第48話 恩人
教会の奥はにある部屋は質素で、必要なものだけがしつらえてあるといった様子だ。小さなキッチンと小ぶりのダイニングテーブル、本棚と書き物机、クローゼット、医療棚、そしてサイドテーブルを挟んでベッドが二つ並べられており、リヒャルトは一番奥のベッドに寝かせられた。ダボンはキッチンで水を汲み上げてたらいに水を張ってサイドテーブルに置く。それから医療棚の引き出しを開けて何かを探している。ジョアンナはクローゼットから布麻布の切れ端を出してきて、水が張ったたらいで濡らしてからしっかり絞ってリヒャルトの額に乗せられた。
リルはそんな様子を部屋の端っこで立ち尽くしみつめるばかりだった。
「ジョアンナ、どうだ」
すきの紙の包みを手にしたダボンはジョアンナに問いかけると、彼女は首を横に振る。
「熱がひどいな。これを持って」
包み紙をジョアンナに渡し、リヒャルトの体を起こさせた。
「君、そこにある棚からコップをとって水を汲んでくれ」
ダボンはリルに投げかけた。呆然としていたリルははっとして、荷物をすべて床に置いてから、借りてきた体のようにおかしい挙動で棚の方に向かい、二つ並んでいるコップのうちどちらを取るか迷い取り、手押しポンプを動かした。並々注がれた水はコップの端からこぼれる。それをダボンにジョアンナに渡す。
ジョアンナはリヒャルトの口元を麻布で濡らしながら、口を開かせて水を含ませる。喉に流したのを確認して、包み紙を開き、口の中に粉末を流し水を飲ませた。
「これでしばらく様子をみよう」
ダボンはリヒャルトをベッドに寝かせた。リヒャルトは変わらず浅く息を繰り返していた。
「ジョアンナ、ちょっとここで見ていてくれるか。それから君はこっちに」
ダボンは手招きして部屋を出るように促した。部屋を出るとプレストンとキンスリーが長椅子に座っていた。ダボンの姿を見てキンスリーは立ち上がり不安そうに尋ねる。
「あの人、大丈夫そう?」
「薬は飲ませたから数日看病して様子を見てみないことにはな。さ、君も座って」
真ん中の通路を挟んで、リルとダボンは長椅子に腰を掛けた。
「俺はシュレイム村の村長、みたいな役割をしているダボンだ。こちらがプレストン神父様。名前を窺ってもいいかな」
「リル、です。あっちがリヒャルト」
「そうか、リル、よろしくな。それで愚息のキンスリーとは」
自身の名前があげられたことにキンスリー本人が真っ先に反応して口をはさんだ。
「二人に助けて貰ったんだ」
リルの心臓が跳ねた。とっさのこととはいえ、キンスリーが落ちる際に大怪我をしないようにと使われた力について触れられるのは都合が悪い。
「荷台の車輪が落ちてしまって、それを直してもらったんだよ。それから足に少しだけ怪我をしたけど薬を分けてくれたんだ」
キンスリーは目を輝かせながら淀みなく話した。特にリルの力については語られなかった。黙ってくれたのか、それともそれすらも気づいていないのか。どちらにしてもリルはほっとする。
「それは、随分愚息が世話になったようで」ダボンは深く頭を下げて礼を述べる。「帰ってきたときにキンスリーの姿がないことに気づいたときには、大雨の中で事故をおこしたんじゃないかと気が気でなくて、そうだったのか、あなた方が……」
ダボンの目には涙が滲んでいた。ダボンは目頭を指で押さえてから改めて口を開く。
「それならあなた方は俺たちの恩人だ。気兼ねなく何日でもゆっくりしていってくれ」
そこまで言うとダボンは立ち上がって「頼みます」とプレストンに願い出ると、彼は頷いて返事をした。
それから数日リルは奥の部屋でリヒャルトの看病をして過ごした。プレストンが適宜様子を診てくれることとは別に、ダボンやキンスリーも一日に何度か足を運んでくれた。
「調子はどう?」
シュレイム村に身を寄せて二日目の夜に、キンスリーが食事を持ってきて尋ねた。
「熱は下がったわ。神父様も山は越えたって」
「そうか。それは良かった」
ダイニングテーブルに食事を置いて、一緒に食べようと誘った。二人は向かい合って祈りを捧げ食事を始める。
「困ってることはない?」
キンスリーは見舞いに来るたびに同じ質問をした。
「みんなよくしてくれているから。ありがとう」
ダボンも同じように訊ねるのでリルは一日に何度も同じ答えを返している。
「ねえ、前にも訊いたけどさ、リルたちは旅をしているの?」
雨宿りをしていたことを思い出す。あの時はそのまま別れるはずだと思っていたから答えなかった。
「うん……そうだね」
「へえ……どんなところを行った?」
「どこってわけでもないよ。旅芸人と過ごしたり、行商人の手伝いをしたり、行き当たりばったりの旅よ」
「そうなんだ。でもどうしてそんなに旅をしているんだ?」
「それは……」
リルは言葉に詰まった。クライスを出て五年、住処を失い大陸に渡り放浪を続けた。リヒャルトにどこへ行くのかと訊ねても一度も答えを貰ったことがなかった。ただただ何かから逃げるように放浪を続けた。
「リル……」
リルは声に出さずに自然と涙がこぼれた。止まることはなく、しかしぬぐうことも出来なかった。そんな力はもう残っていなかった。
「もしさ、どこにも行く当てがないなら、此処で暮らさない?」




