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クライス  作者: 桝克人
第二章

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第61話 信用ならん男

 ディートヘルムは戦慄かせていた手で拳を作り、ついに腕を振り上げてテーブルへと落とす。大きな音が部屋中にびりびりと震わせた。軽くテーブルが宙を浮いたように見えたのは気のせいだろうかとリルは身震いする。


 「やはりあの男、信用ならん」


 苦虫を噛みつぶしたような顔で、奥歯をぎりぎりと軋ませた。


「……父のこと、えっと、聞いてもいいですか?」


 ディートヘルムは低く「あ?」と唸ったのでリル思わず身を引きそうになるが、ぐっと堪えて自分よりも巨躯を見据えた。


「ユッタは何も教えなかったのか」


 リルは軽く記憶を掘り返そうとしてみてすぐにやめた。あの頃の記憶は振り返ると、体の真ん中がしんと冷たくなり酷く動揺してしまうからだ。それだけでなく、思い出すにも思い出せないところが多い。視界がぼんやりと霞んでいたり、人の顔はインクを零したように真っ黒に塗りつぶされている。


「あまり話はしてくれなくて」


 誤魔化そうと咄嗟に思いついたことを口にした。


「そうか」


 ディートヘルムは息をつき、太く逞しい腕を組んで、大きな傷のある鋭い目でリルをじっと見つめた。その視線は髪を頭のてっぺんから下へ、口、鼻と小さく揺れ動き、そして目を合わせる。


「あの子にも似ているが、瞳だけはあの男によく似ておる。意志の強いエメラルドの瞳だった。十六、いやもう十七年も前のことだ。それほど覚えてはおらんが、あやつの目だけは今でも焼き付いているわ」


 あの男――ヴィンセント・ツィックラーは、戦場に似つかわしくない腰の低い和らげに微笑みを称えている男だったとディートヘルムは話始める。


 ディートヘルムの傭兵団は今でこそ大陸に名を轟かせるほどに規模が大きくなっているが、二十年以上前、父から引き継いだ頃は弱小傭兵団だった。大陸には有象無象に傭兵団が存在する。傭兵団なんて名ばかりの盗賊団や強盗団のような輩も多く存在しはびこっていた。


 ディートヘルムの祖父が打ち立てた傭兵団は、祖父の代も父の代も細々と暮らしていけるほどの比較的規模の小さい傭兵団であった。祖父や父曰く、自身の目が届き、抱えられる者が暮らしていければいい。それが彼らの信条であった。普段の仕事といえば不届きな輩から身を守るために民衆に雇われるような小さな仕事ばかりだ。必要とあれば余所の戦争に加わることもあった。


 祖父の代は『力なき者のために』が信条で、父の代はその色がより濃かった。隣り合わせになれ戦争をする。そんな小競り合いが大陸のあちらこちらで頻発していた。父はそんな争いを馬鹿馬鹿しく思い、戦争を仕掛けることは好まなかった。それ以前に自団だけでは防衛が精一杯で、仕掛けるには事足りず、余所から傭兵を雇う必要があったので無駄金だといなした。


 しかしディートヘルムにはそれが我慢ならなかった。小競り合いを続けたところで、奪い奪われることが繰り返されるだけの世の中に辟易していたのである。生み出すことをやめてしまえば、今後大陸全体がより大きく衰退する懸念を抱いていた。しかし自団だけが小競り合いから離れたところで、この大陸のあり方が変わるわけではない。関わらなければいいという父の考え方にディートヘルムは承服しかねた。


 ディートヘルムは争いを避けるには、自団を強固にし、領地を広げ自身の力で守っていくことが必要だと考えた。力のある者が力のない者を守る。力のない者でもそれぞれの特技を生かして仕事にする。それが結果的に大陸を豊かにすると父や傭兵団の仲間に訴えた。弱小傭兵団で打ち立てられた大きな目標は、父には夢物語だと一蹴され、周囲の人間も、ディートヘルムは図体と同じだけでかい夢を語る未熟な若者だと嗤った。


 ——疾うに滅んだ国家でも作る気か。


 過去の遺物だと誰もが嗤笑したが、ディートヘルムは決して怯むことはなかった。理想を胸に抱き、何十年かかろうが、たとえ自身が死ぬまでに叶わないとしても、生きている間に領地を広げ、強固にし、誰も攻められない自身の国を作ってみせると誓った。


 争いをなくすために、争うのだと。


 それからのディートヘルムは馬鹿な争いに身を投じた。ただしそれは奪うためではなく、自身の理想のために多くの傭兵団を力でねじ伏せて従わせていく。その名前は徐々に悪名として広まっていき、ディートヘルムを見れば恐れ慄き降伏する者、もしくはその巨躯を倒し、自身の名前に変えようとする血がたぎる者が増えた。常にディートヘルムは前線に立ちそれらを真っ正面から受けた。己の力を振るい続けた。


 しかし歩みは決して早くはない。祖父らのいう手が届く範囲よりはずっと広がったとはいえ、傭兵団や盗賊団を制圧しても大陸の制圧にはあまりにも遅い歩みだった。当然のことだとわかっていても、こんなことで本当に理想を形にすることができるのかと、どうしても焦れた。結婚し、子供もでき、その子供が大きく育っている。それだけディートヘルムもまた年を重ねていた。決意した年若い自分の胸のうちにある輝きは徐々に衰えを見せているように思えていたのである。


 そんな中とある戦場で巨躯を生かして大剣を振るっていた。それなりに力を持った勢力との大きな戦いだった。自身の傭兵団と雇いの傭兵とで攻めた。決して楽な戦いではなかった。


 互いの刃を突き合わせ、力が拮抗し——最も今にして思えばだが、実際は競り負けていたのだろう。片目をを負傷したディートヘルムは、もう片方の目で倒れていく戦友を見ながら、引き際かと悟り、合図を出そうとしたところだった。視界の死角から飛んできた矢に気づいたときにはもう遅かった。多少なりの怪我、当たり所がわるければそれも運命か、らしくないことが頭をよぎっていた。そしてその矢はディートヘルムの予想から全く外れた。眼前にはディートヘルムよりずっと小さい、きっとこの戦場にいる誰よりも線の細い男の背中があった。


 ——ディートヘルム様、兵を引いてください!


 矢に打たれた男は自身の周りにいる傭兵をかき集めディートヘルムを逃がしたのである。

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