第53話 レオナードの領地
「おい、起きろ」
次の日の朝、ソファーが蹴られる振動で目を覚ました。いつの間にか眠っていたらしい。しかし泣きすぎたせいか目の周辺がひりひりと痛んだ。
「初心かと思いきや、男と同じ部屋でぐっすり眠っているとは、気が小さいと思えば図太いな。それとも子供すぎるだけか?」
レオナードは自身の口元を右手の人差し指で突きにやりと笑う。何を言わんとしているかわからず怪訝な顔をしたが、はっとしてリルは口元を手で拭う。
「片づけるために私の部下が外で待っているんだ。すぐに支度して外に出ろ」
リルは短く返事だけをして、髪の毛に触れた。準備といっても着替え一つ持っていない。せめて髪だけでもとドレッサーの前で手櫛で髪を整えた。
レオナードと一緒に外に出ると、すでに片づけが始まっており、わずかな時間、軽い朝食をとっている間にも、家具類は外に出され天幕と共に解体された。整列された馬の一番前にレオナードが乗った。そして昨日と同じようにリルもレオナードと同じ馬に乗せられた。
朝の陽光を浴びながら、馬は順調に足を進めた。頬を撫でる清々しい風が心地よい。昨夜からまだ一日も経っていないのに、リルの心はどことなく軽く感じられた。眠りにつくまで泣き続けたおかげか、いや、じたばたしたところで状態が変わらないと観念しているからかもしれない。リルは泣き腫らした目で穏やかな風景を眺めていた。
「これから、どこに連れていかれるの?」
訊ねてみるがレオナードは返事をしなかった。リルは苛立って首を後ろに向けるとレオナードはまっすぐ先の道を見据えていた。リルの視線に気づいたのか、前方から下へと視線を移す。
「なんだ?何か用か」
レオナードは大声を張った。それによってリルはようやく、レオナードが無視をしたのではないと気づき、自身も声を張り、ゆっくりと訊ねた。
「これから、どこへ、行くの?」
「近くの街だ。足りないものを買い足す」
「ふうん……」
リルはまた前に向いて遠くの景色をぼんやりと眺めた。街であれば、逃げる手段かせめて誰かに助けを求められるかもしれない。そんな微かな希望が頭をかすめた。
「つまらないことを考えるのはよした方がいい」
見透かしたように言うレオナードの言動にリルは眉をしかめた。
「つまらないって何よ」
「どうせ、逃げる算段でも企てているんだろうが、これから行く街は首領から賜った俺の領地だ。どこにも逃げられない」
子供の浅知恵だと嘲笑した。
「確かにつまらないわね……」
「まあ、悪いようにはしない。これから寄る街はおまえのためでもあるんだ」
(私?)
その場ではレオナードの言葉の意図を読むことが出来なかった。
数時間馬を走らせていると地平線の向こう側から堅牢な石造りの高い塀が見えてきた。何もない草原が徐々に農地や牧草地が広がる。世話をしている人々が、レオナードの一隊に気づくと、どんなに遠くても誰もが頭を下げていた。
鉄格子の門の前にはレオナードの部下と同じようで彼らよりも飾りの少ない質素な制服を纏った男たちが立っている。レオナードの姿が見えると敬礼と共に、門を開けるように指示を出している。鉄格子がガラガラと重苦しく金属が擦りあわされる音を立てて開き始めた。
外で馬と荷台を停めると中から何人もの兵士が出てきた。一人の兵士がレオナードに近づいてくる。
「レオナード様、お疲れ様です。馬の世話はお任せください」
「ああ、頼む。よし、貴様ら、ご苦労だった。暫し身を休めてくれ。出発は早朝だ。以上」
部下たちは片足を踏み鳴らし敬礼をしてから、歓喜の声を上げながら町の中へ入っていった。
「おまえはこっちだ」
リルには自由時間なんて与えられるわけもない。期待をしていたわけではないから落胆もしない。リルは大人しくレオナードについていった。
