第6話
リヒャルトにいったん落ち着いてから話し合おうと言い、イアンはダスティンの家へと向かった。腹が減って考えもまとまらない。
――存在することが幸せにならない
リヒャルトの言葉をが耳に残っている。
(まさか殺す気なんだろうか)
自分のような傭兵ならともかく、一般人のリヒャルトが人に手をかけるのは流石にできないだろう。嫌な予感を振り払うように頭を振って速足でダスティンの家へと向かった。
ダスティンの家――妻のジャニーネの店はイアンとリヒャルトが住む層より何段階か上にある。多くの飲食店がひしめき合い、その中でもうまい魚料理が食べられる店だと人気の店だ。カウンター席が五つだけ並んでいる小さな店には、今の時間は少し早い朝食頃、仕事に向かう前の労働者が、いつものように押しかけていた。外にまで雪崩れて数人が店の前で体を丸め、各々新聞を読んだり一服したりして自分の番が来るのを待っている。イアンはその列の最後についた。
「いらっしゃい!ああ、イアン。待っていたよ」
間もなくして自分の番が回ってくるときには、イアンの後ろにはまた何人か並んでいた。丸いおなかを抱えたジャニーネは調理しながらこちらに笑顔を向けた。
「やあ、ジャニーネ」
「あれ、一人かい?リヒャルトはどうしたんだい。あともう一人いるって、この人から聞いてたんだけれど」
大きな声で話しながらも手際よく注文された料理をさらに盛り付け、カウンターで待っている客に「おまちどうさん」と食事を提供していた。
「それがちょっと色々あって……悪いんだけれど持ち帰りたいんだ。なんでもいいから包んでくれるか」
「そうかい。あんた、やってやりな」
ダスティンは頷いてカウンター下から紙の箱を取り出した。イアンは席には座らず店の奥まで進んで端っこで立って待った。ジャニーネは次の客を呼び込んで、どんどん客を捌いている。イアンはジャニーネの大きくなっていた腹に目をやった。今にもはちきれんばかりに膨らんでいる。
「おまちど」
ダスティンは三人分の料理を袋に入れて手渡した。ズボンに突っ込んだ財布を取り出して言われた金額と交換する。
「すぐにでも生まれそうだな。まだ仕事していて大丈夫か?」
「おとなしく休んでいろと言っても聞かねえもんで」
「それもそうか」
てきぱきと動き、何よりも楽しそうに働いているジャニーネ。もうすぐ母になるその顔には苦悩さはみじんも感じられない。
「あんた!喋ってないで仕事にもどっておくれよ。手が足らないんだよ。イアンも早く帰って飯食わしてやんなさいな」
フライパンを動かしながら大きな声で呼んだ。叱咤されたダスティンは「はいはい」とカウンター内の調理場へ戻っていく。
「ちょっと」
出来上がった料理をまた別の客に提供したジャニーネがイアンを引き留める。
「この人から聞いてるよ。困ったことがあればいつでも来るんだよ」
「ども。また頼むよ」
軽く会釈をして店をでた。
おそらくやせ細った少女を連れて帰ってきたと聞いて心配しているのだ。子供を持ったことのないイアンだが、ダスティンやジャニーネだって同じだ。しかしまだ戸惑っているイアンに比べて肝が据わった言い分に心ばかり安堵が宿った。
望まれて生まれてくるあの二人の子供はきっと幸福なのだろう。反面、あの少女はどうなのだろうか。
(いや、あの子だって望まれた子だ)
少なくともヴィンセントは愛おしそうに写真を見ていた。何故あのような廃工場にいたのか、妙な力を持っているのか、あそこで一体何があったのか、わからないことばかりだ。きっとヴィンセントは愛する家族を取り戻すために『最後の仕事』を引き受けたに違いない。
リヒャルトが何を考えているのか今はわからないが、助けた以上殺すわけにも、殺させるわけにもいかない。イアンは足早に家へと帰った。
家を出たときにはまだ少女の叫ぶ声が地下のシャワー室からわずかに漏れ出ていたが、今は静まり返っている。食事を持って地下へ潜ると、リヒャルトはシャワー室の前で胡坐を組んで背中でドアを塞いでいる。顔はふせているが、見るからに憔悴していた。
「出してやれないのか」
袋を差し出すと顔をあげて受け取る。
「駄目だな。特に今のままじゃ」
肩越しに後ろを指さした。イアンはシャワー室を覗くと少女は叫びこそやめたようだが、全身で怒りをあらわにしている。イアンと目が合うと、双眸が大きく見開かれた。
「嘘つき!」
そう怒鳴ると同時に少女の周囲には水滴がぽつぽつと生まれ落ち、一粒が千にも万にもあっという間に増え続け、濁流のごとくあふれ出した。あっという間にシャワー室が水で満たされる。少女の体は水中に浮いていた。広さは違えど、廃工場で見た光景が再び現れたことにイアンは息をのんだ。あの時と違うことと言えば、明らかな憎悪をこちらに向けている。
驚き呆然と立ち尽くしているイアンと違って、リヒャルトは落ち着きを払って冷静に眼前の情景を見据えている。
「これだから出せないんだよ」
「これはどういうことか、おまえさんは分かっているのか」
リヒャルトは答える代わりに短く息をつく。
「人類にとって救いになるとも滅びにもなる、としか今は言えない」
「どういうことだ。それではわからない」
「だから言えないんだって」
「そうも言ってられないだろう。この子はどうなる。まさか本当に……」
――殺すというのか。と少女の前で続けるのはできず、喉元で声が詰まった。
「今はまだ俺もどう判断すればいいのかわからない。良からぬ誰かに目をつけられたら、一生こき使われるぞ。それがこの子供のためになると思うのか」
必死に訴えるリヒャルトの言葉が全く理解ができず、イアンは狼狽える。
「落ち着けよ。一体どういうことだ。わけが、わからない」
「わかってもらっては困る。むしろ、何も聞かなかったことにして欲しいくらいだ。くそっ……」
喉を引きつらせ言葉にならない感情を吐露する。爆発しそうな激情を必死に抑えるように頭を抱えて体を丸くした。
「おまえさんがどうしてそれほど困惑しているのか解らないが、あそこから連れて帰った責任が俺にはある。生かす道を選び続けたいんだ。これからどうすればいい」
頭を抱えながら横目でイアンを見た。暫く考えた後に、体を起こして未だ怒りが収まらない同じく激情にかられた少女を見据えた。
「……まずはこの怒りをどう抑えるか考えなければな」




