第8話
少女が大声で泣いている間、イアンはずっと少女の背中をさすり、少女もイアンに体を預けていた。少女の泣き声は次第に、すんすんと鼻を鳴らすまで落ち着いてきた。見計らってリヒャルトが声をかける。
「まずは風呂だな」
ぐっしょり濡れたイアンと比べて、少女はさほど濡れてはいなかった。しかしイアンが気になっていたのは、おそらく長い期間放置されていたのだろう、少女にこびりついた臭いと汚れだった。
「上の風呂の準備をしてくれ」
「はいはい」
よっこらせと気だるく立ち上がったリヒャルトは、階段を上がっていく。
「立てるか?」
イアンは少女の脇を抱えて立ち上がらせる。一瞬足が宙に浮いたことに驚き「わっ」と軽い声がでる。
――やっぱりひどく軽い。
健康的な子供とは言えない肉のついていない体にイアンは改めて、彼女の背後にあった恐らく想像したくない劣悪な環境にじくりと心が痛んだ。
「そこに座って待っていて」
少女は指さされたスツールに腰をかける。イアンは濡れて重くなったTシャツを脱ぎ、シャワー室で硬く絞る。ズボンの裾を巻き上げてから、階段を昇っていく。少女は置いて行かれると思ったのか、イアンの後をついてきた。
「お湯、入れ始めたからな」
リヒャルトはきあくびをしながらそう言った。イアンたちの傍らを通り過ぎて階段を降りた。
「飯、先に食ってて」
そう投げかけたら、手をはらはらと振りながらそのまま降りていった。
イアンは二階にあがり自室に入った。引き出しを開けて、まずシャツを着てから、できる限り大きいシャツを引っ張り出す。
「ちょっとおいで」
入り口で中の様子を伺っていた少女は言われた通りに近づいてくる。体にあてて大きさを確認する。何枚か試してみて、一番大きな寝間着で少女の太ももが隠れたものを手渡した。
「今日はこれで我慢してくれ。落ち着いたら仕立て屋に行こう」
少女はこくりと頷く。働かない表情筋のせいで、ぼんやりとしてた少女の頬に少し赤みがさした。
着替えと大小の二枚のタオルを持って階下へ降り湯気が立ち込めた風呂場へと行った。少しぬるめの湯がはってあるのを確認する。風呂場にある石鹸や泡立てるためのスポンジなどを指さして確認させる。
「脱いだ服は、そこのかごに入れて……さて、一人で入れるか」
少女は頷いた。
「なんかあったら呼んでくれ」少女は小首をかしげた。何を言おうか悩んでいるのか口をもごもごと動かしている。
「……なんて呼んだらいい?」
「あー……そういえば名前言ってなかったな。イアンだ」
「イアン……イアン……」イアンの言葉をまねるように繰り返す。
「おまえさんはの名前は」
「……リル」
「リルな。よろしくな、リル」
初めて呼ぶ名前はまだしっくりと来ない。しかしこれから一日のうち何度も呼び合う名前だ。
「さて、と。俺は外で待ってるから、ゆっくり浸かっておいで」
イアンは大きいタオルを渡してから脱水所を出て扉を閉める。小さいタオルで濡れた頭を掻き乾かしながら階段を下りていく。朝食を食べているリヒャルトがいると思ったが、手をつけておらず、買ってきたままテーブルに置かれていた。
「リヒャルト?」
奥まったところに、ガラス張りの壁で出来た一角がある場所にリヒャルトは立ちつくしていた。リヒャルトは物置部屋だと自称している。
「どうかしたのか」
「片づけなくちゃな、と」
恐らく奥から適当に置いたであろう――リヒャルトにとっては必要で、イアンにとっては一見してガラクタが乱雑に積み上げられている。一向に片づけられる様子がなく、かといって何年も触った形跡がない。何度かイアンから掃除がしようかと申し出たが、「いつかする」とのらりくらり躱され続けて、結局一度も触れることもなく今日に至る。そんなリヒャルトが自ら片づけを申し出るもんだから、イアンはあんぐりと口を開けた。
「急にどうしたんだ。片づけるなんてらしくもない」
「らしくはなくても必要だからな」
「どれが?」
「この部屋だよ」
リヒャルトは入り口に設置してあるパネルに手を翳すと、ガラス壁の一部が少し浮かび上がってスライドし入り口を創った。イアンは見たことのない技術に目を白黒させていた。
「これっていわゆる、クライスの超古代技術ってやつか」
「ほんの一部だけどな」
クライスは何千年も前の超古代文明時に建設された巨大な建物だと言われている。中心の大柱が海から突き出すように立ち、それを囲むように十字の方向に柱が四本立っている。その柱を通って大きく円を描いた土地があり、上へと繋ぐ道を上るとまた円状の土地、更に上に円状の土地へと続く。上空からみると三重の円になって見える。そのため円状の土地と呼ばれている――とイアンは昔世話になった人から教わった。
何故建てられたのか、何のための建築物なのか、その全容は未だ明かされていない。わかっていることと言えば、二百年ほど前にとある人物によって発掘され、多くの科学者がこぞって研究に勤しんだ。今でもクライスの一番上の円状で暮らす研究者たちによって日夜研究が続けられている――という話だが、イアンにはあまりにも縁のない話でそれほど興味がそそられなかった。
時折、当時の技術のようなものが発掘されることはある。噂で耳にしても実際に目にすることは珍しい。特にゲフィングニスではゼロに近いだろう。イアンも例に漏れなかった。いざ目の前にすると胸が高鳴った。
「しかしおまえさん、なぜこんなものを持っているんだ」
「それは……」
リヒャルトが何かを言いかけると、遠くからイアンを呼ぶ声がする。
「あの子が呼んでいるんじゃないのか」
「ああ、行ってくるよ」
イアンはリヒャルトの言いかけた言葉を流して階段を駆け上がった。




