第7話
「怒りを抑える?この現象は怒りで力を発動するのか?」
「正確には違う。この子がどのような感情を持っていても発動する。見るからにまだ力制御が出来ていない。出来ていないから、こんな風に感情のままに力を暴走させてこの空間を水で満たしてしまっているんだ」
「つまり感情の制御が出来れば、力を抑えることが出来る、と」
「……絶対ではないが、最低限必要となる。今のままではいつどこでこの状態になるかわからない。外で生きていく限り、どこでも感情を爆発させてちゃ、これ以上の被害は免れないだろうな」
「これ以上の被害?」
「このシャワー室が一生使えないだけじゃ済まないってことさ」
冗談を言っている場合かと苦言を呈する代わりにイアンは片眉をあげる。廃工場では一室をこのように水で満たしていた。中にいた奴等は少女が生み出した水で窒息したことにより息絶えたのは見て明らかだった。リヒャルトが少女をみて迷わずシャワー室に閉じ込めたのは、水が満ちる範囲を抑えるためだったのか。もし、家の中で力が暴発したら、この家が同じように水で満ちた可能性もあったのだろうか。イアンは身震いした。
――もし外に居たら市街地が沈む?
イアンの想像し得る仮説だと考えるにも恐ろしい被害者がでるのは間違いない。リヒャルトの言う人類が滅びるとはそういうことなのだろうか。
「それでもこの子が力の制御が出来るようになれば、生きていけるんだよな」
「さっきも言ったが、それが最低限だ」
「俺がその最低限を覚えさせる。それが叶わないときは……この手で片をつけると約束する」
「馬鹿言うな。これがどういうものか解っていないおまえに、何が出来るっていうんだ」
「解らないさ!」語気の強さにイアン自身も驚いた。一呼吸おいてきわめて冷静に努めた。「それでも友人の大切な子供だ。そうでなくても、こんな子供に、生きるか死ぬかの選択をさせる方が間違っているだろう」
リヒャルトはイアンの必死の訴えに息をのんだ。眉間にしわを寄せて目を伏せたかと思うと、両手で髪の毛を掻きむしった後顔を覆ってから、ひとつ大きくため息をついた。
「|生かすにしても、殺すにしても《どちらにしても》、まずは意思疎通が出来てからの話だな」
イアンはこくりと頷き、少女の方へ振りかえる。
「なあ、一度出てきてくれないか。話をしよう」
少女は答えずに怒りに満ちた双眸で睨みつけた。イアンは少女から目を離さなかった。それは遠い記憶の見たことがある眼差しだった。怒りと誰も信じることができない怯えている、かつての孤独だった自分だ。
「出てこないなら、こっちから行くぞ」
イアンが取っ手に手をかけると、リヒャルトが慌てて力強く手を取り止めた。
「離してくれ」
「正気か?」
「出てこないなら、こちらから行くまでだ」
「これがただの水だと思っているのか?どんなに水練が得意でも、あっという間に溺れ死ぬぞ」
リヒャルトに突き付けられた恐怖に体が震える。傭兵である限り、いつかは死ぬんだと覚悟はある。銃撃の中をかいくぐったときも、手投げ爆弾が塹壕の中に投げ入れられたときも、そうしてきた。しかし今はいつもの恐怖とは違っている。目の前にいるのは小さな女の子が一人いるだけなはずなのに、まるで処刑台にたたされるような絶対的な死がまとわりついている気がした。
「それでも今行かなかなけりゃ、信じてもらえない」
手を払いのけて扉を開けた。大きく息を吸い込んでから、揺らめく水面に指先から入っていく。おかしい。一回目にはなかった感覚があった。特に冷たいというわけではなく、同じような水だというのに、真冬の海に飛び込んだ時のような刺すような痛みがあった。扉を閉めると「おい!」と制止するリヒャルトの声が耳には届いたが構わず閉め切って鍵をかけた。
目角をたてていた少女は、躊躇なく入ってきたイアンに動揺し視線がさまよっていた。
――さてここからどうしたものか。息が続く時間は少ない。水中に入ったからには言葉をかけることも出来ない。
「外に出てよ」
暫しの視線を交わす時間が過ぎると、先に口火をきったのは少女の方だった。少女は動揺から声が震えている。イアンは首を小さく頭を振った。少女の小さな手をとって外にでようと促してみたが、動こうとはしない。だからといってイアンは無理やり引っ張らずにただじっと待った。
「どうして、どうしてそんなことするの?このままじゃ死んじゃうんだよ。あ、あそこで見たでしょう?あれは私がやったんだよ。私が、あいつらを、ママを……」
上擦った声で訴える少女に、イアンは片手を放して彼女の頭を後頭部に向かって撫でた。たとえどんなことがあったとしても、これからどんなことがあろうとも、味方でいると伝えたかった。
少女は声をあげて泣いた。目から止めどなく溢れる涙は彼女が生み出した水に交じり溶ける。力強く握り返す少女の手にイアンはようやく眉を開いた。シャワー室に満ちた水は徐々に排水溝へ流れていく。すべての水が流れて行っても少女の涙はやむことをなかった。イアンは静かに少女の深い嘆きごと抱きしめた。




