第5話
いくつかの船に紛れて、朝の漁に出かけた帰りと見せるには十分な魚と共にクライスへと帰還した。ダスティンの船は弧を描いた壁から突き出たように作られた狭い岸壁に着岸する。他の船もそれぞれ着岸するためまばらに離れていった。
ダスティンは船をつなぐロープを抱えて係船柱に繋いだ。
「魚下ろすんで待っていてくだせえ」
ダスティンはそう言って箱に詰めた魚を運び出す。イアンは少女に待つように言い聞かせて彼を手伝った。箱の数は多くなかったので、岸壁とおなじように階段状に突き出た石段を登り、二往復するだけで終った。
「ありがとうごぜえやす。助かりやした」
「家まで運ぶぞ?」
「いや。ここいらで十分です」
ダスティンは太い指をいじりながら階段下に留めた船を見た。
「あの少女、ここに連れてきてよかったんですかい?」
「うん?それが目的だしな」
イアンは船を出してもらう理由を話してはいなかった。そのせいでダスティンはここまで気になっていたことを聞けずにいたが、ついに我慢できずに尋ねた。
「あの子をどうするんですかい?」
「どうするって、そりゃあ」
「う、売り飛ばすんじゃねぇっすよね!?」
ダスティンは身を乗り出して鼻息を荒くした。イアンは彼の形相に思わず体をのけぞらせたが、あまりの必死さがおかしくなり噴き出した。
「俺がそんなことするように見えるのか?」
「そ、そんなことねえっすけど……」
「冗談だよ。友人の子供だ。悪いようにはしないさ」
「それならよかったっす」
具体的にどうするかは訊ねようとはしなかった。それだけ自分を信じてくれているのだと思うとイアンは目を細めた。
「それじゃぁ俺はこのまま家に戻るっす。また後で飯食いに来てくだせぇ。あいつと待ってるっす」
ダスティンは二箱持ち上げて去っていった。イアンはひとつ大きくため息をつき階段を下りて少女のところへ戻った。
「待たせたな」
少女は待つように言われてから、頭から大きなタオルをかぶったまま、言われたとおりに船内でじっと座って待っていた。
「ひとまず俺の家に帰る。ゆっくり療養してから、おまえの行く場所べき場所に連れていく。いいな」
少女はこくりと頷き立ち上がった。船を下りるときには手を貸して、先に階段を上らせた。おぼつかない足取りだったが、細い足で一歩一歩ゆっくりと上った。
階段を上がり切ると、残っていた箱はすべて運び出されていた。
「ここは?」
イアンには見慣れた町並みだが少女は目を上へ下へと動かしている。
クライスの一部である、市街地ゲフィングニスは縦に長い街である。電飾に彩られた街並みは常に夜のように薄暗い。上に行くほど地位が上がり、下に行くほど治安の悪い貧民窟へと繋がる、この土地自体がヒエラルキーを表している。
「迷子になるなよ」
イアンは少女の手を引いて先へと進んだ。多くの屋台が並び多くの人で賑わっていた。少女はずっと周囲をきょろきょろと物珍しそうに見渡している。イアンは早く帰りたくて少女の手を引っ張って、人の隙間を縫うように歩いた。
屋台を抜け上へと続く大階段を横目に路地へと入っていった。細い階段をいくつかくだると、薄暗さがより際立つとともに、ネオンのあかりが濃くなる。
ところどころ崩れた瓦礫と共に石レンガの家が建ち並んでいた。労働者が行き交う中には、少女以上にやせ細った人が道の端っこでボロボロの布を纏って物乞いをしている。少女は横目で見ながらイアンに着いて歩いた。
突き当りまで歩くと、道すがら建っていた家と同じように石レンガの家があった。飾り気のないアルミ製のドアがとってつけられただけの殺風景な家だ。イアンはインターホンを押すとジリリと鳴った。
「あいつまた地下に籠ってるな」
何度か鳴らすが誰も出てこない。イアンはその場でしゃがんでドアの近くにある石壁の一部からレンガをひとつ押し込むと、そのレンガが飛び出した。イアンは引き抜いて手を突っ込み鍵を取り出す。レンガを元の位置に戻してから立ち上がった。
差し込みガチャガチャと音を立てながら鍵を回した。
「おい、リヒャルト?いないのか?」
ドアをくぐると広い打ちっぱなしのコンクリート床に荷物が散乱していた。玄関先には靴箱らしき棚、奥に小さなキッチンが備え付けられ小さなテーブルと椅子が二脚、簡易の家電を隅っこに固めて設置している。あとは古びたソファーとそれほど詰まっていない本棚が置いてあるだけだ。背の低い少女にはやけにだだっ広く感じられた。
イアンは玄関のすぐそばにある、地下と上階を繋ぐらせん階段を下った。
階段の先には、こちらもコンクリート床が広がっており、おそらく同じくらいの広さのように見えたが一階と違って狭く感じた。一際目立つのがたくさんのモニターである。本棚には多くの本や何かしらの資料が押し込んであるが、足りないのか床にも積んでいた。
少女は途中で足がすくんだ。そこには昨日までいたあの廃工場の研究所を思わせる部屋だったからである。
モニターの前にリクライニング機能が備わった、大きな椅子がある。だらりと足も背もたれを伸ばし、無精ひげを生やした男性がアイマスクをして横たわっていた。
「リヒャルト!」
イアンはアイマスクを外すと、リヒャルトはびくっと体を震わせて起き上がった。
「なんだ、帰ってたのか」気だるげに言ってリクライニングを起こし体を伸ばす。「いつ帰ってきてたんだよ」
「ついさっきだよ。しばらくあの子を此処に置いてから連れて行こうと思うんだが……」
イアンがらせん階段の途中で座り込んでいる少女を指さして言うと、リヒャルトは夢から覚めたばかりのかすんだ目で指先を追った。するとみるみるうちにリヒャルトは顔色が変わって、即座に立ち上がり少女の傍に行く。じろじろと頭や目をのぞき込むリヒャルトに少女は声を上げることも出来ず怯え縮こまった。
(この髪と目……まずい)
リヒャルトは少女の腕をつかんだ。少女は悲鳴をあげたのと同時にイアンが反応した。
「おい何するんだ!?」
イアンの制止を振り切って、リヒャルトは少女を簡易のシャワー室に押し込みドアを閉めた。中から「やだ!開けて!」とドアをこじ開けようとするが、リヒャルトはドアを抑えて立ちふさがった。ドンドンとドアを叩きながら少女は懇願した。
「やめろ!なんでこんなことするんだ」
「おまえこそあれが何なのかわかっているのか!?」
「何なのかって、ただの子ど……もだ……」
そこまで言って言いよどんだのは、未だ鮮明に残る景色が脳裏に張り付いているからだ。だからといって乱暴なふるまいは、我慢できるものではなかった。
「まだ子供だぞ」極力冷静を装って言うが声が上ずっていた。
「子供だろうが、なんだろうが関係ない。わかってくれとは言わない。しかしあの子は駄目だ。存在することが幸せにはならない」
「リヒャルト!」
傍で少女が聞いていると思うと自然と声が大きくなった。さすがのリヒャルトもばつが悪そうに険しい顔をしている。
「なんでこんなことに……」
リヒャルトは両手で頭を抱えてうずくまった。あまりの狼狽ぶりにイアンも立ち尽くすしかなかった。




