第十二話:騎士の帰還 その二
艶やかな黒髪は、手入れをすることもままならなかったのか酷くくすみ、
なめらかな純白の鎧は、ところどころにヒビが見え、光沢をなくし、
彼女の半身とも言うべき自慢の剣はなまくらと化し、現在は体を支えるための杖となり果ててしまっていた。
女騎士鳴沢愛奈は、その面影を完全に失っていた。
「愛奈さん……一体何が……大丈夫ですか!?」
「……すまなかったな。長いこと無断で休んでしまって。素直に詫びよう」
焦点の定まっていない双眸で、愛奈さんはぽつりと呟く。
「そんなことはどうでもいいです! 怪我は平気なんですか!?」
「ああ、どうということはない」
強がりを言っているようにしか聞こえなかった。
「そんなことより――」
愛奈さんは今にも倒れこんでしまいそうな、おぼつかない足取りでお店の裏口を目指す。
「風呂に入れてはくれないだろうか。ここ数日、ゆっくり湯あみをすることさえできなかったものでな」
「え、ええ。それは構わないですけど……」
そんな体で何を悠長な、と僕は怒りたくなってしまったが、今の愛奈さんを見ていると何も言うことができなかった。
「今からお湯を張ってくるんで、ちょっと待っててください」
愛奈さんはゆっくり頷くと椅子に座り、そのまま動かなくなってしまった。
僕は急いで家に戻り、お風呂の準備をする。
蛇口から浴槽に向かって勢いよく流れ出るお湯を眺めながら僕は考えていた。
やっと、久しぶりに愛奈さんに会えたと思ったのに。その愛奈さんは思わず目をそむけたくなるような痛々しい姿で僕の前に現れた。あまりにも残酷なこの再会は、一体何の神様のいたずらだろう。誰にも屈することがなく、常に強く、凛と構えていたあの女騎士が惨めに敗走する姿など、誰が予想できるものか。
なんとかしてあげたい。なんとかして、愛奈さんをあんな風にした奴をこてんぱんにしてやりたい。でも、僕にそんな力があるわけがない。結局は傷ついた愛奈さんを可哀想に、一体誰がこんなことを、と同情して、指をくわえてただ見ていることしかできないのだ。そんな自分の無力さを痛感せざるを得なかった。
「…………あ、溢れちゃった」
気が付けばお湯は浴槽から溢れてしまっていて、僕は慌てて蛇口を閉める。裸足にジワリとお湯の感覚が広がっていく。
「なにやってんだろ。僕は」
そうして僕が小さく溜息をついた時だった。
「……もういいか?」
後ろから声が聞こえた。
さっきまでお店で動かなくなっていたはずの愛奈さんが、いつの間にかお風呂の様子を覗きに来ていた。相当お風呂に入りたいのだろう。
「ああすいません、お湯が溢れちゃっ――」
僕は慌てて愛奈さんの方に目を向けると。
「……はい?」
愛奈さんは入浴の準備が万端、オールグリーンだった。要するに、すっ裸だったのだ。
「ちょっ!? 愛奈さん!? 服を着てください服を!」
僕は咄嗟に愛奈さんから目を背けて絶叫する。
「おかしなことを言うな。それとも何か、この世界の人間は服を着たまま風呂に入る習慣でもあるというのか」
「ま、まあそれはないですけど……!」
「なら問題なかろう……少し疲れている。早く湯に浸からせてくれ」
「あ……ああ、すいません」
なんだか僕が悪いことをしているみたいじゃないか。
「そ、それでは愛奈さん、ごゆっくりどうぞ」
機関銃のように高鳴る鼓動を抑えて僕はなるべく、なるべく愛奈さんの方を見ないようにして浴室を出ていこうとした。
「……なあ」
そんな時、ふと愛奈さんに呼び止められた。
「な、ななななんでしょうか!」
思わず振り向いてしまいそうになった体を、すんでのところで踏みとどまらせた僕を褒めてほしい。
「佑樹も入るか? 風呂に」
そしてこの満身創痍の女騎士は、すごく突拍子もないことを言ってきた。
「お風呂ですね? はい、丁重にお断りします」
僕は努めて冷静に対処する。年頃の男女が一緒にお風呂? 心のどこかで願ったり叶ったりと思っている自分がいるけど、これが色々とマズいんじゃないかということくらいは僕にだってわかる。
「じゃあ僕は居間にいますからね」
「待ってくれ……お前と、話がしたいんだ」
「はあ……話ですか? そんなこと、お風呂を出てからでいいじゃないですか」
「……だめか?」
この時、愛奈さんがどんな表情をしていたのか僕にはわからなかったけど、その声は冗談を言っているようには聞こえず、鬼気迫るものがあった。
「ああもう……ちょっと待ってくださいね? 考えさせてください……」
どう考えてもここは断るのが正解だ。もしその場を母さんか父さんにでも見られたら、赤飯おにぎりどころの騒ぎではなくなってしまう。あの二人のことだから、挙式の段取りでも取るんじゃないかと本気で不安になってくる。
そうなのに、それなのに。
なぜだか、ここで愛奈さんのお願いを拒んだら全てが終わってしまうような気がして、僕は迷いに迷った末、入浴を決意した。東間佑樹、一世一代の大勝負が今、幕を開ける。




