第50話 襲来
「ただいま戻りました」
家の中に入ると一階は闇に包まれており誰もいない。ランタンを食卓に置いた。キンスリーは傍に猪肉のスープとはちみつ酒を置く。
「送ってくれてありがとう。助かったわ」
「なんてことないさ」
「あの……良かったら、お茶でもどう?」
送ってもらってそのまま帰すには後ろ髪が引かれて尋ねると、キンスリーは歯痒そうに口元を緩めた。しかしすぐに姿勢を正す。リルはキンスリーの視線を追うようにして、階段の音がする方へと視線を向けると気だるげに降りてくるリヒャルトがいた。
「おかえり」
「ただいま……」
「祭りは終わったのか」
「ええ。キンスリーがリヒャルトの分の食事を持ってきてくれたのよ」
「そうか。世話をかけたな」
「い、いえ。持ってきただけですから」
キンスリーは後ずさりをして玄関扉の方へと下がる。
「それじゃあ、俺は帰るよ」
「そう?」
「うん、また明日……」
キンスリーはドアノブに手をかけると、そこで動きが止まった。リルはどうしたのか尋ねようとしたら、リヒャルトもまた、険しい顔をしてキンスリーの名前を呼ぶ。
「キンスリー、下がれ」
ドアノブから手を離し、ゆっくりとした動きで後ろへと下がった。替わるようにしてリヒャルトはランタンの火を消してから玄関口へと進み、壁に耳を当てる。
「なにかあったの?」
リルは恐る恐る尋ねるとキンスリーは人差し指を口元にたてた。キンスリーはリルの両肩を持って、共にキッチンへと足音を立てないようにゆっくりと下がり、壁際にしゃがませた。
何事かと身を固くして耳を澄ませると、地響きのような音が聞こえる。聞き覚えのある音にリルは足先や手先が冷たくなっていくのを感じた。この大陸に来て何度か目にすることはあったが、その度に自身とは関係のないことだと目をそらし耳を塞いできたことが、すぐそばまで来ている。リルは手で口を覆って首をすくめた。
地響きの音は馬の蹄の音として形を成していく。多くの馬が家の前を通り過ぎたのでリルは安堵して肩を下ろすと、馬の嘶きがひときわ大きく響き渡り肩が跳ねた。キンスリーの手はぎゅっと力を入れてリルを自身の傍に抱き寄せた。悍ましい音に指先はひどく冷たいのに、キンスリーの体と接触した箇所だけが暖かい。キンスリーのぬくもりが唯一生きていると証明しているかのようで、リルは助けを求めて体をぐっと寄せた。一頭の馬が土を踏みしめる音をたてながら家の近くを闊歩する。玄関口のすぐ隣にある締め切った鎧戸の隙間から差し込んだ僅かな月明りは大きな影に隠れる。
「……い、は……こ」
遠くから声がした。
「わかっている。すぐに行くさ」
男の声と共に馬がまた走り出す。蹄の音が遠くへと去っていく。リルは胸をなでおろしたのは、リヒャルトが立ち上がり、こちらへと近づいてきたときだった。キンスリーもまた立ち上がった。リルから手を離し、玄関口へと足早に向かう。
「待て」
リヒャルトはキンスリーの肩を持ち足を止めさせたが、キンスリーは顔を強張らせてリヒャルトを見据えた。
「家に戻らないと」
「気持ちはわかるが、今はダメだ」
「そんなことわかっています。でも戻らないと、父さんや母さんが、村の人たちが」
リヒャルトの手を振り払って外へと飛び出した。しかしその足はすぐに止まる。リルたちもキンスリーの後を追って外へ出る。集落がある方角に目をやると、黒い煙が立ち上り赤く染まっているのが見えた。
「かあ、さん……」
キンスリーは息を詰まらせるようにして零した。駆け出そうとしたところでリルは思わずキンスリーの手をひいた。行ってはいけない。と首を横に振ると、キンスリーははっとしてリルの両肩を強く掴む。
「リル、助けてくれ」
「え?」
「あの時のように助けてくれ。俺が馬から振り降ろされたときに君は助けてくれたじゃないか」
一層強く掴まれた肩に痛みを覚えてうっと小さく唸ったが、キンスリーは決して力を抑えようとはしなかった。
「どうやったかは定かじゃないけれど、確かにあの時君は俺に手を伸ばしたときに、クッションのように水を発生させたんだ。そう、まるでこの土地に伝わる精霊の伝説のようだった。そこにないものを発生させて人間を助けてくれる精霊のようだったじゃないか」
リルは力なく首を横に振った。そんなものは知らないと嘯きたかったが、これまでに村の人から多くを助けて貰ったことに対する罪悪感が襲ってくる。
「ほう、精霊のようにねえ……」
リルの背後から声がする。振り返ると三人の男が馬にまたがり不敵な笑みを浮かべて近づいてくる。リヒャルトがリルの前に立ちはだかった。
「やはり隠していましたか」
先頭のダークブロンドの髪を束ねた男が後ろにいる男たちに目で合図をすると、二人は馬から降りて、リヒャルトの腕を掴み、顔面に向けて拳を振るった。鈍い音を立ててリヒャルトは地面へと叩きつけられる。容赦なく二人の暴力がリヒャルトへと向けられた。
「やめて!やめて!」
リルは必死に懇願すると、男はにやりと口元を歪めてリルを見下ろした。
「ならばあの村で、その力を存分に振るってみせなさい。早くしないとこの森をすべて焼き尽くしてしまいますよ」
止めどなく振り続ける理不尽なリヒャルトへの暴力、キンスリーの懇願、そして冷たく微笑む男の視線。リルに拒否することが出来るわけがなかった。
「やります。やりますから……お願い、します」
男の足にすがるようにして懇願すると、男は満足気に手をあげた。すると二人の男は足も手も止めた。
「よろしい。では行きましょう」