石塀に囲まれた街の中も石造りの建物が多い。きょろきょろと首や目をしきりに動かして街の様子を見て回る。そんな様子がおかしかったのかレオナードは鼻で笑って振り返る。
「そんなに珍しいか」
「そう、ですね」
実際には珍しいからというつもりで見ていたわけではない。重厚な石造りの建物は、クライスの懐かしい風景を思い出させた。最もクライスはもっと頑丈な造りだったとリルは記憶している。
「立派な街だろう。この街は私がおまえくらいの年頃のときに落とした街だ。その成果を踏まえて首領はこの領地を与えてくださったんだ」
それは人の土地を奪って得たなんてご立派なことと嫌味でも吐こうとしたがやめておいた。ここで無駄に喧嘩を売っても仕方がない。それにリルにはいまだ慣れない常識が、大陸では当然のことだった。
大陸では戦火が絶えない。村単位のものから、軍隊のような大きなものといった勢力がいくつも存在しており、小競り合いが頻発している。他者の土地を侵して奪うことは日常茶飯事の出来事だった。リヒャルトは戦火に巻き込まれることを危惧して、一か所に留まることを望まず放浪を続けていた。そんなリヒャルトにリルは嫌気が差していたが、その懸念は大きく当たり、リルは昨夜実感したばかりだった。
当たり前のように行われる略奪に、小さな集落は自身で守る術を身に着けていくか、どこかの勢力に準ずるか選ばされることが多い。シュレイム村の場合、リルを差し出すことで村を守ったといえる。またこれからはレオナードが属する勢力とのやりとりが多くなることは想像に難くない。つまりシュレイム村もこの一件でレオナードや、その上の首領に従属することが強いられているのである。
冷めた気持ちで街を歩くが、意外にもそこで暮らす人々は安寧に包まれているようで、多くの人が活気に満ちていた。
「おかえりなさい、レオナードさん」
「レオナードさん、いつ帰っていたの」
「また店に寄ってくださいよ」
道行く人がレオナードを見かけるとにこやかに声をかけてきた。誰もが怯えている様子はなく慕っているようだった。昨日の横暴なふるまいからは信じられない光景だとリルは眉をしかめる。
「何か言いたげだな」
「別に……」
「おまえが住んでいた村では大きな力の前に屈服するしかなかったのに、どうしてこの街の人間はこんなにも傍若無人な男を敬愛なんて出来るのか。こんなところか」
またもや心を読まれたような気持になってリルは黙り込んだ。そんな様子を見てレオナードは喉を鳴らして笑う。
「単純な女だ。それほど不思議なことではない。人間は大いなる力を前にすると、どのように対処するか。一番簡単なことは屈服する。昨日のお前のようにな」
「私は!そんなつもりはない」
リルは声を荒げて否定した。レオナードは全く怯むことがないのは無論、悪びれることもない。ただそれまで嘲笑していた表情は一変して厳しい顔つきになる。
「何も悪いことじゃない。力を持つ者が上に立ち、力のないものはその下で働く。それの何が悪い?」
「それを望まない人もいるでしょう?」
「ならば戦えばいい」
「それが出来ない人もいるわ」
「そうだ。出来ない奴は、結局誰かの元で保護下におかれる。自身より強い誰かだ。おまえの村でもそうだった。村の長がいて、神父がいて、村人はそれに従属している。しかし私のような強い者の前では無力だ。それは十分に思い知っただろう」
リルは眉根を寄せて俯いた。
「この街の人間も昔はそうだった。戦う力がないからあっさりと屈服した。その代わりに私は街の者を守る義務と責任が伴う。それに関しては決して手を抜くことはない。その証拠がこの街に生きる人間だ」
この街に来てから、まだほんの少し歩いただけだが、レオナードの語ることは目の前の住民の顔を見れば首肯せざるを得ない。しかしそんなものはほんの一部でしかないんだと素直に認めることは出来なかった。




