第44話 不器用なステップ
初めて猪肉料理を目の前にしてリルは喉を鳴らした。野菜と一緒に煮込んだスープと薄めのステーキが用意された。まずはステーキを一口サイズに切り分けて一口食べてみるとリルは目を丸くした。キンスリーが言ったように臭みはない。脂もしつこくなくてあまくて美味しい。噛むほどに旨味が口いっぱいに広がって夢中になって味わった。スープは野菜のうまみと共に脂が溶けだしていた。身体がじんわりと熱くなる。
「な、うまいだろう?」
キンスリーはスプーンを片手に身を乗り出す。リルは口を動かしながら、うんうんと頷いて同意した。
「だろう?一番うまい肉だと思うんだよな」
「そう言って、あんたは鶏肉でも牛肉でも、川魚でも同じように言ってるよねえ」
どういうわけか胸を張って熱く語るキンスリーに、はちみつ酒をまたお代わりしたアマリアは肩ひじをつきながら生暖かく笑った。キンスリーは咀嚼して飲み込んでから「肉はうまいから仕方ない」と満面の笑みで応えると、あきれ顔で「はいはい」と適当に相槌を打ちアマリアはまた酒を煽る。リルは挟まれながら、二人の慣れあいを猪肉の旨味と共に黙って咀嚼した。
「お、そうだ。リヒャルトさんの分も取り分けておくよ。この調子じゃすぐになくなりそうだ」
キンスリーは立ち上がると、リルは自分が行くよと言ったが、食べててと先に行ってしまった。
「任せておけばいいんだよ」
ピッチャーを傾けて自身のカップに注ぎながら言った。もう何杯飲んでいるのかリルにはわからない。
「それよりさあ」アマリアはリルの肩に腕を回して体を寄せる。「キンスリーとはどうなの?」
「どう?」
村の女の子たちの恋愛話はいつだって花が咲き乱れているが、自分に回ってくるとは思っていなかった。至って冷静に努めて返した。
「またまた。この村に来てもう半年でしょう。お仕事一緒にして、今日だってお祭り誘ってもらったんでしょう?」
「う、うん……」
「ちょっとは、いいなとか思ってない?思っているよね?」
「アマリア、酔ってる?」
「こんなんで酔ってませんよおだ」
アマリアは証明するようにまた酒を飲んだ。
「一番仲いいじゃない。やっぱりあれ?よそから来たもの同志で気が合うとか?」
「そうなの?」
「知らなかった?村では公認の話よ。キンスリーは拾われた子供だって」
リルは頭を振った。聞いたことのない他人の秘密に触れてしまったことに胸がざわめいた。
「そうだったの。てっきりそれで仲がいいんだと思ってたわ」
「それなら、よそから来たからこそ親切にしてくれているのよ」
「ふうん……それを抜きにしてもどう?キンスリーのこと」
のらりくらりと躱してもアマリアは食いついた餌から放そうとしなかった。
「優しいと、思うよ。うん、親切だし」
「いい人どまりってこと?」
「そういうつもりで言ったんじゃないわよ。優しくて親切って誰にでもできることじゃないでしょう?そんなところは尊敬してる」
広場の方へと視線をやる。キンスリーが村の人と話して、皿に猪肉のステーキをよそってもらっているところだった。アマリアは口元に弧を描いた。
「でもあんたたち、すごくお似合いだと思うよ。ちょっとでも気があるなら考えておいてみてよ」
アマリアの言葉にリルは何も言えなかった。五年もの間放浪を続けていたリルにとって、定住すること自体が初めてだった。もしこのまま居続けることが出来れば、誰かと恋をして、結婚することもあるのかもしれない。しかしそんな幸せを手にするのは容易ではないのだと頭で誰かが叫んでいた。
キンスリーが戻ってきてしばらく三人で会話に興じていると、突然フィドルがかき鳴らされた。続けてコンサーティーナやマンドリン、バウロンなどと音が重なりあっていく。一同の視線が音楽へと向けられて、歓声があがり、あちこちで指笛が高らかに響いた。
「お!始まったな」
アマリアがいち早く反応してリルの手を引き、立ち上がらせた。勢い余って傾いた椅子を倒れないようにもう片方の手で支えた。
「行くぞ!ほら、キンスリーも。早く早く」
リルは口元を拭きながら、されるがままにアマリアに着いて走った。大樹の根元に座った楽器を持った大人が軽快なリズムで音を出している。リルたちと同じように若者があつまってきて、ステップを踏み始めた。地面をけり上げるような力強く踏み鳴らし、跳ねるように軽快に踊りだす。料理と酒に興じていた大人たちもわらわらと集まってきた。そして手拍子でリズムを刻み始める。
「ほらほら、こっちに来て!」
アマリアはリルの手を引く。リルは驚き足を踏ん張って大きく頭を振った。
「ええ!?私踊りなんてできないよ」
「見様見真似!リズムに合わせていれば出来るわ」
強引に手を引っ張られ輪の中に入れられた。リルはおろおろとしながらも、もうここまで来たら引っ込んで場の空気を悪くするのも気が引けた。どうにでもなれと口を結び、不器用に足を踏み出した。
「いいね!上手い上手い」
誰が見てもお世辞にも上手とは言えない。アマリアの手にひかれるままに悪戦苦闘しながら必死に足を動かしていた。足がもつれてしまわないように足元ばかり見てしまう。
「リル、こっちよ」
リルは顔を上げるとアマリアは不敵な笑みを浮かべていた。
「こういうので大事なのは笑顔。前に居る人と顔を見合わせて楽しく踊ればいいのよ」
そこまで言うとアマリアはリルの手をするりと放した。
「え、ちょっと」
アマリアの方へと手を伸ばそうとした手が誰かに取られる。リルは戸惑いながらも相手のリズムに合わせて踊り続けた。そして次へ次へと相手がどんどん変わる。リルのリズムは誰とも合わなかった。それでも誰もがリルに怪訝な顔ではなく笑顔を向けていた。リルも下手ながらに笑顔で応えた。
「やあ」
キンスリーがリルの手を取る。そのころになるとリルの足取りはだいぶましになっており、無茶苦茶なステップではあったがリズムだけはとれるようになっていた。
「やあ」
リルはキンスリーの真似をするようにして挨拶をする。どちらも頬が火照っており、ステップを踏むたびに細かに汗が飛ぶ。音楽が加速した。リルは驚きながらもステップを踏み続けているとキンスリーは「終盤だ」と言って地面を蹴る。リルの手を取り、腕を絡ませる。リルは更に早くなったリズムに追いつこうと懸命に地面を踏んだ。ぐるぐると勢いよく回転し踊る。もう頭が沸騰しそうなほどパニックになった。
「はは……」
それなのにリルの口からは笑い声が漏れた。沸き立つような音楽、軽快なリズム、一生懸命に踊る自分の情けないステップ、周りで囃し立てる人々、それらすべてが可笑しくて、楽しくて、リルはこの村にきて一番軽やかに笑っていた。




