますけど、後ろを向いてもらってていいですか?」
「なぜだ」
「いいですから、とにかくあっち向いててくださいっ!」
「……よくわからんが、そうしよう」
よし、とりあえずはこれでいいだろう。僕は意を決して浴室に足を踏み入れた。
「失礼しまーす……」
薄い湯気の向こうには僕に背を向けてお風呂に入っている愛奈さんの姿があった。どこかの国の国立美術館にでも展示されていそうな美しい体のラインに思わず目を奪われる。しかし、そのなめらかな曲線とは裏腹に、肌のところどころに見られる青緑色のアザや切り傷は、愛奈さんの行ってきた戦闘の凄まじさを如実に物語っていた。
「傷、しみないんですか?」
「今は怪我の痛みよりも風呂に入っているという安らぎの方が勝っているのでな」
「そういうものですか」
言いながら僕は片足を湯船に入れる。
「ふいー……今日も疲れたなー」
そして体すべてがお湯に浸かった時には、大量のお湯が浴槽から溢れだしてしまった。まあ一つの浴槽に二人が無理矢理はいっているのだから仕方のないことだろう。
狭い浴槽で、二人の男女が背中を合わせてお風呂に入っている光景は、言うまでもなく異様だった。僕たちは何を喋るわけでもなく、ただ揺れる水面を眺める。
「……酷いものだった」
十分ほど経ったところで、ようやく愛奈さんが口を開いた。
「向こうの世界のこと……ですか?」
「ああ」
「そんなの、愛奈さんを見ればわかりますよ」
「私も酷い有り様だな」
「はい、普通の人だったらお風呂になんて入っている場合じゃありません」
「ふっ、そうか」
愛奈さんは小さく吹き出す。それと同時に浴槽の水面も小さく揺れた。
「完敗だった。全てにおいて」
そして愛奈さんは、悔しさの滲んだ口調で続けた。
「ジェレミ・イェーガー率いる魔王の精鋭部隊がその日も私たちを攻めてきた。私たちは今日こそはと思い奴らに応戦したのだが、今回のジェレミは違った。本気で私たちを潰しにかかってきたのだ。
そんな奴らに私たちは情けなく狼狽え、私の貧弱な指揮のせいで部隊は散り散りに。そして多くの部下の命を失ってしまった。私は部隊の統率を忘れ無残に敗走し、命からがらこの世界へ逃げ込んできたというわけだ」
「……」
「どうだ、呆れてものも言えないだろう。世界の平和をとほざいていた人間がこのざまだ」
「そんなこと……」
僕は事の真相を知り、言葉が出なくなってしまった。僕には愛奈さんに言葉をかける資格がない。何を言ってもそれは上辺だけの言葉になるような気がして。
「……もう、疲れてしまったんだ」
「え?」
「なあ佑樹、私を本格的に雇ってみる気はないか? この世界に永住した私を雇えば、皆の仕事の量も軽くなると思うのだが」
「ちょっと、永住ってどういうことですか!」
「ならばいっそのこと、今からでもあの物置を破壊して、向こうの世界との行き来できる手段をなくそう。そうだ、それがいいな」
「愛奈さんってば!」
僕は慌ててお風呂から出ようとする愛奈さんの腕を掴んだ。浴室の湯気は一層濃くなる。
「話が見えてきませんよ! ちゃんと説明してください!」
「ちゃんとって、だから言っているだろう! 私はこの世界に永住するんだ!」
「どうしてですか!」
「どうしてって……!」
愛奈さんは怒りのこもった眼差しで僕を睨み付ける。その目には涙が浮かんでいた。
「……そのままじゃ風邪ひいちゃいますから、とりあえずまたお風呂に入ってください」
愛奈さんは僕に言われて渋々お風呂に戻った。
「もう私では、あの世界の平和を背負うことはできない……もう、無理なんだ……」
弱々しく語る愛奈さんの背中は、いつになく小さく感じられた。
「お前の生きる世界は、いつだって暖かい光に満ちていて……ここに来ると私はいつも思うのだ。ああ、私はまだ生きていると」
その時、回転寿司の帰り道で愛奈さんの言った言葉が僕に重くのしかかった。この人の生きる世界は、僕たちの生きる世界とはレベルが違う。明日にでも住む場所をおびやかされるような脅威なんていないし、未来に対して希望がないわけでもない。高校を卒業したら大学生になって、適当に授業に出て単位だけは落とさないようにして、就活が始まるまでは遊べるだけ遊ぶ。そのあとは……まだよくわからないけれど。そんな誰にでも平等に与えられている明日、未来が向こうの世界の人たちには存在しないのだ。愛奈さんの言っていたように、常にみんなが生きることに必死で、いつ魔王の支配に下るのかと震えていて……。
もし僕が愛奈さんの世界に生まれていて世界の平和を取り戻すべく、魔王撃破を任される勇者になっていたら……無理に決まっている。敵前逃亡一直線だ。それどころか、奴隷として一生こき使われるエキストラ辺りになっていることだろう。
僕はもう一度愛奈さんの背中を見る。この傷だらけの、弱く薄く、小さな背中に世界の命運が懸かっている。それは齢幾ばくかの少女にはあまりにも重く、大きく、とうてい背負いきれるものではない。
「なあ、佑樹。私を助けてくれ」
少女の背中は小刻みに震え、水滴の落ちる音が浴室に響く。
愛奈さんは苦しんでいる。世界平和という責任に押しつぶされて、体も心もとうに限界だ。そんな愛奈さんを見ているのは嫌だ。またいつもみたく凛とした愛奈さんに戻ってほしい。愛奈さんを楽にしてあげられることは簡単だ。ただ、それでは向こうの世界の人たちはどうなる?
「愛奈さんは――」
僕は愛奈さんに尋ねる。それが不正解だったとしても、聞いておかなければならないことがあると思ったから。
「愛奈さんは、どうして騎士――勇者になろうと思ったんですか」




