第57話 なんのために
次の日の朝、ドアのノックの音で目が覚めた。軽いノックとはいえ何度も打ち鳴らされると耳に障る。リルは慌てて起き上がり、その場にあったブランケットを肩に羽織ってそろりとドアに隙間を作ると、そこにはギルベルタと後ろに使用人が控えていた。
「おはよう。よく眠れたかしら?」
「お陰様で」
自身でも驚くほどに睡眠を貪っていたとリルは髪の毛をいじりながら思った。夜更けにでも逃げ出す算段をと考えてもみたが、門兵はいるし、部屋の外に気配があったことから見張りは間違いなくつけられていた。一人ではどうしようもないと諦めてベッドに潜り込んだ。眠れないかも、なんて心配もしていたがそこだけは杞憂だった。自身でも案外図太いのだなと心中で苦笑する。
「先に食事ね。何がお好きかわからないから私たちがいただくものと同じものを用意したわ」
「それは、どうも……お気遣い痛み入ります」
「それじゃあ終わったら教えて頂戴ね」
後ろについていた使用人に言ってからギルベルタは部屋を出た。使用人が手際よく食事の準備を始め、丸いテーブルには朝食が用意される。リルは椅子を引かれて誘われるように座り食事の前で生唾を飲む。丸パンにサラダ、卵料理に薄くスライスされたハム、そして紅茶が用意されている。普段の食事よりもずっと豪華なものだ。リルは祈りをささげてか食事に手を付けた。傍で控えているハウスメイドの視線に耐えながらいただく食事は、味は良くても堅苦しく美味さは半減するような気持ちになる。粗相をしないように震える手で少しずつ口に運び、普段よりもずっと時間がかかった。
「ご馳走様でした」
カトラリーを置き、使用人の方へ視線を向けて食事の感謝を伝えると、使用人はびくりと体を震わせた。顔を見ると明らかに青い顔だ。怯えた挙動にリルは何事かと驚いた。使用人はそそくさと給仕車に皿を片付けて部屋を後にする。リルは一体何が彼女を怯えさせていたのかわからないまま取り残された。
「入らせてもらうわね」
ノックの後に今度は返事を待たずドアが開かれる。入れ違いに再びやってきたのはギルベルタと別の使用人だ。ギルベルタの後に入ってきた使用人の腕の中には箱があった。それをベッドの上に置き蓋を開けると中には深い蒼のドレスが鎮座していた。
リルは二人の手であっという間に向かれて下着一枚で立たされる。横目で鏡を見ると居た堪れない姿の自分が映っているのですっと目をそらした。そして二人の手でその美しいドレスを着せられた。
「あら、いいわね。流石この町一番の仕立て職人だわ」
鏡に映る姿は先ほどとは打って変わって、あまりにも美しいドレスが自身に似合っていると自惚れてしまいそうな程、美しい仕立てに見とれてしまう。リルはそのままドレッサーの前に座らされ、薄化粧をし髪を結われていく。細い指先で滑るようにして毛束を編み込まれていく。厳かに結い纏められた姿はまるで貴婦人のようだった。
「素敵よ」
ドレッサーの前にいくつかの髪飾りが乱雑におかれていた。宝石がちりばめられたもの、真珠があしらわれたもの、煌びやかなものの中にひとつシンプルな銀細工の髪飾りを手に取り差し込んだ。ギルベルタはまたリルの両肩に手を添えて顔を寄せながら鏡の中にいるリルに向かって言った。
「逃げなかったわね」
「え?」
「てっきり夜のうちに逃げるかと思っていたけれど」
「む、無理に決まっているじゃないですか。部屋の前にも外にも見張りを置いていたでしょう?」
「それでも逃げるかと思ったわ。その力を使って」
リルは息が喉につっかえたような気がした。動揺から目が泳ぐ。
「昨日あなたの力のことについてあの人から聞いたのよ。水を自在に発生させて操る力。力の使い方によってはあっという間にこの屋敷から抜け出せるだろうって。たとえば、屋敷ごと水に浸からせる、とか」
リルは慍色を表しギルベルタを睨み付けたが、彼女はどうということなく笑顔を絶やさずにいる。どうやら食事を用意した使用人が怖がっていたのはその話をきいたからだとみた。
「やりませんよ。そんなこと」
「あら、そうなの?持ちうる力を使うのは当然のことだと思っていたけれど。逃げ出したいのならば、自身の力を使って屋敷の人間を殺してでもね」
「やりません。私の力は、そういうことに使うものじゃないですから」
「ずいぶん甘いことを言うのね。これからどんな目に遭うか想像もできないのかしら」
「なんですって?」
「レオナードがあなたを連れて帰った理由よ。この領地はあの人の土地だけれど、それを纏める首領がいるわ。その首領の命令であなたを捕らえることがあの人が受けた今回の命令。精霊が住まう村を突き止めて連れて帰ること」
「どうして、精霊、を?」
「当然、この大陸の支配のため。何百年にもわたってつまらない小競り合いを終わらせるには、力が必要だと。誰もがその力を恐れ敬うような力を」
ちりっと側頭部に痛みを感じた。リルは左手でこめかみを押さえる。
(なに?)
いつだったか、誰かに同じようなことを言われた気がする。
(誰だった?どこで?わからない)
リルは頭にかすめた人物を凝視しようとするが、ぼやけるばかりではっきりとしなかった。




